*疾風*


 買ってきた薬の一包みを開き、入っていた粉末を碗の中の水に溶かし差し出すと、最初は不審がるように中身を眺めていたが、意を決したように、それを飲み干す。
「何か、思い出せたか?」
 風魔が問いかけるのと、空になった碗が差し出されるのが同時で、血止めのために白い布を巻いた頭が、静かに左右に振られる。
「そうか」
 紅い髪。左の目を縁取るように施された刺青。身体中に残る擦過傷。そして、頭にある大きな傷。尋常ではない立場の者だろう、と言う推測はあったが………
 あの、十番勝負の際、相手方の人数は幾人か足りなかった。その中の、一人ででもあったのだろうか………空の碗を受け取りながら思考し、立ち上がる。
「思い出すまで、此処にいればよい」
「あ、の」
 碗を洗おうと、土間に下りて水甕に近づいて柄杓を掴む。
「何だ?」
「名前、を」
「俺の名か?風魔だ。風魔小太郎」
「小太郎………ありがとう」
「………いや」
 乏しい表情と言葉ではあるが、しかし、だからこそ籠められている純粋さがあるような気がして、風魔は背を向けた。


 正直、半蔵にとって勇士が欠けようがいなくなろうが、どうでもよかった。半蔵は幸村に雇われた。そして給金を貰っている。誰に仕えようが、誰を裏切ろうが、半蔵にとっては金が全てで、それを支払ってくれる相手には、見合った代価を仕事で払うのが主義だった。だからこそ、平然と上田にもいられる。
 だが、どうにも上田にいる、勇士と呼ばれる連中はそうではないらしい。特に、この才蔵と言う男は、異質だ。忍としての心得も技も十二分に獲得しているのに、余計なことを無駄に考える傾向がある。
 今も、そうだ。勇士が一人欠け、二人目が消えた。一人目は自身の意思で宣言して出て行った。だが、二人目は行方が知れない。だから探す。其処まではいい。だが、その探す過程での、才蔵の行動は奇妙だ。
 焦っているように、見える。探す相手は、分別のつかない子供ではない。仮にも腕の立つ勇士だ。幾度か手合わせをしたが、正直、面倒な技の使い手だ、と半蔵は思っている。あの腕前があれば、破落戸や盗賊程度相手では簡単に倒せるだろう。何を心配することがある?
「もうそろそろ移動しませんか?この町にもいないようですし」
 そろそろ、この退屈な任務にも飽きてきたというのが、半蔵としては正直な感想だ。
「だったら、てめぇだけ先に行け」
「って言われても。何か、引っかかることでも?」
「………風魔」
「彼は関係ないでしょう?」
「どうして、態々町で薬を買っていた?俺は苦手だが、大抵の忍は薬の扱いに長けてる。山で調達できるには限界のある薬が必要だった、ってことじゃねぇのか?」
「だから?」
「怪我人、あるいは病人、動けない誰かを、匿っている………とか」
「君ねぇ。妄想が凄いですよ。其処まで飛躍します?薬買ってただけで?それとも、そう考える根拠があるんデスか?」
「っ………」
 奥歯を強くかみ締め、拳を握り、視線を半蔵から逸らして、才蔵は風魔の向かった方向へと視線を投げた。
 上田を出立する直前、才蔵は、佐助に殴られた。重い拳ではなかったが、その後に言われた言葉が、胸に刺さっている。
「鎌之介、泣いていた。早く、探せ」
 鎌之介が泣く所など、見たことがない。驚いて、佐助もそれ以上声をかけられなかったのだという。
 そして、その原因は、どう考えても、才蔵だ。鎌之介が涙を零すほど、才蔵は手酷く傷つけたのだ。
 鎌之介は、傷つくことなどない、と才蔵は高を括っていた。傷つかない人間など、いないのに。
「確かめてくる」
「はぁ。めんどくせぇですね」
「嫌なら其処にいろ」
「行きますよ。ぼけっと見てても意味なんかないですしね」
 面白くもない人波を眺めているよりは、風魔を尋ね探す方が、面白そうだった。


 川で釣ってきた魚を焼き、山で取った山菜を煮た物と粟の夕食を用意し、食べるように促す。
 腕や足、腰などの至る所に見受けられた擦過傷は血止めも済み、治りは早いだろうが、頭の傷だけが、今も時折思い出したように血を流すことがある。そして、折れている右足も心配だった。
 川を流れていたのだろうから、その際にでも折ったのか、それとも何者かに襲われでもしたものか………歩くことは当分、出来ないだろう。
 細い指が握る箸の先で、魚の白身が零れ落ちる。
「如何した?」
「………見えにくい」
「?ああ」
 山の夕暮れは早い。里や町ではまだ明るくとも、木々に囲まれた庵の夜は、早く訪れるのだ。風魔は、自身は夜目が利くため、そのことを忘れていた。
「明かりをつけよう」
 確か、油はまだあったはずだ。灯台のようなものはないが、油皿で火をつければ、手元の明るさ程度は確保出来るだろう。
 だが、立ち上がろうと中腰になった風魔の耳が、嫌な音を捉えた。
 木々を揺らす、葉を擦る、音。気配は、二つ。懐から短刀を取り出して立ち上がり、土間へと降りて心張り棒を掴む。
「其処で動くな」
 動けぬだろうと分っていても、一応声をかけ、心張り棒を外して戸を開ける。後ろ手に引き戸を閉め、短刀を鞘から抜くのと、二つの影が木々の合間から姿を見せたのが、同時だった。
「悪いな。もう一度確認したくてよ」
「知らん、と言ったはずだ」
「そうなんだけどな。他に手がかりもなくてよ。情報の一つ位、風魔なら持ってそうだと思ってよ」
 随分と“風魔”の名は高く買われている、と自嘲気味に苦笑し、短刀を鞘へと納めた。
「悪いが、その期待には答えてやれん」
「中に、誰かいます?」
 もう一人の忍が、口を開く。随分と気配に聡い男だ、と睨みつけると、後方で微かな声がした。
 風魔は身を翻して引き戸を開け、一足飛びに板の間へ上がると、呻く体に駆け寄った。
 頭の白い布に、血が滲んでいる。また、傷が開いたのか………隅に置いてあった薬を数種引き寄せて、塗り薬と飲み薬を選ぶ。
「………鎌之介?」
「っ!貴様ら、勝手に入ってくるな」
 白布を外そうとした手を止め、風魔は突然入り込んできた二人へ怒鳴った。だが、内一人が板の間へ飛び乗り、細い腕を掴む。
「帰るぞ、鎌之介」
「ひっ………やだっ!」
 腕を振り払われ、才蔵は宙に浮かんだ自身の手を見た。
「おい、鎌………」
「い、たい………あた、ま………」
 振り払った腕で白布を無理矢理に外そうともがき、髪を掻き毟る。
「やめろ。傷が広がる」
「うぅっ………」
 頭に触れている腕を外させ、ゆっくりと布を外せば、傷口からはじわり、じわりと、血が滲んでいた。
「出て行け。治療の邪魔だ」
 呆然と立ち尽くす男と、状況を楽しんでいる節のある男を、風魔は殺気を籠めて睨みつけた。












2013/11/23初出