ああ、五月蝿い声がする。 還れ、天へ還れと、喧しく、姦しく、幾度も響く女の声。 かつては、自分を守ってくれていた声のはずだったのに、いつのまに、こんなにも自分を縛るようになったのだろう。 あの、暗い場所で、執着と執念の渦巻く場所で、自分をそれらから守ろうとしてくれていたのに。 澱んで、沈んで、狂ってしまった。 どうして、あのまま死なせてくれなかったのだ。全ての力を使いきり、戦い終えて、瞼を閉じられれば、幸せだったのに。 唸るような風が洞窟の中で吹き荒れ、才蔵と佐助を押し出し、空中へと放り出した。流れる滝の水に濡れながら、それでも体勢を立て直したのは、せめても、忍としての矜持からだったか。それでも、百のように水音一つ立てずに、というわけにはいかなかった。 才蔵は川の中へ、佐助は岩の上へと着地して、自分達を落とした風へと眼を向ける。 洞窟から吹き荒れる風は、綺麗に丸く、流れ落ちる滝の一部を切り取り、そこに、白く細い身体が浮いていた。 長い、紅い髪が、風に揺れる。 「鎌之介?」 才蔵の声に反応した首がゆっくりと下を向くと、その双眸に、狂気染みた光が宿り、才蔵は咄嗟に、己の剣を顔の前に立てていた。 「っ、の!」 「ああ、やっぱ、才蔵はすげぇなぁ」 何処から持ち出したのか、短刀をその手に持っている。火花を散らしそうなほどの競り合いから手を引いたのは鎌之介で、後方へ飛んだ。 「なあ、才蔵」 「あん?」 「俺と、本気で戦ってくれよ」 「お前なぁ、勘弁しろよ。もうとっくに戦の世は終わってんだよ。お前がぐうすか寝てる間にオッサンも死んだ。六郎さんも大助も。今残ってんのは、此処にいる俺らだけだ」 「俺にはそんなの関係ねぇよ」 「関係なくねぇだろ。オッサンはな、お前が徳川に狙われるんじゃないか、って心配してたんだ。だから、俺とこいつを残した」 佐助を示せば、佐助も無言で頷く。 けれど、鎌之介にとっては、そんなことはどうでもいいことだった。 だって、もう、本当に、時間が残っていないのだから。 残っているのは、微かに残った風を操る力だけだ。 短刀を構え、再び鎌之介は才蔵へと斬りかかった。 「勝ち逃げなんて、させねぇから」 何処か、弱々しい鎌之介の声に、才蔵は仕方なく、柄を掴む腕に力を籠めた。 「負けても、文句言うなよ?」 「ああ」 嬉しそうに笑う鎌之介に呆れ、才蔵は佐助に下がるように言った。 「けどな、その前に着物を着ろ!」 素っ裸の鎌之介に才蔵が怒鳴ると、佐助があらぬ方向へと視線を向けた。 鋼と鋼がぶつかり、火花が散る。けれど、使い慣れない獲物のせいか、明らかに鎌之介の分が悪いように、佐助には見えた。 否。鎌之介は、もう……… 精神力で、恐らく自分を保っている。それから、僅かに残った風を操る力で。何年もずっと、眠っていて体を使っていなかった、と言う事実を引いて考えたとしても、鎌之介の動きは鈍かった。 それでも、才蔵は容赦がない。手心を加えれば、鎌之介が怒ると分かっているからだ。そして、その容赦のない才蔵の攻撃に、鎌之介はぎりぎりで耐えている。 それも、楽しそうに。 汗をかき、長く紅い髪が頬や額に張り付いても、気にする素振りすら見せずに、口元はずっと、笑んでいる。 もう、二度と、こんな時代は来ないのだ。自分や、才蔵や、他の勇士達が命をかけて戦い、散っていった乱世の、衝動のような時代は。 きっと、自分達が、最後の、徒花。 その時、鎌之介の体が傾ぎ、その手から短刀が離れ、水の中へ落ちた。 倒れる寸前で才蔵が受け止め、鎌之介は力なく笑った。 「あ〜時間、切れ、かぁ」 「あ?」 凭れかかるような鎌之介の横顔へ、才蔵が視線を向けると、晴れやか、とでも言うような顔で、笑った。 「やっぱ、才蔵、強ぇな………」 立つことさえ出来ない鎌之介の、その足の指が、透けているように佐助には見えた。 「結構、楽し、かった、なぁ」 「鎌之介!」 佐助が叫ぶと、ようやく視線が動いて、佐助の方を向く。その視線はそのまま、佐助の肩へと向けられた。 「お〜緑、にょろも」 足首が、膝が、少しずつ、透けていく。もう、足の指先は、ない。鎌之介を抱えるようにしている才蔵は、気づいていない。 緩やかな風が吹き、鎌之介の長い髪を浮かせると、首より少し上でざっくりと、切り落とした。それを、風が器用に佐助の元へと運んだ。 「高く、売れんだろ」 「何?」 意味が分からない、と言う風に佐助が聞くと、流石に才蔵も気づいたのか、凭れかかるようにしていた鎌之介を抱きかかえた。 「師匠を探す」 「あ〜百の、野郎………余、っ計なこと、しやがって」 余計な墨など足すから、こんな生き恥を曝すような最後を迎えることになった。そう思うと怒りが沸いてくるが、鎌之介にはもう、指一本動かす力がなかった。眼を、開けているのが精一杯なのだ。 風も、もう、言うことをきかない。 「鎌之介、駄目だ」 「何が?」 佐助が言葉をかけても、知らない、と言う風に、冷たく言葉が返る。 分かっている。忍の持つ術に、命を永らえさせる術などないということを。 忍は、殺す術しか、学ばないのだから。 「好きな、ように生きた。後、悔、なんざ、微塵も、ない」 言葉も、うまく紡げない。けれど、本当に後悔は、ない。自分は、好きに、楽しく、生きたのだから。 もう、最後だ。ならば、華々しく、散る。 「じゃあな」 小さく呟いて、鎌之介は、眼を閉じた。 その瞬間、それまで味方だったはずの、生まれた瞬間から側にあったはずの風たちが、鎌之介に対して牙を剥いた。 使いすぎた報い。乱暴に扱った報い。或いは、散ってゆく天人への、最後の恩恵。 透き通り始めていた鎌之介の体は鋭い風に切り刻まれて、そして、花弁になった。 鎌之介の髪の色のような、真紅の、美しい花弁に。 それが、自然の風に吹かれて、才蔵と佐助の間を抜け、川面に落ち、また森の中へ、緑深い木々の合間に、消えていった。 才蔵は、己が剣を構えると、そのまま大上段から振り下ろした。その刃先から迸った力は、才蔵の目先にあった岩を、真っ二つに裂いた。 「ふっざけんな!」 手の中に残った長い紅い髪に視線を落として、佐助は、言葉も出なかった。 その後、真田の生き残りがいると風の噂で流れたが、その行方は杳として知れず、また探されることもなかった。 徳川家康は死ぬまでその残像に怯え、忍頭の服部半蔵を側に置いたと言う。 「諸行無常、だねぇ」 一人の男が小さく呟き、盃を傾ける。そのすぐ側で、紅い花弁が幾枚か、風の中を踊っていた。 ようやく完結です。 長かったですが、納得のいく結末です。 自分的には。 基本天女伝説は幸福な最後を迎えないので。 こんな形になりました。 っていうか、才蔵が不幸なのがいい(苦笑) 鎌ちゃんは戦えれば幸せな子だと思っているので、それでいいかな、と。 そんな感じの最後でした。あ。最後の独り言は百ですよ〜 2017/11/26初出 |