*天理人欲-蛹化-*


 資料を探している時間が惜しい、と言い、里へと戻った百はまず、アナスタシアの治療に取り掛かることになった。対処できる方から対処する、と言う至極建設的な順番だったのだが、結果、鎌之介は何故か、里にある才蔵の家へと寝かせることとなった。
 家、とは言っても、ほとんど里にいない才蔵だ。寝るためだけの道具と、後は少しの忍道具や、時が経って枯れ果てた薬草などが散らばっているだけだ。小屋、と言っても過言ではないほどの小ささだ。忍として仕事をしている者のほとんどが里に持っている家は、こういった類のものだ。
 如何にか黴の生えていない布団を引っ張り出して鎌之介を寝かせてから、既に丸一日が経過している。それでも、眼を覚ます様子は全くない。
 あの時、倒れこんだ鎌之介の側にいた男の顔を、見ておくべきだった。だが、無防備に見えた男であるのに、隙というものが全く窺えなかったのだ。
 忍、には見えなかった。だからと言って、常人にも見えなかったのだ。一体、何者なのか………
「そんなに眺めたって、意味ないんじゃないですカ?」
「んなっ!てっめ、何時の間に!」
 頭上から降って来た声に振り返れば、何時の間に入ってきたのか、後ろに半蔵が立っている。引き戸の開く音にすら気づかなかった自分に、才蔵は舌打ちをした。
「俺の気配に気づかない程執心、ってことっすね。ま、いいデス。百が、アナの治療が終わったから来いって。資料探し手伝え、ってことですよ」
「げっ。俺ら、散々あさった後片付けてねぇじゃん」
「だーかーら、です。片付け込み、ってことですネ」
「こいつどうするんだよ?」
「寝てるだけでしょ?放っといたっていいんじゃないデスカ?簡単に死ぬような子じゃないでしょ?」
「………確かにな」
 どうせ、眼が覚めればまた五月蝿い位に追いかけてくるのだろう、と考えて、才蔵は腰を上げた。
 近隣の家の者に、異変があれば百の家まで知らせに来てくれ、とだけ告げて、溜息をつきながら百の家へと向かった。


 ………何だろう。懐かしい、気配がする。ずっと、ずっと昔に、近くにあった気配だ。これは、何だったっけ?
 そうか。思い出した。これは、手放しちゃいけなかったんだ。でも、あげてしまった。だって、何かお礼をしなくちゃ、と思ったから。助けてくれた、お礼を。
 でも、良かった。戻ってきた。これで、やっと………
「………あったかい」
 小さく呟かれた声は、誰に聞かれることもなく、霧散した。


 散々に怒られて、片づけをさせられ、ようやく夕食にありつき、かと思えば今度は探したはずの資料がなくなった、ともう一度家探しをさせられ、疲労困憊した才蔵が自分の家へと辿り着いたのは、既にとっぷりと夜も更けた頃だった。欠けた月は西の方へと大分傾き、虫の音もほとんど聞こえない。
「くっそ!あのアホ師匠!」
 どうしてあんなのが自分の師匠なんだ!しかも、自分よりも強いのが尚のこと性質が悪い!と憤りながら家の引き戸を開けて、才蔵はそれを、眼の前で再び閉めた。
「俺、疲れてんのか?」
 疲れている自覚は、少なからずあった。あちこち走り通し走っていたし、途中調子を崩したりもしていたのだ。決して、今が万全の状態だとは言えない。それでも、衣食住の全てが今は揃っていて、昔の食うに困っていた時期と比べたら、断然体調は良い方だ。
 そう考えて、大きく深呼吸をして、もう一度引き戸を開ける。そして、また閉めて、踵を返した。
 何軒もの家を通り越し、一本の畦道を飛び越えて、また何軒もの家を通り越した先、引き戸を開ける。
「師匠!来てくれ!」
「何事だい?」
 ようやく見つけ出した資料を読み耽っていた百と、何故かまだ居座り、興味深そうに幾つかの本を広げている半蔵が、同時に才蔵を見上げる。
「鎌之介が!」
 見たものをどう説明すればいいか分からずに、才蔵は、兎に角来てくれ、と言い、また走り出した。
 来たばかりの道を引き返す。後ろには、半蔵と百がついてくる。そうして辿り着いた自分の家の引き戸を、最大限引き開けた。
「こ、れは………」
 流石の百も、二の句が告げずに室内を凝視する。
 そこには、大きな、大きな、白い卵のようなものがあった。人の手では、到底周囲を測れない大きさだ。大して大きくはない才蔵の家のほとんどを、占拠している。しかも、それは床へは接触していない。何本かの細い、糸のような紐のようなもので、壁や天井に触れて、吊っているような状態だ。
「卵と言うか、繭、かな?」
「繭?何で?ってか、あいつは?」
「順当に考えて、あの中、ってコトになりません?ねぇ?」
「………だろうね」
 ふっ、と息を吐いて、手を伸ばそうとした才蔵の腕を掴む。
「やめておきな。今、あれには触らない方がいい筈だ」
「筈、って何だよ?」
「それを調べてたんだよ。あの子の正体も含めて」
「正体、って」
 離された腕を下ろし、長い前髪で表情の窺えない師の顔を見る。
「多分、あの子は、人間じゃないよ」
 自分が覗き見た記憶、手元にある本、施されていた刺青、そして、聞いたことのある嫌な話………それらを総合していくと、百には思い至る節が、あった。


 百から渡された本には、『男、天より来る女に出会う話』と題がふってある。それは、古今東西の様々な説話を集めた、説話集だ。まるで、子供に語り聞かせでもするような。
「そういう話は、各地に残ってる。少しずつ結末が違ったり、人物の名前が違ったりと言うのはあるけれど、大筋は同じだ。男が、天から来た女に会って、女を嫁にする」
「これが、どう関係あるんだよ?」
「あの子は風を、いつの間にか使えていたと言ったんだ。そんなこと、ありえない。お前さん達だって、今のその力は少しずつ身につけていったものだろう?」
 才蔵は光、アナスタシアは氷、半蔵は炎。それぞれが皆、師について教わり、自分に適した能力を見つけ、磨いた結果得たものだ。いつの間にか、知らない内に、力など得られるわけはない。
「なら、どうして使えるのか。生まれながらに素質があった、と考えるより他はない」
 生まれながらに素質のある状況とは、どういう状況か。例え、忍を育てる里に生まれたとしても、それだけで只人の持たない力を得て生まれるわけではない。元々は、只人と何ら変わりのない者なのだ。それを、努力や鍛錬で補い、高めているだけの話。
「話は簡単だ。人でなければ、人ならざる力を使える。で、その話だ」
「あいつが天女とかそういう馬鹿な話なわけか?ありえねぇよ」
「うわー。あの子には全っ然似合わない肩書きですネ」
「似合わなくても、そうだよ、多分。あの子の刺青は、そのせいだ。子供の頃から力が使えて、無理矢理にその力を押さえつけるために施された。その上、嫌な話のおまけ付」
「嫌な話?」
「天人の肉はね、食うと不老長寿を得られるそうだよ」












2017/1/28初出