*天理人欲-繭糸-*


 百の言葉に、才蔵と半蔵は、流石に息を止めた。殺しを生業にしてはいるが、流石に、そういった話には、関わったことがない。
「そういう話を、聞いたことがないわけじゃないのが、また痛い所でね」
 もう、何年も前になるが、諸国を放浪していた百の耳に、奇怪な話が飛び込んできたことがあった。
 “天人の里”と呼ばれる里がある。行ったことのあるという者も、帰ってきた者があるとも聞かないが、確かにその里は何処かにあるのだという。そして、その里では、天人を飼っているのだという。飼って、人では持ち得ない知恵や、様々な霊薬、恵みを齎してもらうのだと言う。飼われている天人がどうなるのかは知らないが、噂では、天人の肉は、人魚の肉のように、不老長寿を得られる妙薬になるのだと言う。
「そういう噂だった。所詮噂だと馬鹿にして聞いていたけど、どんなもんかねぇ」
「あいつがそうだとは限らねぇだろ」
「………まあ、これは私の予測だからね。それよりも、あの子があの状態でどうなるか、の話をした方がいいだろうね」
「そうだよ。あの中にいるんだったら、引きずり出すとか」
「お前は馬鹿かい」
 言いながら、才蔵の額を指で軽く弾く。軽く見えたのに、才蔵の頭は大きく後ろへと振られ、そのまま畳の上へと倒れこんだ。
「ぐっ…こ、の!」
「あれは、恐らく繭で、今は蛹の状態だ。はい半蔵君、此処で質問。君は蛹を無理矢理開けるとどうなると思う?」
「あー。死にマスかね?」
「はい、正解。じゃあ、才蔵君。蛹が無事に羽化したらどうなるでしょうか?」
「あ〜?蝶とかになるんじゃねぇの?」
 痛む額を押さえながら体を起こし、恨むかのように低い声で答える。
「はい、正解。今のあの子は、まさにその状態だよ。大人になれない虫は死んでいく。もしも無理矢理こじ開けて大人になれなかったら、あの子はきっと、死ぬよ」
 突き放すように冷たく言い放った百の言葉に、才蔵と半蔵は視線を見合わせて、溜息をついた。
「分かった。こじ開けるのはなし、ってことだな。じゃあ、どうすりゃいいんだよ?」
「どうもこうもないね。あの状態がどの位続くのかがまず分からない。一月か、一年か、はたまた十年かかるのか」
「そんなに待ってられるかよ!」
「そんなに待ってたらその内にこの国はなくなってますヨ」
 天井を仰いで叫んだ才蔵と、肩を竦める半蔵を見遣り、百は組んでいた足の位置を変えた。
「お前さん達、一体何に関わってるんだい?アナの怪我も、あれは異常だ。あんなになるほどの熱量なんて、お前さんの炎だって無理だろう?あれは、人の使える領域を超えているよ。それに、お前に半蔵、アナにあの子だろう?そんなに只人と違う者ばっかりで、何をするつもりだい?」
 ずばり指摘した百に、才蔵も半蔵も、隠した所でいつか知れるだろうと、事情を掻い摘んで説明し、出雲文字の解読も頼みたいと言えば、仕方なさそうに、百は了承した。
 アナの怪我の経過も見なければいけない。鎌之介の状態がこの先どうなるのかも、見通しがたたない。流石にそんな状態で、いつものように里を出て、放浪の旅に出るほど、百は無慈悲にはなれなかった。


 才蔵と半蔵を追い出し、百は一人、二人には見せなかった一冊の本を開いていた。
 これは、やはり何年も前に各地を放浪していた際に、辻にぽつりと出されていた茣蓙の上で、がらくたを売っていた怪しい男から手に入れた本だった。子供の使う玩具や壊れた器等と一緒に、無造作に置かれていたのだ。
 百がそれを手に取ると、男は、薄汚れた顔を上げて、にやりと笑んだ。
「それにあんたは呼ばれたんだ」
 そう言うと、男は御代はいらないと言い、即座に茣蓙の上に乗っていた他の物を手早く茣蓙に包んで丸めると、辻から走り去った。
 中身を見てもいなかった百は、代金もとられなかったのだし、と、その場で確認することをせずに、その日の宿で、初めて頁を繰って、言葉を失った。
 そこには、一人の男と天女の話が書かれていた。しかし、それは、今までのどんな書物にも書かれていないような、悲惨な最期を遂げる物語だった。
 才蔵達に話した通り、大抵の天女伝説は、ある男が、天から降りてきた女に恋をして、彼女の持ち物である羽衣を隠す。それがないと天へと帰ることの出来ない女は、泣く泣く男の嫁になる。そうして男との間に子供を設けるが、ある時男が隠した羽衣を見つけ、天へと戻っていく。
 それが、大筋だ。地方や地域によって話に差異はあれど、結果は大抵同じで、破局を迎える。
 しかし、百が手に入れた本に書かれた結末は、全く違った。
 途中までは、同じだった。女は泣く泣く男の妻になり、子を設ける。だが、女は羽衣を見つけることは出来ずに、天へも帰ることが出来なかった。女は、子供と共に、男の住まう村の者達に、閉じ込められてしまった。女が天から来た者だと、村人に知られてしまったからだ。そして、女は殺される。それも、自分の羽衣を隠してしまった、夫となった男に。そして、女は、天女の肉が不老長寿の薬になると信じた村の者達に、食われてしまった。勿論、その中には夫となった男もいた。
 では、生き残った子供は、どうしたのか。天女と人間の子供だ。悪いようにはされないかもしれないが、良いようにもされないだろう。けれど、その本には、子供のことは書かれていなかった。生き残ったのか、或いは死んでしまったのかすら。
 所詮、物語だ。たとえ、子供に聞かせるにはそぐわない、悲惨で残酷な結末であったとしても。
 そう考えはしたが、結局百は、この本だけは何が何でも持ち歩き続けた。あまりにも文字が稚拙で、文章が真に迫りすぎていて、それが尚のこと、その物語を事実のように思わせたからだ。
「もしも………」
 もしも、この本に出てくる天女の末裔が、鎌之介だとするならば、才蔵が遭遇したという白い頭巾の男は、恐らく“天人の里”の者だろう。
 そうであるならば、再度、何がしかの接触を試みてくる可能性は、あった。
「………面倒なことになりそうだね」
 せめて、鎌之介のあの状態がどれ程長く続くのか、或いは、その先が分かる資料があれば対処の仕様もあったが、今の所、打てる手があるようには、思えなかった。


 自分の家を、不可思議な繭で占領された才蔵は、最初、空いている所にでも布団を敷くかと考えていたが、到底出来そうにないことに溜息をつき、自分の家の屋根の上で寝転がり、夜の空を見上げた。
「くっそ!」
 何が悲しくて、己が古里の己が家の、屋根で寝なければならないのか。真冬でないことは不幸中の幸いだが、だからいいというものではない。
 空には、満点の星が輝いている。月が欠けているから、見えやすいのだ。それがまた、才蔵の心をささくれさせた。
 こんな所で、足止めをされている場合ではない。早く、勇士を全員揃えて、伊佐那海を取り戻しに行かなければならないのだ。だと言うのに、ようやっとアナの治療が始まったかと思えば、今度は鎌之介だ。甚八は戻る気がまだないようだし、この分では、到底、集まる日が近いとは思えなかった。
「きゅい」
 聞きなれた声が聞こえて体を起こせば、どうやって上ってきたのか、そこには見慣れた小動物の姿。
「報告か………いや………おっさんなら」
 もしかしたら、と言う希望を籠めて、才蔵は手を伸ばした。












2017/1/28初出