圧倒的な力の差。圧倒的な絶望。圧倒的な無力。それを痛感させられ、それでも、倒れることを許されない。一人、また一人と削られていく力を、命を、遊戯を楽しむかのように笑う女を前に、どうして、膝を屈することが出来ようか。 刃を土へ突き立て、柄に手をかけ、歯を食いしばり、そこまでして立ち続ける部下達を前に、決して幸村は、その場から動くことをしなかった。 力は、集まる。必ず。戦国の乱世。血で血を洗い、濯ぎ、勝ち取った者、負けて命を落とした者、その誰もが各々の意志を持ち、貫き、辿り着いた今、この時間を、簡単に闇に押し潰され、消されてなるものか。 闇は、全てを塗り潰す。意志も、願いも、選択も、希望も、未来も。もしも、今此処で止められなければ、未曾有の混沌では済まされない、真の闇が訪れ、生きとし生けるものが命を失う事態にもなりかねない。 自分には、力がなかった。だが、力を集める術は知っていた。そして、それこそが、自身に与えられた役目であることを、運命とでも呼ぶべきものなのだと、理解していた。 自分が、彼らにとっての楔だ。彼らが立ち続け、戦い続け、其処にあるための。 ならば、自分は此処にあり続けなければならない。彼らが決して後ろを見ないように、前へと進めるように。 「才蔵、行けるか」 「うる、せぇよ、オッサン」 「うむ。大丈夫だな」 刃を構え、姿勢を正した才蔵を見て、幸村の視線は上空で微笑む黄泉の女神へと向けられた。 その時、何かが、幸村の視界を掠めた。 城も、木々もなくなった土地を見た。あそこにいた人間は、敵も味方もなく、一人残らず死したのだろう。そんな、空白の土地だった。 死ぬのは、嫌だ。自分の思う通りに生き、死んでいけるのならば、悔いはない。だが、見てきたのは、志半ばで命を落とした者、悲しみを抱いたまま死んだ者、自らの命で終わらせた者、様々だった。満足だ、と言える顔で死んでいった者など、見たことがなかったのだ。 だからこそ、自分は……… 「邪魔は、すんなよ、母さん」 吾子、と呼ぶ声がする。生へと引き止めようと、戦場から引き離そうと、羽衣が震えている。仕方がない。あの人の血を浴びた。意識が残っているのは分かる。けれど、そんなものは足枷でしかない。 「俺は、あんたとは違うんだ」 帰る路は、自分の手で断った。母親のように、誰かに路を断たれ、囚われたりしない。 「見つけた」 遠く、遠くに、気配がする。そこにだけ、様々な生き物が蠢き、そして、様々な生き物の命が奪われている。 その真っ只中へと、鎌之介はその身を躍らせた。 白い、衣。そう認識した瞬間、大きく広がったその布が、その場にいる才蔵達を頭から包むように降って来た。 「何だ、これ!」 すぐ側にいた佐助も、布の内側でもがくようにしている。 「くっそ!」 何とか布の端を見つけて顔を出し、取り払うと、其処に、紅い髪が靡いていた。 「おっしゃー!やるぜ!」 「鎌之介?」 才蔵の声に振り返った鎌之介が、口角を上げて笑う。 「傷、治ったろ?」 「え?あ?」 言われてみれば、あちこちにあった擦り傷や火傷が、綺麗に治っている。それは、すぐ側にいた佐助も同様で、呆然としていた。血を吐いていた六郎も、呼吸が楽になったようだ。半蔵の怪我も、治っている。けれど、流石に、既に命を落とした者達は、戻っていない。 それを一巡りして確認し、鎌之介は小さく息を吐いた。結構、嫌いじゃなかったんだけどなぁ、と。 そして、上空を見上げる。 「よう、馬鹿女」 「何じゃ、お主は?」 「やっぱ、馬鹿女は馬鹿女だな。巫女だろうが女神だろうが、馬鹿は馬鹿だ」 「何、じゃと?」 憤ったと思しきイザナミが腕を動かすより先に、鎌之介が動き、イザナミの体を吹き飛ばしていた。 「おーおー。やっぱ、土が似合いだぜ」 「お、のれ」 吹き飛ばされ、建物の屋根を突き抜けて地面へと落ちたイザナミが、立ち上がる。 「貴様、その力、天の力であろう?何故、妾の邪魔をする」 「あー。俺が、てめぇを嫌いだからだよ!」 背後から襲いかかってきたスサノオを風で吹き飛ばし、地面へと叩きつける。 「そのまま、潰れろ」 風圧に押し潰され、スサノオの体が地面へとめり込んでいく。その隙を見逃さずにイザナミは黒い槍を飛ばすが、それは全て、白い衣が弾いた。 「なっ!」 「悪いな。こいつ、俺のこと守るためなら、勝手に動くらしいんだ」 動いた白い衣が刃のように鋭くなり、黒い槍を粉々に切り刻む。 「才蔵!そのまま、そいつ斬っちまえ!」 「はん、偉そうに」 怪我が治り、柄を握る手に力がこもる。その勢いを殺さずに、才蔵の刃が、スサノオの胸を貫く。 断末魔が響き、体が痙攣する。だが、それも暫くのことで、すぐに、動かなくなった。 「あ、あぁあああ!スサノオ!」 イザナミの叫び声が、闇を呼ぶ。だが、それらは全て、鎌之介の風が彼方此方へと吹き飛ばしていく。そうしながら、鎌之介はゆっくりと地上へ下りた。だが、その足は土へはつかない。 「鎌之介、お前、大丈夫か?」 「大丈夫じゃねぇよ?歩けねぇし」 「歩けない?」 「浮くのは出来るんだけどなぁ。歩けないんだよ。まあ、浮いていられるからいいんじゃね?」 「よくねぇだろ!」 「鎌之介、よく戻った」 「おう、オッサン!」 「しかし、何というか、凄い格好だな」 以前の鎌之介からは考えられない程の、扇情的な格好と言おうか、眼のやり場に困る衣装とでも言おうか、気にしていないだろう鎌之介の無邪気さに、幸村は頭を抱えたくなった。甚八などは、口笛を吹いている。筧が生きていれば、小言が飛んでいただろう。 「髪も、ちょっと切ってもすぐ伸びるから止めた」 踵を超えるほどの長さの髪は、風に吹かれているせいで、何とか地面へつかずに済んでいる。 「才蔵達から話は聞いている。鎌之介、勇士として全力を尽くせ」 「暴れられるなら、何でもいいぜ、俺は」 「イザナミを、止めるぞ」 泣き叫び、闇を呼び続けるイザナミの周囲は、既に漆黒に変わっていた。鎌之介の風が闇を弾き飛ばしているから、幸村達の周囲は無事で済んでいた。 「イザナミを、伊佐那海に戻すことはもう出来ん。此処まできては、止むを得んだろう」 伊佐那海の声は、もうずっと聞こえてきていない。完全に、イザナミに呑まれてしまったと考えるべきだ。ならば、するべき事は、一つしかない。 「黄泉の神には、黄泉へ戻ってもらう」 在るべきものは、在るべき場所へ。それこそが、この世の理。曲げることの出来ない、曲げてはならない、真理。 「六郎、大丈夫だな?」 「御意に」 泣き叫ぶ女神へ全員の視線が向けられた。 ![]() 2017/8/26初出 |