その日は、穏やかだった。勇士全員が上田の地におり、天気も快晴、時折幸村を叱る六郎の声が屋敷の中に響くことすら、平和の象徴のようだった。 甚八は、ヴェロニカと散歩するべく、十蔵が鍛錬している射撃場を後にした。 自分が彼方此方を船で行き、手ずから仕入れた銃をあそこまで器用に使いこなす男の腕前は、見ていて気持ちがよかった。だが、だからといっていつまでも後ろから見ていたのでは、彼も気が散るだろう。 そう、気を利かせて出てきて幾らも行かない内に、ヴェロニカが何かの匂いを感じとったのか、鼻をしきりに動かし、甚八の向かっていたのとは違う方向へ歩き出す。 何か、美味しそうな獲物でも見つけたのだろうか。だが、この森には佐助の放している彼の動物達もいるはずだ。誤ってヴェロニカが口に入れようものなら、佐助が泣くことは間違いないだろう。 走り出さない所を見ると、獲物を見つけたというわけではなさそうだった。 だが、このまま行けば、森の中で迷うことにもなりかねない。森の中はそう深く広いというわけではないが、甚八はここへ来てまだ日が浅い。絶対に迷わない、という保障はなかった。 「おい、ヴェロニカ。戻る、ぞ………?」 一本の木に近づいていったヴェロニカの後を追うと、そこには、無防備に木に背を預けて眠っている姿があった。 特徴的な紅い髪に、左目を縁取るように施された刺青。勇士の一人、由利鎌之介。 「へぇ」 寝ている時は、若者らしいじゃないか、と甚八は、煙草の煙を燻らす。 正直、鎖鎌を振り回して、才蔵に「殺りあおうぜ」と、襲い掛かっている姿しか見たことがないので、こんなに静かな姿は、あまり見たことがないのだ。 まあ、時折、六郎の技を食らって強制的に静かにさせられていることはあるけれども。 すると、ヴェロニカが近づいて、鎌之介の胡坐の上に乗せられた手元へと、鼻を寄せている。 見れば、そこには小さな生き物がいた。確か、それは佐助の飼っている動物の一匹で、佐助のつけた本当の名前は忘れたが、鎌之介は勝手に“にょろ”と呼んでいたはずだ。 「掴まっちまったのか」 時々、才蔵に相手にされず、やることもなくて暇な鎌之介が、この動物を追いかけている姿は見ていた。相当、気に入っているのだろう。 毛皮にしたい、という意味でかもしれないのだが。 それがわかっているのか、その小動物は必死に、鎌之介の手から逃れようと小さな手足を動かしている。だが、眠っていても手の力を緩めていないのか、中々抜け出せないようだった。 「今助けてやるよ」 鎌之介を起こさないように、その指を一本一本、解いてやる。すると“にょろ”は器用にそこから抜け出し、森の中へと駆け込んで行った。佐助の元へ帰るのだろう。 すると、指を解いたことで均衡を失ったのか、鎌之介の体がゆらりと傾いで、地面へと叩きつけられようとする。 「………っぶねー」 幾ら勇士といえども、頭を地面に強打すれば、無事ではすまないだろう。特にこの青年は、頭の中の螺子が緩んでいそうだから、余計緩むことにもなりかねない。 地面に叩きつけられる寸前で受け止めた甚八へ、ヴェロニカが賞賛するような視線を向けてくる。 「ま、この位はな」 静かに地面の上へ横たえてやると、上衣の裾が捲れて、腹が丸出しになる。 「こいつは風邪をひかんのか?」 甚八とて人の身形をどうこう言える格好をしているわけではないが、鎌之介は薄着だ。腹を丸出しにしていて、よく風邪をひかないもんだ、若い者はいいねぇ〜などと、暢気な感想を抱いて、着物を元へ戻してやろうとしていた甚八の視線が、面白い物を見つける。 「ほう」 白い肌に、赤い痕。それは、明らかな情交の痕跡。それも、一つ、二つではない。 「青春だねぇ」 才蔵曰く“変態”の鎌之介にも、相手をしてくれる女性の一人や二人、いるということなのだろう。 だが、と甚八は思い至る。鎌之介が夜半に屋敷から出て行く姿など、見たことがない。朝帰りをしているということもない。そんなことがあれば、六郎辺りが説教をしているはずだ。勇士としての自覚が云々、と。 それがないということは、鎌之介は花町になど出向いていないことになる。とすると、屋敷内の女中に手を出しているのかとも思うが、それこそそんなことがあれば、幸村の耳に入るだろう。では、他の女性は………というと、勇士である伊佐那海とアナスタシアだが、この二人は論外だろう。伊佐那海は巫女だというし、アナスタシアは男に触らせないだろう。 自分ですら、まだまともに相手にされていないしな………と、つれないアナスタシアの態度を思い出し、一人肩を落としながら、なら、誰が相手をしているんだ?と思い巡らしても、相手と思しき女性に見当がつかない。 まあ、そんな下世話なことを突いても仕様がないか、と思い至った甚八は、立ち上がって、ヴェロニカとの散歩を再開することにした。 揺らめく煙が、遠のいていく。それが完全に消えてなくなるのを見届けて、才蔵は木の枝の上で体を起こし、木々の合間へと姿を消した。 まだ、仕事が残っていた。 たとえ、どんなに、心の奥底に、黒く、暗い感情が、沸き上がっていたとしても。 暗い。瞼を上げても、下ろしても、暗い。逃げようともがいても、腕も、足も、動かない。 何で、と問いかけようにも、開いた口からは、まともな声など一つも出てこない。 出てくるのは、甘く艶かしい、喘ぎの声。 それが、自分の喉から零れている声なのだとは、鎌之介には信じられなかった。 視界を黒い布で覆われ、両腕をきつく縛り付けられ、うつ伏せになり、高く腰を突き上げるようにして責め立てられてから、もう、どれほど経っただろうか。それほど経っていないのかもしれなかったが、とうに鎌之介の中に、時間の感覚はなかった。 痛みと、快楽が交じり合って、気が狂いそうだった。いや、既に、狂っていた。 下肢の感覚はなくなり、蕩けきって、動かすことすらできず、喘ぎの合間に出てくるのは、言葉のようで言葉にならない、自分を責め立てている相手の名前。 それは、快楽を強請るようでもあり、やめて欲しいと、懇願しているようでもあった。 そうして、その夜、何度目かわからない熱が、鎌之介の体の奥深くで弾け、注がれる。 その瞬間、鎌之介の目の奥で、白い光が弾けるような感覚があり、四肢が弛緩した。 力を失い、褥の上に落ちた身体を見下ろす才蔵の双眸には、獰猛な光が宿っていた。 目の前に放られた力ない獲物を、喰らいつくそうとでも言うような、翳りのある、狂気の光が。 だが、一つ呼吸を吐いて、冷静さを取り戻すと、膝を折る。 腕を縛り付けていた布と、目元を覆っていた布を外し、気を失った身体の線を、指先でなぞる。 「男は皆狼だって、覚えとけよ」 それは、決して自分も例外ではない。妬心で我を忘れ、華奢な身体を貪る、狼だ。 この肌が、人目に晒されたことすら許せない、狂犬だ。 「痕、ついちまったな」 細い身体を労わるように膝の上へと抱き上げて、きつく縛り上げた手首に残った痕へと一つ、口づけを落とした。 ![]() 2012/3/3初出 |