里へと戻っていた才蔵を追った伊佐那海を追って出て行った数人が戻って来た時、甚八は確信を抱いた。 他の者が気づいたかどうかは、知らない。それを教える義理はなかったし、何より、甚八は海賊だ。奪うことが本業なのだから。 やっぱり、ここには面白いことが転がっている。目の前に転がっている面白いことは、楽しまなければ損だった。 伊佐那海が、相変わらず才蔵の周りを動き回って、根負けした才蔵が、伊佐那海に自動的にくっついてくる清海や弁丸とともに、城下へ向かっていく。その中に、鎌之介の姿が見えなかったことを確認して、甚八は腰を上げた。 「何処へ行くのだ、甚八?」 「ん?ちぃっと散歩してくるわ」 銃の手入れをしていた十蔵にひらりと手を振って、歩き出す。縁側が気持ちいいのか、甚八が腰をあげても、ヴェロニカについてくる気はないようだった。きっと、主の心中を察したのだろう。 咥えた煙草を一吹かしして、ゆっくりと視線を動かす。 才蔵たちと出かけなかったということは、城内のどこかで寝ているのだろう。まだ陽の高い時間帯だ。室内よりも外で寝転がっている可能性があった。 しばらく城内を散策して、その姿を見つけた先は、案の定日当たりのいい、人気のない場所だった。 最初に女と勘違いして鎌之介を口説いた時の甚八は、かなり本気だった。気も強く、口も悪く、目に刺青をしている女など、そうそういるものではない。海賊に向いている、と思った。後から聞いた話だと、元々山賊の頭をしていたというから、甚八に感覚は近いのだろう。勇士の中でも、鎌之介の存在は異彩を放っている。 手を伸ばして、髪に触れる。赤くて硬質な印象を抱かせるそれは、思いの他柔らかかった。そのまま滑らせて、頬に触れる。 女の、肌だった。 「ん………」 起きるか、と思ったが、まるで猫の子のように、頬に添えた甚八の手に、頬を擦り付けてくる。 その仕草が、甚八を完全に捕らえた。 恐らく、誰かと間違えているのだろう。その相手も、誰だかわかっている。それでも、まどろんでいる女にそんなことをされて、喜ばない男はいない。 相手が、これから奪おうと思っている相手ならば、尚更だ。 頬に添えていた手を顎へと滑らせて、甚八は、緩やかな呼気を吐き出す唇を、自分の唇で、覆った。 苦しい………そう思って目を開けた瞬間、目の前に人の顔があって、鎌之介は一瞬、何が起きているのかわからなかった。 それが、甚八の顔だとわかるのに瞬き一つ分かかり、そして次に、口が塞がれているのだとわかるのに、数秒を要した。それも、手や布で、ではない。 「んー!」 腕を振り上げて殴ってやろうとして、その腕が掴まれる。ならば、と足を上げようとして、唇が離された。 「な………っ!」 何しやがる、と口にする前に、離れたはずの唇が、また触れてくる。 まともに呼吸をする間もなく、再び唇を塞がれて、すぐに息が苦しくなる。だというのに、甚八は、唇の合間から、舌を差し込んできた。 「ふっ!んんっ!」 熱い舌が、気侭に口内を行き来する。逃げようと身体を引こうにも、片腕がいつの間にか鎌之介の腰を抱いていて、後ろへは引けなかった。その上、もう片方の手が、頭を押さえている。 息苦しさと、口内の熱さに眩暈がして、腕にも、足にも、力など入らなかった。 「ふあっ………」 甚八の唇が離れると、そのまま浮き上がろうとしていた腰が地面に落ちる。 「そういうのは、他人に見せないほうがいいぜ」 「はっ………何?」 「そこ。肩のそれだよ。背中についてるからお前さんは見えないんだろうが、その着物肩が開いてるからな。動くと見える」 とん、と肩を叩かれて、首を傾げる。 「わかんねぇか?」 何の話をしているのか、鎌之介にはさっぱりだった。 「口づけの痕、残ってるぞ。それ、才蔵だろ」 「は?」 後ろを振り返っても、背中の痕など鎌之介にはわからない。見えないのだから。 「才蔵と、寝てるだろ?」 「なっ………何でそんなことオッサンに言われなきゃ………」 「俺の口づけはどうだった?」 「へ?」 「腰、砕けてるだろ、まだ?」 「っ!」 「もう一回するか?」 「な、何言ってやがる!」 一歩後ろへ下がるが、そこには壁があるだけだ。逃げ場などない。だが、甚八は距離を縮めてくる。 「男は才蔵一人じゃないぜ」 甚八の腕が伸びて、鎌之介の頭を撫でる。大きな手は温かくて、穏やかだった。 「あいつとは違う快楽を、教えてやるよ」 降りてきた三度目の唇を拒む術を、鎌之介は知らなかった。 思っていた以上に、遊びではすまなそうだと、甚八は思っていた。 最初は、軽く手出しをする程度で終わらせようと思っていたのが、思いの外、鎌之介の反応の初々しさに、楽しくなっていた。 ふと、意地の悪い考えが頭をよぎり、自室へ向かおうとしていた足を、別の方向へ向ける。夜もとっぷりと更けた屋敷の中に、人の気配は乏しい。起きているのは、城の周囲を見回っている忍隊の者か、仕事を終えていない数人の用人程度だろう。 その考えは的中し、目的の人物に会うまで誰ともすれ違うことはなかった。 「遅くまでご苦労だな、お前さんも」 案の定、夜半の警護についていたらしい才蔵に行き会った。もしかすると、まだ途中なのかもしれなかったが、甚八にはそんなこと関係がなかった。 「まだ寝てなかったのか、オッサン」 「まあ、な。ちょっと、お前さんに聞きたいことがあってな」 「聞きたいこと?珍しいな」 さて、どう揺さぶりをかけるか………そう考える甚八の口をついて出たのは、あまりにも直截的な言葉だった。 「鎌之介と寝ただろ?」 「………は?」 一拍遅れて返ってきた、間の抜けた返事。それは、言われたことが事実だと認めるのと変わらなかった。 「な、何だよ、急に」 「急、ってわけでもないんだけどな。少し前から気になってたことだ」 最初に、鎌之介の肌に痕を見つけたのは、大分前の話だ。才蔵が伊賀の里へ立つ前の話だから、一月以上前の話だ。 「最初に見た時も女と間違えたが、今のあいつを見る限り、俺には男とは到底思えねぇんだよな」 実際、触れた唇は、柔らかかった。肌から香る匂いも、女のそれだった。 「それで、俺に何を言いたいんだよ?」 先程までとは打って変わり、才蔵の気配が殺気をも含んだような、刺々しいものに変わる。 「いいや。俺は海賊だ。奪うのが仕事だ。奪う獲物は、美味しい方がいい」 「っ!」 それは、甚八が鎌之介を“女”として見、自分のものにしようとしていることの、宣言だった。 ![]() 2012/4/28初出 |