*交錯*


 どうして、甚八が口づけてくるのか、鎌之介にはわからなかった。けれど、別に嫌だとは思えない。
 元々、殺すのが好きなのは、気持ちがいいからだ。悲鳴を聞くのも、血が流れるのを見るのも、心地いい。それは、生きている証拠だ。だから、気分が良くなる。
 才蔵に最初に抱かれた時は、意味のわからないまま終わった。身体の違いを見せ付けられて、混乱している内に。自分の身体が女の身体だと認識すると同時に、だから何だと、鎌之介は思った。
 殺すのが好きで、快楽の好きな自分の何が変わるんだ、と。
 別に、変わらなかった。ただ、日常に才蔵と殺しあう以外に、寝ることが多少増えただけだ。そうすれば、自分の中の鬱屈とした気分が晴れるから。
 甚八の口づけも、それと同じだった。何も変わらない。気持ちがいいだけだ。
 だから、することに罪悪もない。
 だから、何故才蔵が怒っているのか、わからなかった。
 闘おうと姿を探しても、見かけない。夜も夜で部屋にいない。言葉すら、交わしていない。任務で出かけているわけではない。食事時には姿を見かけるのだから。けれど、気づくといないのだ。元々忍だから、気配を断つのは得意なのだろう。でも、だからといってそこまで、徹底的に無視されるほどの何かをした、という意識が、鎌之介にはないし、原因に思いつく節もない。
 けれど、また、胸の奥に、大きな、大きな穴が開いたことは、確かだった。


 才蔵が、あれから一言も鎌之介と口を利いていないことに、甚八は気づいていた。恐らくは、甚八の言葉が効いているのだろうと、見当はついていた。
 そして、これこそ機会、とばかりに、一人でいる鎌之介の腕を掴んだ。
 戸惑っている。迷っている。それが、よくわかった。
 鎌之介は、わかっていない。恐らく、自分の感情に気がついていないのだろう。感情より先に、感じる快楽が先立つのだ。
 だから、眼の奥に、不安そうな色が漂う。安心しろ、というように頭を撫でてやると、心地がいいのか、少し、安堵の色が見え始める。
「なあ」
「ん?」
「これ、何なんだろうな」
「これ?」
「胸の奥に、ぽっかり穴が開くんだ、時々。んで、酷い時はさ、そこに風が吹くんだ。冷たい風が。何でかわかるか?」
「埋まらねぇのか?」
「この間は、埋まった」
「この間?」
「才蔵が里に帰った時。帰って来る途中で、いつの間にか埋まってた」
 そう。いつの間にか開いていた穴が埋まって、そこから熱の塊が噴出してくるようにすら思えたのだ。けれど、今、再び開いた穴に熱の塊など、ありはしない。
「埋めたいのか?」
「方法がわかんのか?」
「ま、物は試しって言うからな」
 不安と期待を塗りこめたような鎌之介の双眸に、咥えていた煙草を揉み消して立ち上がる。
「俺と一度、寝てみるか?」
 その気があるなら今夜部屋に来るといい、と言い置いて、甚八は鎌之介に背を向けた。
 甚八には、確信があった。
 鎌之介は来る、と。


 綺麗な、白い肌だった。戦いの傷はそこかしこにあるのだが、滑らかなのだ。
 アナスタシアのような豊満な体ではない。けれど、甚八の欲をそそるには、十二分な身体だった。
 額、頬、唇、喉元、肩口から鎖骨、柔らかい二の腕の内側から手首まで、満遍なく唇を落とす。場所によっては、強く吸い上げて、赤い痕を残した。
 そこへ、音も立てず、気配もさせずに、いつの間にか滑り込んできたらしい影が、甚八の背に刃を向けていた。
「何してんだ、オッサン」
「ったく………これからって時に邪魔するかね?」
「あんたは、自分の女に手出されて黙ってられんのか?」
「いいや。相手を叩き潰すね。奪うのは好きでも、奪われるのは御免だ」
 刃が収められ、目の前にいたはずの鎌之介が才蔵の腕の中に攫われる。
「二度と、手出すなよ」
「ま、しょうがねぇな。おい、鎌之介」
 眼を丸くしていた鎌之介が、才蔵に押し付けられた服を着ている。
「胸の穴、埋めたいんだったらそいつに何とかしてもらえ」
「は?」
「才蔵のこと、好きなんだろ?」
「す、好き?」
「才蔵も。お前さん、こいつにちゃんと教えないと、これから先、俺以外にも手出す奴が増えるかもしれんぞ」
「させねぇよ」
 上だけどうにか羽織った鎌之介を抱えるようにして、才蔵が部屋を出て行く。
 煙草を一本取り出して口に咥え、煙を吐き出した。
「あーあ。結構、本気だったんだけどな」
 損な役回りだ、と甚八は一人、苦笑した。


 音もなく襖を閉め、引いていた腕を放した反動で、突き飛ばすように、鎌之介の細い身体を室内の中央へ押す。
「何すっ………な、何怒ってんだよ?」
 振り返った鎌之介が見たのは、最初に闘った時と同じか、それ以上の冷たい瞳をした、才蔵だった。
 今にも、刃を閃かすのではないかと思えるほどの。
 けれど、それで後退するような鎌之介ではないし、怯むこともない。
 だが、鎌之介が口を開くよりも先に、才蔵が動いた。
 敷かれていた床の上に、鎌之介の身体を押し倒したかと思うと、問答無用で衣服を脱がしにかかる。軽く羽織った程度のそれは簡単に剥ぎ取られ、白い肌が露になる。
そして、そこに残された赤い痕を見て、才蔵は冷たい双眸に殺気を宿らせた。
「お前、自分が何してたかわかってるか?」
「は?」
「男と女が、何で肌を合わせるか、わかってんのか?」
 今更といえば、今更な質問だった。今までに何度も、才蔵は鎌之介を抱いているのだから。
 けれど、憮然とした鎌之介の口から出てきたのは、才蔵の予想をはるかに超えるほど、素っ頓狂なものだった。
「んなこと知らねぇよ」
 本当に、心底、わかっていない口ぶり。
 教えたつもりだった。男と女の違いを。抱く理由や抱かれる理由を。
 しかし、わかっていなかったのだ。本当の意味での男女の仲、ということを、理解していなかった。
 だから、安易に他の男の部屋などを訪う。
 態度にも示してきた。言葉にもした筈だ。それでも、鎌之介には通じなかったらしい。それでは、どんなに才蔵が他の男を牽制しても、無意味に終わるだろう。
 本人に、自覚がないのだから。これでは、甚八だけを責めるわけにはいかない。
「腹が立つな」
「は?」
「腹が立つ、って言ったんだよ。お前が何にもわかってないのがな」
「俺が何をわかってないって言うんだよ?」
 押さえ込まれていることに苛立ちを感じているのか、鎌之介の双眸が細くなる。だが、才蔵には離すつもりなどなく………
「一晩かけて、じっくり教えてやる」
 眠らせるつもりも、毛頭なかった。












2012/5/12初出