*赫灼*


 漸く、一番大きかった背中の傷口からの出血が止まり、傷口が塞がり始めたことで、湯につかることが許された鎌之介は、替えの着物と手拭を持って立ち上がり、はたと気づいた。
「俺、どっちに入ればいいんだ?」
 今までは男だと思っていたから、勿論男湯に入っていた。だが、女だと言われたのならば、女湯に入るのが筋なのだろうか。それとも、このまま男湯に入り続けていていいものなのだろうか。
 今まで男湯に入っていても鎌之介が自身を女だと思わなかったのは、屋敷の湯船が小さく、どうやっても一人ずつしか入れなかったからだ。けれど、何となく、知ってしまったからには今までと同じようにはいかないような気だけは、した。
 頭を抱えてその場に蹲った鎌之介を、様子を見に来た才蔵が見咎めた。
「お前、何してんだ?」
「あ、才蔵」
「傷が痛いのか?」
「いや………なあ、俺、湯はどっちに行けばいいんだ?」
「あ?」
 問われて、才蔵もはたと気づく。幸村、六郎、才蔵しか知らない鎌之介の性別だ。男だと思っている鎌之介が女湯から出てきたら、他の者に訝しく思われるだろう。だが、だからと言って男湯に入って、今までにはなかったが、他の誰かとばったりと出くわしたりするかもしれない。そうなった時に、鎌之介が何かうまい言い訳を考えられるとは、到底思えなかった。
「ちょっと待ってろ。オッサンか六郎さんに聞いてくるから」
 才蔵も、いい案がすぐに浮かぶわけではない。あの二人なら、何か案を出してくれるかもしれないと、幸村の部屋へ向かった。


 結局、鎌之介は男湯に入り続けることになり、打開策として、他の者と顔を合わせないように風呂場の入口に、使用中の札をかけることにした。男湯だけそうすれば怪しまれることは必至なので、勿論女湯も同様に。
 久しぶりにつかることの出来る湯に、鎌之介は上機嫌だった。
 だが、体を洗い、湯につかった時に、視界に入ったそれに、鎌之介は溜息をついた。
 洗っている時は然程気にならなかったが、手持ち無沙汰になると、どうしても気になってしまうのだ。
 胸の膨らみ、というものが。
 むにゅり、と両手で掴んでみて、離す。アナスタシアや伊佐那海と比べると、如何見ても小さいのに、これが女の胸だというのだろうか。
 こんなに、薄くて平たくて、盛り上がりがないのに。
「俺、本当に女なのかな?」
 鎌之介は、疑っていた。自身が女であるということを。それでも、そんなことで六郎が嘘をつくとも、才蔵が騙すとも思えない。幸村なら別だけれども。
 肩まで沈み、逆上せそうになる寸前で湯から上がり、着物を羽織る。背中の傷は自分では見えないが、少し引きつっているような気がするから、相当大きかったのだろう。
 胸のことは頭の隅に追いやって、鎌之介は風呂場から自室へ向かった。
 考えると、ろくなことになりそうになかったからだ。
 ぐるぐると、考えるだけ考えて、結局何もわからなそうな気がするのだ。
 足音荒く廊下を歩いていると、向かいから来た六郎に呼び止められる。
「鎌之介!貴女、廊下が濡れてるじゃないですか!」
「え?」
「どうして髪の水気を拭って来ないんです」
 言われて振り返ると、きちんと水気を拭わなかった髪から滴り落ちた雫で、廊下が転々と濡れている。
「めんどくせぇ」
「面倒くさいじゃありません。手拭をお貸しなさい」
「え〜?」
「鎌之介?」
「うっ」
 にっこりと微笑まれて、仕方なしに持っていた手拭を渡すと、腕を引かれて縁側に座るように促される。
「全く………次からは自分でやって下さい」
 座った鎌之介の頭に手拭を乗せ、六郎が丁寧に水気を拭っていく。
「そのままでいいのに」
「誰が濡れた廊下を拭くと思うんです?普段であれば勿論貴女にやらせますが、怪我人の貴女にやらせるわけにはいかないでしょう」
「………悪い」
「構いませんよ。今はちょうど、手が空いた所でしたから」
 溜息混じりに六郎が零し、手拭で髪の毛の先を包む。
「おっさんは?」
「若でしたら、来客中です」
「ふぅん」
 軽く指で紅い髪を梳き、ふっ、と六郎は笑みを零した。
「小姓?」
「鎌之介の髪は、綺麗ですね」
「え?」
 鎌之介が首を巡らすと、六郎が穏やかに微笑んでいた。
「櫛をきちんと通せば、痛みも少ないと思いますよ。さ、いいですよ。もう、今日は大人しく寝ていなさい。湯に浸かるのも体力を使うでしょうから」
 濡れた手拭を持ち、六郎が立ち上がる。風呂に入る前までに鎌之介が来ていた着物も受け取り、どうせなら両方洗い物に回してしまおうと、六郎は濡れた廊下を拭くべく、鎌之介に背を向けた。
 その時、鎌之介が髪の先を指先で摘み、眺めていることには気づかずに。


 鎌之介は、自身の髪に櫛を通したことなどない。それは、勿論、男の癖に櫛を使うことなどなかったから、ということもあるだろうが、山で暮らしてきた鎌之介にとって、櫛というものが馴染みある物でもなかったのも要因だろう。
 櫛、というのは高価な物だ。だから、物がよければ高値で売れる。玉が使われていれば余計に、だ。鎌之介にとって櫛は、略奪品の一つ、という認識だった。
 だからこそ、最初に才蔵達と出会った時には、伊佐那海の髪を纏めていた櫛を奪うつもりだったのだ。
 けれど………と、鎌之介は少し長い自分の髪の先を掴む。
 この国で、紅い髪は珍しい。山賊仲間にも揶揄されたことがあるが、鎌之介自身、異国の血が自分には混じっているのではないかと思ったことがある。それが原因で捨てられたんだろう、と馬鹿にされたのだ。
 その時は、だから如何した、と思ったし、そんなことは如何でもよかった。山賊として箔がつくと思っていたし、目立つのは嫌いではなかったからだ。
 此処へ来てからそんなことを言う者は一人もいなかったが(妙な連中が集まっているからだろう)、そんな、揶揄され続けた自分の髪を、六郎は綺麗だといった。
「っ………何だ、これ?」
 ばくばくと、鼓動が大きくなっていく。まるで、体中の血液が沸騰しているみたいに。
 髪から手を離し、潜りこむように、布団を被ってしまう。
 けれど、眼を閉じて耳を塞ぐと、余計に鼓動の音が大きく聞こえて、逆効果だった。
 以前、才蔵に頭を撫でられた時の比ではないほど、熱が溜まってきている気がした。
 布団の中で動いても、布団を剥いでも、部屋の中をうろついても、どうにもならない。
 仕方なく、布団の中へ戻ってもう一度、体を丸めるようにして掛け布団を被る。
「何なんだよぉ………小姓の馬鹿野郎!」
 布団の中で小さく呟いて、眼を閉じている内に、鎌之介は眠りに落ちていった。












2012/12/29初出