*艶麗*


 六郎が、いつもの如くいつもの時間に、幸村の部屋を訪ねると、そこに主の姿はなかった。珍しく早く起きたのか、と思ったが、敷かれた床が使われた形跡が、ない。
「まさか………」
 嫌な予感がひしひしとした六郎は、屋敷の中で幸村の向かいそうな場所を徹底的に、虱潰しに探したが、姿を見つけることが出来なかった。
「若っ!」
 最近大人しくしていたかと思えば、すぐにこれだ!と、六郎の足は城下に向かった。


 やっと床払いした鎌之介は、久しぶりの外の空気に、大きく伸びをした。
 時々、才蔵や六郎の目を盗んでは庭に出ていたけれど、すぐに佐助や十蔵と言った頭の固い者達に見咎められて、部屋に戻されていたから、自由になれた、という気分が強かった。
 ようやく火傷も治り、才蔵を追いかけ回す日々が始まるかと思いきや、当の才蔵は朝から寝ていた。昨夜が物見の任に当たっていたとかで、正直病み上がりの鎌之介が寝不足の才蔵を襲うのは何だか楽しめない気がして、城下へ出てきたのだ。
 何か面白いことが転がってはいないかと、ゆっくり歩いていると、両脇に女性を連れた幸村と遭遇した。
「オッサン、何やってんだ?」
 頭に華や簪をつけ、煌びやかな衣を纏っている所を見ると、花街の女だろう。
「おぉ、鎌之介。妙な場所で会うのぉ」
「妙って、城にいなくていいのかよ?」
「ワシとて、たまには息抜きがしたいさ」
「いっつも息抜きしてるようにしか見えねぇけど」
 幸村が城にいて、殿様らしい所など鎌之介はほとんど見た事がない。だから、全く、偉い殿様だとは思えないのだ。
 そんな鎌之介の心中を感じ取った幸村が、扇で口元を隠し、にやりと笑い、音を立てて扇を閉じた。
「よし。鎌之介、少しワシに付き合え」
「は?」
 満面の笑みを浮かべた幸村に、鎌之介はよくない予感がして逃げ腰になったが、女の一人が鎌之介の腕を絡めるように掴んで、やんわりと、けれど有無を言わさず引き始めた。


 幸村がよく訪れる、花街の遊女屋を数件覘き、ようやく訪れているという主人の言を得て、六郎が乗り込んだ先から、遊女達のころころとした笑い声が聞こえてきた。
「可愛い〜!」
「幸村様、何処でこんな子拾って来たの?」
「ね、ね、こっちの簪も似合いそう!」
「あ、それを言うならこの紅い帯はどう?」
「ふむ。その桃色の帯も髪色に似合うのではないか?」
「きゃ〜!絶対似合う!」
 障子の向こうから、何人かの声が聞こえてくる。その中に確かに幸村の声がして、六郎は障子を勢いよく開け放った。
「若っ!」
「おぉ、六郎。ちょうど良い所へ来た。紅色の帯と桃色の帯、お前はどちらが鎌之介に合うと思う?」
「は?鎌之介?」
 部屋の中は、惨憺たる状態だった。至る所に帯や着物が引っ張り出され、花簪や笄、櫛や帯留めが散らかり、その真ん中で、数人の遊女に四方から囲まれた鎌之介が、動くに動けずに固まっていた。
 けれど、その姿はいつもの姿ではなく、大きな牡丹の染められた白色の着物に、綺麗に結われた帯、柔らかく結い上げられた髪に花簪が一つ挿され、口元には鮮やかな紅が引かれている。
 まだ途中なのだろう。帯留めや別の帯を手にした遊女達が、六郎を振り返った。
「海野様はどれがいいと思います?」
「顔立ちが綺麗だから、何でも似合って迷っているんです!」
「私は髪色に合わせて紅色がいいと思うんですけど」
「私は幸村様の言う桃色がいいと思うわ。印象が柔らかくなってもっと可愛いと思うの」
「ああ、でもそうすると桃色の帯に花簪だと幼くなるわね。こっちの簪はどう?」
 座っていた遊女の一人が、近くにあった金物の簪を拾い、髪に当てると、また遊女達の声が一段上がった。
「似合う〜!」
「これでいきましょう!」
「じゃあ、帯止めは簪に合わせてこれね」
 手馴れた様子で、遊女達はあれやこれやと鎌之介を飾り立てていく。
 六郎が助けの手を差し伸べる間もなく、幾許も経たない内に、部屋の真ん中には、そうお眼にかかることなど出来ないだろう美少女が、立ち竦んでいた。
 一仕事終えた遊女達が、満足そうに顔を見合わせて、頷き合っている。
「最高傑作ね!」
「うん、うん。可愛い!」
「やっぱり綺麗な子は何着ても似合うわ〜」
「あぁ、でもあっちの蓮柄も捨てがたいわよねぇ」
「じゃあ、次はそれを………」
 言葉を最後まで言わせることなく、鎌之介の忍耐が切れた。
「い………いい加減にしろー!」
 だが、日々数多の男を相手にしている百戦錬磨の遊女達だ。鎌之介の怒号程度で怯みはしない。
 鎌之介の抵抗も、六郎の制止の声も、暴走する彼女達には、意味を成さなかった。


 結局、数着の着物を着せられ、髪を弄られて疲労困憊した鎌之介は、最後に着せられた着物のまま、部屋の真ん中でぺったりと、畳に頬を擦り寄せるように寝転がっていた。
 髪や着物が乱れるだろうと思ったが、流石に叱るのは可哀想で、六郎はその横で膝を折り、座り込んだ。
 幸村は、散々鎌之介を着替えさせて楽しんだ遊女達を引き連れて、別室へ行ってしまった。
「大丈夫ですか、鎌之介?」
「大丈夫、じゃ、ねぇ」
「どうして若についてきたりしたんです?」
「ついてきたんじゃねぇよ。無理矢理連れて来られたんだ!」
 訥々と経緯を話す鎌之介の言葉を聞き終えて、六郎は深く溜息をつき、腰を上げた。
「お茶を戴いてきましょう。少し待っていて下さい」
 頬を畳につけたまま首を縦に振った鎌之介に、六郎は散らかったままの着物を数枚片付けて、部屋を出た。
 既に、外は夕刻。花街に客の入り始める時刻になっていたことに、気づかずに。


 台所で二人分の茶を貰い、六郎が鎌之介のいる部屋に向かう頃には、ちらほらと客と擦れ違うようになっていた。
 何時までもいるわけにはいかないだろう。例え幸村の顔がこの店で利くとは言っても、見世開きの時間に邪魔をするわけにはいかない。
 一服したら鎌之介も着替えさせて、裏口から出して貰わなければならなかった。勿論、その際にはこの騒動の元凶たる、幸村も連れ帰るが。
 鎌之介のいる部屋に近づくと、物を倒すような音が聞こえ、六郎は眉間に皺を寄せた。
 その部屋は、遊女達が見世に出ない間に使う控えの間のような場所だ。今の時刻、人はいないはずだ。
 突然、背筋を撫で上げる悪寒に、六郎は茶の乗った盆を放り、部屋へ飛び込んだ。
「その子から離れなさい!」
 咄嗟に喉元から発した声に、男が平衡感覚を失い、気絶する。
 気絶した男の体の下から、眼を見開いている細い体を引き上げて、抱きしめる。
「もう、大丈夫ですよ、鎌之介」
「っ………」
 倒れた屏風の上で、鎌之介の挿していた簪が、二つに折れていた。












2013/1/5初出