*理由*


 視線は感じる。けれど、姿は見えない。そんな状況が何日も続けば、誰だってその視線の主が気になるだろうし、一体何の用なのだと詰問したくもなるだろう。
 しかも、相手は同じ屋敷内に住まう者だ。気にならないわけがない。
 その日もまた、数えるのも嫌になる何度目かの視線に、六郎は振り返った。だが、板張りの廊下の曲がり角や庭に、人の姿はない。
 視線の主が誰か、というのは分かっているのだが、現在は茶菓子の載った盆を持っている。まずは、主にこれを届けてから、真意を問うべきだろうと、深々と溜息をついて、歩を進めた。


 頭を抱えて膝を曲げ、その場にしゃがみこんで、鎌之介は深々と溜息をついた。
「う〜」
 唸りながら、板張りの床の木目を眺める。
 どうしても、正面から、六郎の顔を見ることが出来ない。後姿を見かけただけでも、こうして姿を隠してしまうのだ。
 原因は、分かっている。数日前、六郎の前で泣いた挙句に、小さな子供のように、泣いたまま眠ってしまったのだ。
 子供でもないのに泣いたまま眠ってしまうなど、恥ずかしいことこの上ない。しかも、目が覚めた時には、何故か、六郎の膝を枕にして眠っていたのだ。
「うあぁああああ!」
 がつん、と額を壁にぶつけ、そのままずるずると壁に向かって座り込む。
 どういう顔をすればいいのか、分からないのだ。人前で泣いたことなどないし、人の膝を枕に借りたこともない。ただただ、その行為が、顔から火を噴きそうなほど………
「おい」
「うひゃあ!」
「何つー声出すんだ、お前は」
 上から降ってきた呆れ声に上向けば、胡乱気な才蔵の視線が落ちてくる。
「何やってんだ?壁に向かって」
「才蔵!助けろ!」
「はぁ?」
 突然、腰に抱きついてきた鎌之介に、才蔵は頭を掻いた。


 腰に抱きついて離れない鎌之介を、引きずるようにして自室へと戻った才蔵は、長く息を吐き出した。
 自分自身を女だと認識しているとは到底思えない行動に、息を吐き出したくもなる。抱きついてきた瞬間に、大きいとは言えないけれども、柔らかい膨らみのある胸が、足に当たったのだ。着込まない鎌之介の、薄い布地越しに伝わるその弾力は、男ならば不快には思えないだろう。
「で、何だよ?」
「へ?」
「さっき、助けろ、って言っただろうが」
「あ、ああ、うん」
 話の矛先を向けると、途端、抱きついていた腕を離して、萎れるように肩を落とす。
「………小姓の顔が、見れねぇんだよ」
「は?」
 いつも大声で才蔵を探し回って、走り回る姿からはかけ離れた、小さなぼそぼそとした声で、要領を得ずに話す鎌之介の言葉を聞きながら、段々と才蔵の眉間には、皺が刻まれていった。
 これは、惚気られているのか?と。
 だが、鎌之介にそういった様子は見られない。赤くなったり青くなったりと忙しなく表情を変えながら、必死に話している。
 ああ、これは、気づいていないな、と、呆れ顔になり、意地悪い感情が浮かんでくる。
「なあ、鎌之介」
「何だよ?」
「結局、お前どうしたいわけ?」
「え?」
「別に、六郎さんの顔、見なきゃいけねぇわけじゃねぇだろ?見なくたって、問題ないんじゃねぇか?」
「問題?………なく、はなくね?」
「何で?」
「何で、って………何で?」
「俺に聞くなよ!」
 本気で理解できてないな、と肩を落とし、口を開く。
「じゃあ、何で六郎さんの顔見たいと思うんだよ?」
「………………」
 たっぷりと沈黙を取った後、鎌之介の顔が見る見る内に、赤くなっていく。
「うわぁあああ!」
 声を上げて立ち上がるなり、才蔵を突き飛ばして襖を開け、飛び出していく。突き飛ばされて引っ繰り返った才蔵は、天井を見上げながら、眉尻を上げた。
「何で、俺がこんな眼に合うんだよ!」
 人の恋路を邪魔すると馬に蹴られるとは言うが、自分は邪魔どころか相談を受けてやったのに!と、畳を拳で殴った。


 理由は無い。けれど、顔が見たい。でも、見ることが出来ない。ぐるぐると回る思考を追い払うかのように才蔵の部屋を飛び出してきたが、別に行きたい場所があるわけでも、しなければならないことがあるわけでもないせいで、屋敷の中をうろつく羽目になった鎌之介は、結局、自室へと引き上げた。
 ぴったりと襖を閉めて、押入れから枕を取り出して抱きしめる。本当はにょろ(雨春)を抱きしめるのが落ち着くのだが、屋敷内をうろついている間に出会わなかったので、仕方が無い。
 才蔵に、何で、と問われても、答えられなかった。それよりも先に、何故か顔が熱くなり、居ても立ってもいられなくなったのだ。
 飛び出してきたはいいものの、何も、何一つ、解決していない。
 枕を抱えて畳みに横になり、ごろごろと転がりながら、あー、だの、うー、だのと声を出してみるが、出した所で解決するわけがない。
 と、襖の向こうから声がした。
「鎌之介、いますか?開けますよ?」
 枕を放り出し、隠れなければと、押入れの襖を開けて、頭を突っ込んだ所で、襟を掴まれる。
「何を、しているんです?何で逃げるんですか?まだ何も叱ってないでしょう?」
「こ、しょ………うわぁあああ!」
「ちょっ、お待ちなさい!」
 襟を掴んだ六郎の手を振り払い、逃げようとする前に、六郎の手が伸びて、再度襟を掴んでくる。
「貴女、此処何日も私を見ていたでしょう?何か用があるんじゃないんですか?」
「よ、用はない!離せよ!」
 じたばたと、腕を振って前に進もうとするが、単純に力ならば、男の六郎に利がある。どれだけ細身に見えようが、六郎とて勇士に名を連ねる身だ。鍛錬を怠ることはないのだから。
「やだ、やだって!」
「鎌之介!」
 少し大きな声で呼べば、びくりと動きを止めて、その場にへたりこんでしまう。音で攻撃したわけでもないのに、動かなくなった鎌之介の襟から手を離し、前へ回ると、真っ赤になった顔で、下を向いていた。
「熱があるんですか?赤いですよ?」
 紅い前髪に触れ、失礼します、と言って六郎がその額に手を当てると、鎌之介が後退りして、壁まで下がる。
「鎌之介、貴女、何がしたいんです?」
「み、見るな!」
「はぁ?」
「こ、小姓に見られると、変な気分になるから嫌だ!」
「………鎌之介」
「見てるだけでも恥ずかしいのに、見られるのはもっと無理だ!」
 べったりと壁に張り付いてしまった鎌之介に、六郎は一歩、また一歩と近づいて、距離を縮め、逃がさないように、鎌之介の肩の辺りに手をついた。
 赤くなって、両腕で顔を隠すようにしている鎌之介の腕を退かし、顎に指をかけ………
 言葉を紡ごうと開きかけた紅い唇を、六郎は自分の唇で塞いだ。












2013/1/19初出