*間隙*


 髪型が違う。纏っている衣服が違う。けれど、伊佐那海だと、才蔵は一目で分かった。
「伊佐那海、お前、覚えてる、のか?」
「うん。才蔵も?」
「ああ」
 あの頃のように、容易に抱きついてこなくなったのは、時代が、場所が、状況が違うからなのだろう。それとも、彼女も弁える、ということを覚えたのだろうか。
「………もしかして、鎌之介に会いに来たのか?」
「うん。って、才蔵も?」
「ああ。………けど、悪い、伊佐那海」
「ん?」
「今日は、帰ってくれ」
「え?どうして?」
「理由は、また今度話してやるから、とりあえず今日は………っ!」
 視界に突然入り込んできた異物を、才蔵は咄嗟に受け止めた。それが、学生鞄だということに気づいて飛んできた方向を見れば、鞄を投げたのだろう姿勢のまま、鋭い視線が射抜いてきた。
「お前、いきなり………おい!」
 体の向きを変え、才蔵と伊佐那海のいる場所を避けるように、反対側の道へ歩いていくが、その道は、彼女の住んでいる家とは真逆の方向だ。
「おい、何処行く気だよ!」
「ついてくんな!」
「鎌之介!ねえ、話聞いて!話がしたいの」
「俺はねぇよ!」
「おい、待てよ!」
 追いかけてくる二人から逃げるように足を速め、走り出した由利は、家とは逆の方向へ向かっていることを自覚しながら、それでもその方向には繁華街があるため、人ごみに紛れてしまえば、二人を撒けるだろうと考えていた。
 分かっている。きっと、偶然に、校門の前で鉢合わせをしたのだろう。そして、二人は互いに、何か理由があって、自分に会いに来たのだ。
 そのくらいは、理解できている。けれど、わけの分からない、ぐらぐらと煮え立つような感情の渦が、心の奥底から沸きあがってきて、何を口にしてしまうか、分からない。
 二人が、話をしているところを、見たくない。笑いあっているところを、見たくない。
 分かっている。分かっているのに、感情が何処か、違う方向へと引っ張られて、捩れてしまいそうだった。
 人のざわめきが近づき、駅前の繁華街に辿り着く。この中に紛れてしまえば、二人の目に留まることもなくなるだろう。
 駅に近づくにつれて、人の数が増えていくのは、学生や会社員などの帰宅時間だからなのだろう。普段は、よほどの用事がない限り近づかない場所だから、人の多さに驚くと同時に、ぶつからないように歩くのが大変だった。それでも、狭い歩道では、少なからず人に当たってしまう。
「っと、すみません………って、姫!」
「げっ」
 見慣れた顔色のあまり良くない男に、本音がつい口をついて出る。
「げっ、って酷いですね。でも、こんな所で会うなんて、運命、げふっ」
「うるせぇよ」
 正面からぶつかった相手が、運悪く顔見知りの朽葉で、五月蝿い口を動かしている顎を下から叩く。
 叩かれた朽葉は、痛そうに顎を摩り、それでも笑顔を浮かべた。
「でも、本当に珍しい。姫は人ごみ嫌いじゃありませんでしたっけ?」
「嫌いだよ。でも、仕方ねぇんだよ………おい、朽葉。お前、仕事は?」
「今日は終わりです。流石に、二日続けての夜勤はきつかったので」
 歩きながら、朽葉も向きを変えて由利の横に並ぶと、歩調を合わせて歩く。
「朽葉。お前、この後暇?」
 由利の言葉に、途端、朽葉の眼が輝いた。
「暇です。例え用事が入っていたとしても、放り投げますよ、姫のご用命とあれば」
「なら、少し付き合え」
「はい!」
 こいつなら、金も持ってるだろうし、と、手ぶらな自分の手を見下ろして、由利は溜息をついた。


 呼び出しのチャイムに、半蔵は一つ舌打ちをして扉を開け、そして、心底嫌そうな表情を顔に貼り付けた。
「何の用です?」
「あいつは?」
「まだ帰ってきてません。というか、今日は帰らないそうです」
「は?」
「さっき、連絡があったので。それよりも、君、俺の話聞いてたんですか?何で、その女と一緒にいるんです?」
 才蔵の後ろに、隠れるようにして立っている伊佐那海を見つけて、半蔵は殺気を籠めて睨みつけた。
「ちょっと、な。それより、これ。あいつの鞄」
 眼の前に見慣れた鞄を突きつけられて、受け取りながら、連絡のあった相手に心当たりが出来た。
「ああ。それで朽葉を鴨にしたわけですか」
 鞄を開ければ、まともに使ったことのない携帯電話と財布が入っている。勉強道具など筆箱とノートしか入っていない。
「まあ、一応お礼を言っておきますよ。それじゃ」
「ちょっと待てよ」
「何ですか?」
 扉を閉めようとすると、才蔵の足が扉を押し返し、体を玄関の内側へと滑り込ませた。
「お前にも話があんだよ」
「何です?」
「お前、伊佐那海に奇魂を渡したのか?」
「ああ、その話ですか。それが、何か?」
「何で、てめぇが持ってたんだ?」
「言う必要はないと思いますよ。正当な持ち主の所へ戻ったんですから、いいじゃないですか」
「お前、何考えてやがる?」
「変なこと聞きますね。俺が何考えていようが、君達に関係ないと思いますけど」
「お前、言ったよな?鎌之介を傷つけたくない、泣かせたくない、って。だったら、あいつに隠し事するような真似」
 瞬間、半蔵の拳が壁に叩きつけられ、鈍い音をさせた。
「うるせぇですよ。鎌之介、鎌之介、って。今のあの子は由利です。由利鎌之介じゃないんですよ。服部由利です。君達は何なんですかね?あの頃を取り戻したいとかぬかすわけですか?あの子をもう一度狂わせたいんですか?」
「んなわけ」
「あるわけないですよね?だったら黙っててくれます?もう一度同じこと繰り返すような愚は、君達だって流石にしないでしょう?」
「鎌之介に、何が、あったの?」
 ようやく、というように、才蔵の後ろに隠れていた伊佐那海が声を出す。
「君が知った所でどうにもならないことですよ。帰ってください」
 扉を大きく開けて才蔵の肩を押し、玄関から無理矢理追い出して、半蔵は扉を閉めると鍵をかけ、チェーンをかけた。
「由利………早く、帰ってきてください」
 一人寝は、結構寂しいんですよ?


 私は貴女。
 貴女は私。
 だから、私がすることは貴女の為になる。
 例え、繋がりが断ち切れていたとしても。
 だって、私は黄泉に落ちた女。
 命を殺めることを宣言した神。
 ならば、その存在意義に適した方法で、壊してあげなければ。
 愛する人を残していく苦しみを。
 愛した人の愛を失う悲しみを。
 死して尚、愛を失えない辛さを。
 お前も、思い知るがいい。












2013/6/22初出