転がる屍の一つを踏みつけて、鎌を振ってこびりついた血を落とす。 「どんどん来いよっ!」 鎌之介の挑発に、じりじりと、腰を落として刀や槍を持った男達が、近づいていく。けれど、怯えたような眼で、どうにか近づくことが精一杯だとでも言いたそうな連中など、鎌之介にとっては敵にすらならなかった。 鎖を振り回し、風を起こし、吹き飛ばす過程で切り刻む。それを幾度か繰り返して行く内に、鎌之介の周りにはいつのまにか、累々と屍が積み上げられていた。 その数に、敵は明らかに怯えている。大将格が出てきて鼓舞でもしない限り、進めはしないだろう。 血の匂いが、興奮させる。積みあがった屍が、脳髄を痺れさせる。 その内に、鎌之介は敵も味方もわからなくなり、近づく者を全て切り刻んでいった。 いつしか血糊で使えなくなった鎌は殴打するために使い、鎖にも血肉が纏い、周囲には地獄絵図が広がっていた。 「あぁ、気持ちいい」 青い空を見上げて、呟く。そんな無防備な姿にも、近寄る者はいない。 その身に纏った、深紅の血の色に怯えて。 体の彼方此方に傷があるようだったが、その痛みすら、鎌之介の中では快楽に変わり、新しい獲物を探して足を進める。 その時、聞くはずのない女の悲鳴を、聞いた気がして、背筋に悪寒が走った。 行く道を遮る者を薙ぎ倒し辿り着いた先には、女がしゃがみこんでいた。 「伊佐那海?てめぇ、何してやがる?」 戦場には連れて行かない、と幸村が決め、安全な地へと隠れ住むように指示されていたはずだ。側にいたはずの清海や弁丸の姿も見えない。 鎌之介が名前を呼んでも下を見続けている伊佐那海に、鎌之介が一歩近づくと、その視線が捉えているものが、わかった。 「才蔵?」 黒い体が、横たわっている。投げ出された腕の側に、刀が一振り。 しゃがみこんだ伊佐那海が、膝でにじり寄り、両手で才蔵の頭を掴む。 「才蔵、ねぇ、起きてよ」 才蔵の腹部には、刀と槍が刺さっていた。恐らく、挟み撃ちにでもされたのだろう。 周囲に敵の姿がないことを確認し、鎌之介は伊佐那海に近づいた。 「退け、馬鹿女」 才蔵が、この程度のことで死ぬ訳がない。鎌之介と死闘を演じた相手なのだ。 それに、約束もした。才蔵は、鎌之介と約束をしたのだ。 殺してやる、と。 だが、鎌之介が腕を伸ばそうとする前に、伊佐那海が顔を上げた。 涙を零し、真っ赤に腫らした双眸で、鎌之介を睨みつけてくる。 「あんたが、死ねばよかったのに………」 「あ?」 「何で、才蔵が死ぬのよ!あんたが死ねばよかったのよ!才蔵を返してよ!」 「あぁん?ざっけんなよ、この馬鹿女!」 この女は、何をわけのわからないことを、言っているのか。ふざけるのも大概にしておけ、と、鎌之介は腕を伸ばして、乱暴に才蔵の腹部に刺さった槍と刀を抜いた。 「何すんのよ!触んないで!」 「見てみろ!血が溢れてんだろ!まだ死んでねぇんだよ!」 命を落とせば、血など溢れ出すわけがないのだ。だから、まだ、才蔵は生きている。 「とっとと運ぶぞ。まだ助かる」 「私一人で運ぶ。鎌之介は触んないで!」 「はぁ?てめぇ一人で運べるわけねぇだろ。才蔵は俺らよりでけぇんだぞ」 体格も、背丈も、鎌之介や伊佐那海より大きい才蔵を、二人でなくてどうやって運ぶというのだろう。それも、此処は戦場だ。どこから敵がやってくるかわからない。 「………う、る………せ」 微かに、声が零れて、伊佐那海が満面の笑みを浮かべる。 「才蔵!」 瞼を押し開けるのも辛いのだろう。ようやく薄っすらと開けられた才蔵の右目が、自分の頭を膝の上に乗せた伊佐那海を、捉える。 「………佐那海?」 「うん!うん!才蔵、待ってて!すぐに助けてあげるから!」 そこへ、遠くから微かにだが、鬨の声が聞こえてくる。何処かで、新たな部隊が動き出したのだろう。方角からして、徳川方。 「おい、伊佐那海さっさとしろ!敵が来る」 「ねえ、才蔵。私、才蔵のこと大好き」 「伊佐那海!」 口元に微笑を浮かべた伊佐那海が、再び眼を瞑ってしまった才蔵の頬を、撫でている。今は、そんなことをしている場合ではないのに、この馬鹿女は何をしているのか。鎌之介は鎖鎌の柄を握り直して、声の聞こえてくる方へ向いた。 「才蔵は、今まで、沢山、沢山、私を助けてくれた。だから、今度は、私が才蔵を助ける番だからね」 浅く呼吸を繰り返す才蔵が、もう一度眼を開け、自分を見下ろす伊佐那海を視界に捉えると、腕を伸ばそうと上げた。 「伊佐、那海?………泣い、てんの、か?」 「ううん。泣いてないよ。嬉しいの。だってもう、私達は離れないんだから」 少しずつ、足音が近づいてくる。その中には、馬の蹄の音も、混じっている。大群だ。 「おい、伊佐那海、もう待てねぇぞ!」 自分一人で、どうにか押さえられる数を超えている。手負いの才蔵と戦えない伊佐那海を抱えて離脱する最後の機会は、此処しかなかった。 けれど、振り返った鎌之介が見たのは、膝の上に乗せた才蔵の唇に、伊佐那海が自身の唇を、合わせている姿だった。 才蔵の手は、伊佐那海の頬に、添えられている。 「何、で………?」 鎌之介の手の中から、鎖鎌が落ちる。 才蔵は、自分を抱きしめてくれた。温かい手で髪を梳いてくれた。口づけてくれた。 なのに、どうして、今、伊佐那海と唇を合わせているのか……… 胸の中を吹き荒れる冷たい風が、嵐のように鎌之介の心を掻き乱し、周囲から音を消していく。 大群の足音も、蹄の音も、鬨の声も、何もかもが消え去り、鎌之介は動けなかった。 唇を合わせたまま、伊佐那海の腕が上がって、髪を止めている簪を、引き抜く。止められていた髪が柔らかく背中へと下り、伊佐那海の顔が上げられる。 口元に、冷たい微笑を浮かべて。 「一人で、生き残れ」 外された簪が、鎌之介の方へと放られる。それを、鎌之介は反射的に手に取った。 その瞬間、その場所に、闇が広がっていった。 『テニイレタ。ワタシノイトシイヒト』 闇に飲み込まれる瞬間に聞こえた声。その禍々しい声音に、鎌之介は理解した。 イザナミノミコトは、愛したイザナギノミコトを、奈落の黄泉の国へと引きずり込もうとして、失敗した神だったじゃないか、と。 才蔵は、最後の最後で、伊佐那海を選んだんだ。 そして、自分は、一人で生き残った。 何もかも、全てを、失って。 必死に伸ばした腕は何も掴むことはなく、黒い闇が全てを呑みこんだ。 想いも、約束も、心も、全て。 その瞬間、鎌之介は狂った。狂ってしまうことを選んだ。 だって、もう、消えたのだ。 生きていく意味も、理由も。 好きだったから追いかけた。そんな単純な事実に、今更気づいた所でもう遅いと………そんなことにも気づかずに、ずっと側にいたんだと。 俺は、好きだったんだ、才蔵の事。 もっと早く、口にしていれば………何か、変わっていたのかな? ![]() 2012/10/27初出 |