暑さと言う夏の名残が長く続いた十月の終わり頃、急激に冷え込み、秋の気配を飛ばして冬になるのではないかと思われた休日、灰桜は、忙しさにかまけて怠けていた衣替えをするべく、クローゼットの中を開けた。 確か、この国には四季という存在があったはずだが、近年、その概念は崩れつつあるらしい。新しい洋服は季節を先取りしてやたらと早く店頭に並び、それぞれの季節が本番を迎える頃には安売りのセールが始まる。嬉しくないわけではないが、正直、本当に欲しい物が欲しい時期にないことがあり、困る。 クローゼットの中を引っ繰り返すように夏物の衣類を外へ出し、晩秋と初冬の衣類を出していく。一枚、また一枚と出していきながら、セールのことなどを考えていたら新しい服が欲しくなるのだから、この時代はとても危険だ。 遠い、遠い昔、今のように手軽にお洒落などが楽しめなかった時代が、嘘のようだ。毎年新しいトレンドとやらが発信され、目まぐるしく変わる流行に翻弄されつつも、それが楽しいのだから。 「はぁ。買い物行きたいわ」 溜息を零しながら、色分けされたボックスを力任せにクローゼットの外へ引きずり出すと、がこり、と奇妙な音がした。 「んもう!何よ!」 何段かに分かれた色取り取りのボックスはクローゼットの奥に仕舞いこんでいたものだが、取り出したその後ろを覗き込むと、何やら雑然とした紙類が落ちていた。 いらなくなった物や、使わなくなった物、常に必要でない物を次々に放り込んだ結果だと、肩を落とす。 「仕方ないわね」 一度やり始めたのならば、片付けないと気がすまない。この乱雑とした紙類を見たのにそのままにしておいて、またボックスが引っかかりでもしたら、その方が面倒だった。 職場で使ったのだろう書類や、いつから放置しておいたのか分らない大昔のテストなども雑ざっている。 「あら?」 その中から、一枚の写真が出てきた。写真ならば必ず、アルバムに整理してしまってあるはずだが、何かの拍子で外れたりしたのだろうか、と裏返してみて映っていた光景に、口角をあげる。 「いいもの見つけちゃったわ」 その写真を机の上に乗せ、窓から吹き込む風で飛ばないように携帯電話を重石代わりに置いて、逸る心を抑えながら、灰桜は衣替えを続行した。 米神に青筋が浮かびそうなほど、頬を引き攣らせて壁際まで追い詰められた細い体が、それ以上下がりようもないのに、足を動かして逃げ道を模索する。 「ほらほら、観念して頂戴」 「嫌だ!」 「我侭言わないの!」 「我侭言ってんのは俺じゃねぇだろ!」 「は〜ぁ。昔は、お姉ちゃん、お姉ちゃん、って可愛く呼んで後ろをついてきてくれたのにぃ」 「ああ。そうなんですよね。昔は俺のこともお兄ちゃん、って呼んで慕ってくれてたんですけどねぇ」 「何時の話をしてんだ、お前ら!ってか、てめぇはどっちの味方だ、半蔵!」 「え?俺は楽しい事の味方ですよ」 聞いた自分が馬鹿だった、と舌打ちして、じりじりとにじり寄ってくる灰桜の腕から逃れようと壁に沿って移動する。 「ちょっとこれ着て頂戴、って言ってるだけじゃない。何がそんなに嫌なの?」 「嫌に決まってんだろー!」 にじり寄ってくる灰桜の手には、紫のレースフリルが袖口や裾にあしらわれた、黒い衣服。そんな短いスカートの服なんか着られるか、と言うことしか考えていない由利は、それが世間一般には魔女っ子、と呼ばれる類の衣装であることを、知らない。 二人の様子を、椅子に座って眺めている半蔵の眼の前の机の上には、勿論その衣装と合わせて被る、てっぺんが三角に尖った帽子が置かれている。 「よくこんなの探して来ましたね」 「今は色んな物が売ってるんですよ。特にこの時期はハロウィンが近いから、吸血鬼も、フランケンシュタインも、魔女っ子も、お化けの衣装も何でもありです」 「凄い時代ですねぇ」 しみじみ、と言った風に帽子を手にとって眺め回しながら、逃げ回る由利に視線を向ける。 「そろそろ、諦めた方がいいんじゃないですか、由利?」 「ふざっけんな!大体、何で俺に着せようとするんだよ!自分で着ろよ!」 「嫌よ、自分で着るのは。由利ちゃんに着せて写真撮りたいんだもの」 「しゃ、写真?」 「そう!これ!」 言いながら、ポケットの中から一枚の写真を取り出し、由利の眼の前に突きつける。 「な、何、これ、何だよ!」 「え?由利ちゃんよ?小さい頃の。衣替えしてた時に見つけたの」 眼の前に差し出された写真には、確かに、幼い頃の自分自身が写っていた。しかも、全く、全然、記憶にないが、何やら、今灰桜が持っているのと良く似た、黒い衣装を着ている。頭にはてっぺんが三角に尖った帽子を乗せ、手には星が先についた棒を持っている。 「これ見つけたら、もう、由利ちゃんに着せなくちゃ!って思ったのよ」 「どんな理屈だ、ぼけー!」 「随分と懐かしい写真ですね」 帽子を持ったまま立ち上がり、近づいてきた半蔵が写真を覗きこむ。確か、まだ由利の両親が存命中で、幼稚園に通っていた位の頃ではなかっただろうか。 「というわけで、着て頂戴!」 「嫌だ!」 「灰桜」 「はい?」 「そういうことなら、俺も協力しますよ」 「っ!お、お前ら、そういう時ばっかり協力し合うんじゃねぇよ!」 壁際に逃げたのは失敗だった、灰桜一人ならまだしも、半蔵までもが参戦してきたら逃げられない、と顔を青くした由利が捕まるのは、数秒後のことになる。 気持ち悪いほどの満面の笑顔を浮かべた半蔵を見て、背筋に悪寒が走り、身震いするのは間違いじゃないはずだ、と才蔵が持っていた鞄を落としそうになった時、半蔵が近づいてきた。 「どうも」 「何の用だよ?」 「いえ。君に見せたい物があったので」 ポケットから携帯電話を取り出し、その画面を眼前に突きつけられて、才蔵は飲み込んだ呼吸が変な所へ入り、噎せた。 「何やってんですか」 「な、何、は?これ………は!?」 「挙動不審で気持ち悪いです」 「挙動不審になるだろ!何だ、この写真!」 「何って、ハロウィンですから。大変だったんですよ。嫌がる由利をとっ捕まえて灰桜と二人で着せて写真撮ったんですよ。まあ、手が出るわ、足が出るわでこっちは満身創痍ですよ」 「てめぇが怪我しようが知ったこっちゃねぇよ。まさか、これ見せに来たのか?」 「ええ。自慢しようと思って。あ。勿論、データはあげませんから」 「こっの野郎!」 「じゃ、そう言う事で」 言うなり、踵を返して車に乗り込んで帰っていく半蔵を見送り、才蔵は呆然とゆうに五分程度はその場に突っ立っていた。 眼の前にちらつかせられた写真の姿が気になりすぎて、その夜の才蔵の夢の中には、その衣装を纏った由利が出てくるのだが、そのことを、夕暮れ時に足を止めた才蔵は、知る由もない。 ![]() ハロウィンです。ハロウィンのはずです。 才蔵にとっては破壊力抜群の魔女っ子由利ちゃん。 そりゃ、夢にも出てきますよね。 半蔵は勿論、そんな可愛い由利ちゃんを携帯電話の待受にします。 2013/10/31初出 |