*邂逅*


 ぼんやりと、窓の外を眺めやる。教師の言葉は、右から左へと流されていた。
 退屈な授業。退屈な日常。代わり映えのしない日々。毎日、毎日、時は正確に刻まれ、それによって人々の行動は規定され、繰り返される。
 あの頃は、生き抜くことが難しい時代ではあったが、生き辛い、ということはなかったように思う。
 まるで、狭い水槽の中に無理矢理閉じ込められて、呼吸のままならない金魚のようだと自嘲する。
 空は青い。雲は白い。空気は穏やか。こんな日には、昼寝でもしたくなる。それこそ、あの頃のように屋根にでも上って。
 だが、生憎と才蔵は高校三年生という身分で、世間一般的な括りで言うのであれば、受験戦争真只中の学年、ということになる。とはいえ、実は一年留年しているため、クラスメイトより一つ年上だ。そのせいで、才蔵はクラスから浮いていた。教師すら、まるで腫れ物を扱うように接する。
 学校、というのは何故こんなにも息苦しい場所なのか。今生の両親は、何故こんな場所に自分を放り込んだのかと、恨めしい気持ちになった。
 それが、この時代の常識だと言われてしまえば、それ以上才蔵には何も言えない。
 自分は戦国時代を生きた忍でその生まれ変わりだ、などと言ったが最後、精神を病んでいると判断されて病院送りだろう。
 それだけは、何としても回避しなければいけなかった。
 外へ向けていた視線を少し下げると、校庭では体育の授業を行っているクラスがあるらしく、男子生徒と女子生徒がそれぞれ短距離走の記録を測っているようだった。
 まだ、体育の授業の方が退屈しなくて済むんだけどな………などと思いながら視線を教室内へ戻そうとして、才蔵は動きを止めた。
 紅い、色。
 何人もいる生徒の中で、その色は、明らかに悪目立ちしていた。黒髪の生徒が多い中、その少女は一人だけ、紅い髪色をしていたからだ。
 まさか、と思い目を凝らせば、順番が回ってきたのか、少女がスタートラインに立つ。教師が笛を吹くのと同時に、三人の少女が走り出す。その中で、圧倒的な速さでゴール地点に到達したのが、紅い髪の少女だった。
 しかし、出した記録に興味がないのか、走り終わるとコースから外れた場所で、一人腰を下ろす。他の女子生徒達が、走り終わると友人同士で固まって話しているのとは、酷く対照的だった。
 その時間の間中、才蔵はその姿から眼を逸らすことが出来なかった。


 一日の授業が終わり、才蔵はすぐさま鞄を掴み、教室を飛び出した。去年一年間気づかなかったのだから、新入生だろう。三年と一年では、教室のある階が違う。生徒が帰り始める前に、どのクラスにいるのかを突き止めたかった。
 普段訪れることのない、一年生の教室のある階に辿り着くと、少しずつ、教室から生徒達が出てくる。部活動へ向かう者、帰る者と様々だが、擦れ違う生徒達の中に、目的の相手はいなかった。
 片端から教室を覗いていく。あれだけ目立つ髪をしているのだ。一目で見つけられるだろうと思ったが、思った以上に教室を出るのが早かったらしい。どの教室を覗いても、その姿を見つけることは出来なかった。
 最後に覗いた教室で、入口付近で話をしていた数人の女子生徒に話しかけると、少女達がぴたりと話を止める。
「この学年に、紅い髪の生徒がいるだろ?」
「あ〜、服部さん?」
「服部?」
 聞きたくない苗字に、肌が粟立つ。
「すっごい目立つよねぇ〜」
「ねぇ。何であんな色にしてんだろ」
「その子、帰ったか?」
「毎日即行だよね」
「そうそう。友達一人もいないみたいだし」
「超〜寂しいよね」
 言い合いながら、少女達が甲高く笑う。その笑い声に背を向け、才蔵は走った。


 毎日、授業が終わればすぐに帰る。部活動には所属していないし、これから先所属するつもりもなかった。学校は退屈だし、勉強をするのも嫌いだ。
 ただ、行けと言われたから行っているだけだ。そうすることが、今のこの時代では比較的普通の部類に属するから、と。
 やっと解放されたと、校門を出て溜息をつく。学校という場所は、息が詰まる。誰も彼もが同じことをして、同じような話で盛り上がり、同調していく。どうしてそれで、退屈でないと言えるだろう。
 あの頃の刺激が恋しくなるが、今それをすると確実に罪に問われることくらい、分かっていた。
 今日はこれからどうしようか、と考えていると、少し歩いた先に、赤い車が停まっていた。
「げっ!」
「げって何ですか、げって」
「お前、仕事は?」
「今日は早上がりです。夜勤の後はいつもそうでしょ」
 車の外に出て、車体に背中を預けていた男が、体を起こして手を軽く振ってくる。
「何してんだよ?」
「貴女を迎えに来たんですよ」
「その車で来るなよ!」
「貴女がこの車がいい、って言ったんじゃないですか。買う時に。赤いのがいい、って」
「それは普通に乗る場合であって、学校に迎えに来るのには適さないだろ!」
「貴女の口からそんな常識的な言葉が出てくるなんて、驚きです」
 心底驚いた、という表情で眼を丸くする男に、苛立ちが募る。
「俺だって、この時代の常識位は覚えてるんだよ!」
 噛みつかんばかりに声を上げるが、相手は何処吹く風とばかりに、助手席のドアを開ける。
「どうぞ」
「何で、お前、そんな気障な野郎になったんだよ」
「そうですか?あんまり変わらないと思いますけど、昔と」
「変わりすぎだ、っつの!」
 どれだけ吠えようが声を荒げようが、この男に対しては全く嫌味にもならないのだと思うと、もう、脱力感しかなく、仕方なしに開けられた助手席へ滑り込む。
 ドアが閉められ、男が運転席へと回り、乗り込んでくる。
「じゃあ、帰りましょうか」
「とっとと出せ!」
 目立つから!と叫ぶと、笑いを堪えながらようやく、男は車を発進させた。
 バックミラーに映る青年の姿を視界の端に捉えて、心中で嘲りながら。


 滑り出した車を見送るしか出来ず、才蔵は愕然とした。
 男は、こちらに気づいた。助手席のドアを閉めた後、一瞬こちらを振り返ったかと思うと、口角を上げて笑んだのだ。
 嫌な、笑いだった。挑発するような、小馬鹿にするような、笑み。
「服部、半蔵!」
 昔………上田の地で、幾度も刃を交えた相手だ。死に際を見せられたことも一度ではないのだ。一人で勝てたこともない。
 なのに、何故、その男が、かつて自分の仲間だった少女と、一緒にいるのか。
 傍目から見ると、まるで、恋人同士ではないか。
「どういう、ことだよ………鎌之介!」
 仲間であり、恋人だった少女の名を、才蔵は、血を吐くような思いで、口にした。












2012/9/8初出