*対峙*


 会いたい。会って、話がしたい。
 けれど、鎌之介が才蔵と同じように、あの頃の記憶を持っているとは、限らない。思い出しているとは限らないのだ。もしかすると才蔵のように、一部を忘れている可能性だって、ある。
 それでも、まずは会わなければ始まらないと、才蔵は放課後になった瞬間に教室を飛び出し、一年の教室のある階へと走った。
 だが、その日もまた擦れ違ってしまったのか、鎌之介の姿は既に、ない。
 追いかければどこかで見かけるかもしれないと、生徒用の玄関へ走るが、そこにも姿はなく、校門まで走ったが、周囲に目立つ紅い髪は、なかった。
 小さく舌打ちし、仕方なくそのまま帰ろうかと歩き出した才蔵の横を、赤い車が走っていく。すると、その車が数メートル先で、停車した。
 見覚えのある車から出てきたのは、嫌というほど見覚えのある男。
「どうも、お久しぶりです」
 軽々と、ガードレールを飛び越えて、歩道へと足を下ろす。
「服部、半蔵………」
 あの頃ほど髪は長くないが、あの頃と同じ赤い髪をしている。違うのは、纏っているのが質のよさそうなスーツである点だろう。
「ちょっと、話いいですか?」
「てめぇとする話なんか、ねぇよ」
「おや、そうですか。由利の話でも?」
 ガードレールに寄りかかった男の横をすり抜けようとして、足を止める。
「由、利?」
「そう。由利。あの頃は、由利鎌之介、って名乗っていましたよね?」
「っ!」
「今は、違いますけど」
 くすくすと笑う男に、才蔵の眉間に深い皺が刻まれる。
「まあ、別に、君がいいなら、俺はいいですよ。どうします?」
 挑発するような半蔵の態度に、才蔵は拳を握った。


 案内されたのは、個室の用意された居酒屋だった。未成年者が入っていいものかどうか迷ったが、連れて来た本人がいいと言うのだから、いいのだろう。
「あ、お酒は駄目ですよ。この時代では君、未成年ですからね」
「わかってるよ」
 あの時代は、十五で成人と見做された。それがいつのまに、こんなに引き上げられたのかと、不思議だった。
「俺も車なんで、飲めないですしね」
 才蔵は烏龍茶を頼み、半蔵はノンアルコールのカクテルを頼む。やたらと色鮮やかな飲み物が半蔵の前に置かれ、奇妙な取り合わせだと思った。けれど、この男には毒々しい色合いが似合う。
「さて、と。まず何から話しましょうかね」
「………鎌之介と、どういう関係だ?」
「由利、ですよ、今は。服部由利」
「服部、由利………」
「従兄弟なんですよ。あの子の両親が十年以上前に交通事故で亡くなったんで、その後は俺の親が引き取って、兄妹みたいに育ちましたけど」
「てめぇにも親がいんのか」
「いますよ、一応。あの時代にもいたんじゃないですか?見たことないですけど」
 親がなければ子は生まれない。だが、忍の里で親のいる子供など、数えるほどしかいなかった。捨てられた子供や戦場で孤児になった子供などが拾われてきて、暗殺者として育てられていた。
 それが、生きていくための術だった時代が確かに、この国にもあったのだ。
「でも、今は恋人です」
「っ!」
「婚約者ですし。あの子が十六になったら、籍を入れるつもりです」
「なっ!籍?」
「ずっと、欲しかったんですよ。あの子が。あの戦の後から、ね」
「あの戦?………大坂の陣か!」
「ええ。俺が死んだと思ってました?甘いですね、君はやっぱり」
「どうやって………」
「俺が何で異形衆を束ねていたと思います?全員の術に対応できるからです。アナスタシアの氷は厄介だが、溶かせないものじゃぁない。ま、時間はかかりましたし、伊佐那海のせいで腕は一本なくしましたけど」
「それで、大坂にもいたわけか?」
「ま、徳川でのお勤めは、続けていましたから」
 伊賀異形衆を束ねつつ、服部半蔵は徳川の忍を束ねる頭も勤めていた。異形集が散り散りになったとはいえ、稼ぐための、生きていくための術は持ち続けていた。
 だからこそ、大坂の陣で真田家が滅ぶその瞬間にも、いたのだ。
「あれも酷い戦でしたね。君も、あそこで命を落としたんでしょ?御愁傷様」
「うるせぇよ」
「豊臣は滅び、徳川の時代が始まった。御陰様で、天下は太平。忍は不要の時代がきた。君、幸運ですよ。あそこで死んでおいて」
「幸運?ふざけんな。俺は、死んだんだ。あいつを、守れなかった」
 真田も、鎌之介も、誰をも、守ることが出来なかったのだ。結局は。
「でしょうね。あの子を殺したのは、俺ですし」
「………何、だと?」
「だから、あの時、由利鎌之介を殺したのは俺です」
「てめぇが、鎌之介を?それで、何で、あいつと一緒に今いるんだ!」
 かつて殺した相手と、一緒にいる。家族として、恋人として。才蔵には、理解できない神経だった。
「何で、って………さっき言ったでしょ?聞いてなかったんですか?あの子が欲しかったんだ、って」
「殺しておいて、何でそう思うのか、って聞いてんだよ!」
 机を叩き、才蔵は立ち上がる。だが、半蔵は意に介していないかのように数秒思案すると、口を開いた。
「綺麗だったんで」
「綺麗?」
「あんなに綺麗に死んでいくのは、初めて見ましたから。殺した後に、欲しい、って思ったんですよ」
 死と言うものは、この上なく醜いものだと半蔵は思っていた。けれど、鎌之介だけは例外だった。痛みを受け入れ、苦しみを受け入れ、泣きもせず、叫びもせず、ただ、静かに自分の体に突き立てられる刃を眺めて、笑んだのだ。
 それは、幸福そうに。
 自分の腕の中で、心音と体温を失っていく体を抱きしめることの悲しさを、殺しを生業にしていた半蔵は、初めて知ったのだ。
 殺すことが当たり前だった。殺さなければ殺される世界だった。自分の命を生かすためには、それが第一義。
 だが、自分を生かさなくてもいい段になって殺めた一つの命に、半蔵は心を揺さぶられた。
「あの子は、俺のです。手ぇ出したら、殺しますよ?」
「ふざ、けんな………てめぇなんかに、鎌之介を渡せるかよ!」
「でも、君、今更あの子に顔なんか、見せられないでしょ?」
「どういう意味だよ?」
「どういうって………あぁ、覚えてないんですか?」
 哀れむような眼を、半蔵は才蔵へ向ける。
「何をだよ?」
「君、最後の最後で、由利を、裏切ったんでしょう?」
「な、に?」
「あの子が言っていましたよ。『才蔵は、結局俺を、選ばなかったんだ』ってね」
 可哀想に、という半蔵の言葉は、才蔵の耳には入ってこなかった。
 裏切った………その言葉が、才蔵の頭の中で、木霊していた。












2012/9/15初出