*断絶*


 テーブルに並べられた食べ物へ、次から次に箸をつけて、口へ運んでいく。
「腰がいてぇ」
「はい」
「喉がいてぇ」
「いい声でしたよ」
「なげぇんだよ、お前!」
「ははっ」
「笑い事じゃねぇ!歩けねぇだろうが!」
 散々に身体を貪られ、眼を覚まして起き上がり、ベッドから降りた瞬間に腰が砕け、立ち上がれなくなってしまった由利は、食事の並ぶ食卓へ、半蔵に自身を運ばせたのだ。
「風呂入りてぇ」
「食事が済んだら入れてあげますから」
「お前、一緒に入る気か?」
「歩けないでしょ?洗ってあげます」
「断る!」
 叫んで、湯飲みの中のお茶を飲み干す。
「ん」
「ああ、おかわりですか?」
 空になった湯飲みを突き出し、半蔵に受け取らせて、里芋の煮物を口に運ぶ。
「んで、何であんなに荒れてたんだよ?」
 新しいお茶の入った湯飲みを受け取り、一口含む。
「ああ。才蔵が馬鹿なこと言ってたもんで」
「ぶっ!」
「何吹いてるんですか?」
「だっ、おま、才蔵に会ったのか?」
「会いましたよ。俺見て名前呼んだので、どうも彼も記憶があるみたいですよ」
「………顔、合わせたくねぇ」
「でも、全てを思い出しているわけではないようでした」
「どういうことだよ?」
「あの場所で一体何があったのか、どうして戦が終結したのか、は覚えていないようでしたから」
「………じゃあ、伊佐那海のことも?」
「多分、覚えていないんでしょう。もし覚えているのなら、貴女の事を守れなかった、なんて口にしないと思いますよ」
「そんな事言ったのか?」
「言いましたね」
 あいつ、と才蔵が口にしたのが、由利鎌之介のことであることは、明白だ。その瞬間、半蔵は確信した。
 霧隠才蔵は、大坂の陣で大番狂わせが起きたことを、覚えていないのではないか、と。
「馬っ鹿じゃねぇの、あいつ。俺は守られるのなんて大っ嫌いだ!」
 茶碗の中の最後の一口を放り込んで、残ったお茶で飲み込む。
「じゃ、お風呂行きましょ」
「何でそんなに嬉しそうなんだよ」
「え?だって、一緒にお風呂入るの久しぶりじゃないですか」
 シャツを一枚羽織っただけの細い身体を横抱きに抱え、風呂場へ足を運ぶ。
「何にもすんなよ。もう俺、体力残ってねぇからな」
「胸ぐらい揉ませてくださいよ」
「却下だ!」
 顎を下から叩いたが、何の痛みも感じてなさそうな半蔵に、むかついただけだった。


 頭上から降ってきた物が、眼の前に落ちて割れる。どこかの教室にでも飾られていたのか、それは、小さな黄色い花を咲かせた鉢植えだった。
 深々と溜息をついて顔を上げるが、落とした相手の姿はない。
「つまんねぇ嫌がらせ」
 小さく呟いて、割れた鉢植えを飛び越え、歩を進める。
 自分の髪色が目立つことは知っている。自分の行動が、この時代の同年代の少女達の一般的な物と違うことも知っている。何故か、この時代の同年代の少女達というのは、仲の良い者同士で集まって、そうではない者を敵対視するのだ。
 不思議だと思う。そんなことをして、何が楽しいのか。何が面白いのか。一向に理解できなかった。
 自分は自分。他人は他人だろう。なのに、何故、他人も自分と同じでないと気がすまないのだろうか。そんな、誰も彼もが同じ時代は、退屈すぎる。
 だから、早く学校などやめてしまいたい。時折、半蔵が冗談交じりに「じゃあ、俺と結婚して永久就職してください」とか言うけれど、それならそれでいいと思う。
 半蔵は、自分を甘やかす。大事にする。その理由も聞いて知っている。
 そして、自分は何もしたくないし、半蔵も何もしなくていいという。殺したいという欲求が満たされることがないのならば、何もしたくない。
 代わりにはならないが、それでも、半蔵と肌を合わせれば、身体の中に溜まった狂気や熱は薄らいでいく。
 だから、もう、それでいいと思う。
 あの時から、自分の願いはもう二度と、叶わないと知っているから。
 もうきっと、才蔵は約束を忘れている。忘れていないのならば、どうして………
 頭を左右に振り、思考を追い出す。
 今までに、幾度となく考えてきたことだ。そして、それに答えなどなかった。考えたところで、起こった事実は消せないのだから。
 そんな、散漫になった思考を現実に引き戻そうとした瞬間、今度は、頭上から水が落ちてきた。
 視界が一瞬塞がったようになり、頭から全身ずぶ濡れになる。
 遠くで、笑い声がした。
「くだらねぇ」
 楽しくも悲しくもならないちっぽけな嫌がらせに、とりあえず、濡れた制服をどうするか、とスカートの端を抓み、授業をサボタージュする言い訳にはなるか、などと思った。
 その時、突然後ろから腕を引かれて、反射的に振り返ると、怒ったような双眸が見下ろしていた。
「お前、何まともに喰らってんだ!」
 あの頃と何も変わらない才蔵が、そこにいた。


 学校から呼び出しを受けた半蔵が最初に考えたのは、由利が何か刃傷沙汰でも起こしたのではないか、ということだった。
 かつて、小学生の時分に、授業で使用した小刀で、クラスメイトの腕を切りつけたことがあったからだ。幸いに、縫うほどの怪我でもなく、警察沙汰などにもならなかったが、流石に高校生にもなれば、警察沙汰にされかねないだろう。
 だが、到着した半蔵を待っていたのは、何故かサイズの合わないジャージを着て、保健室の椅子に腰掛けた由利の姿だった。
 保険医の説明によると、全身濡れていたので着替えさせ、保健室に予備で置かれていたジャージを貸し出したのだという。怪我はしていない、ということだった。
 保護者が来たので帰っていい、と言った保険医は、会議がある、と保健室を出て行く。
「驚きました。また刃傷沙汰かと」
「しねぇよ、もう」
「貴女ならしかねませんから」
「俺を何だと思ってんだ、お前」
 この上なく不機嫌そうな表情に、半蔵は首を傾げた。
 こんなに苛立っている由利を見るのは、久しぶりだった。だが、こんな風に苛立つのは大抵、彼が関わっている時だと知っている。
 そこへタイミングよく保健室の扉が開き、彼―才蔵が入ってきた。
「この間はどうも」
「………何で、てめぇがいるんだよ」
「保護者ですから。呼び出されたんです」
 才蔵が手にしているのが由利の鞄だと気づいた半蔵は、有無を言わさずそれを奪い、背を向ける。
「帰りましょう、由利」
「ちょっと待てよ。俺はそいつに話がある」
 引き止める才蔵を見て、半蔵は微笑んだ。
「そうなんですか、由利?」
「さあ。第一俺………こいつ知らねぇもん」
「ですって。残念ですね」
 拒否されたことが信じられない、とでも言う風に見開かれた才蔵の瞳に、半蔵は心の底から湧き上がる笑いを、必死に堪えた。












2012/9/28初出