*昔日*


 土の上に転がり、空を仰ぐと、顔の上に影が差した。
「ったく。本当にお前はしつけぇな」
「しょうがねぇじゃん。俺を満たせるのは才蔵だけなんだからさ」
 鎌之介愛用の鎖鎌は、少し離れた木の幹に突き刺さっている。才蔵の刀に弾き飛ばされたのだ。
 今日も今日とて才蔵に勝負を挑み、珍しく相手をしてくれたが、ちょっとした油断で武器を弾かれた。
「そういう科白をさらっと言うなよ」
「じゃあどう言えばいいんだよ?」
 時々、才蔵は鎌之介には良くわからないことを言う。しかし才蔵からしてみれば、思ったことを思ったまま口に出してしまう鎌之介には、困る部分が多々あったのだ。
 特に、人前で殺るだの何だのと口にしてしまうのが困りものなのだが、本人にはそれが他人にどう聞こえるかなど、全くどうでもいいらしいから、周囲が困る羽目になるのだ。
「あ〜土が気持ちいい」
 腕を伸ばし、足を伸ばして瞼を下ろしてしまった鎌之介をそのまま放置しておくわけにもいかず、才蔵は鎌之介の肩の側辺りに腰を下ろした。
 確かに手を触れてみると、動かして火照った体に、土の冷たさは気持ちがよかった。
 唐突に体を起こした鎌之介が立ち上がり、木の幹に刺さった鎖鎌を外すと、手早く腰へ収めてしまう。
「俺、水浴びてくる」
「まだ水冷たいぞ」
「気持ち悪ぃんだよ、汗が」
「んなもん、濡らした手拭で十分だろ」
「本当は風呂がいいけど、沸かすのが面倒だから水浴びる」
 言い終わるや否や、鎌之介は才蔵の静止も聞かずに、川がある方向へと歩いていく。
 そのまま一人で行かせてもいいが、才蔵も汗を拭いたい気持ちはあった。水浴びとまではいかなくとも、拭う程度はしておきたかった。
 辿り着いた川は穏やかに流れ、せせらぎの音が耳に心地よい。
 肌に心地よい空気に才蔵が一息ついたその時、鎌之介がおもむろに服を脱ぎ始めた。
「全部脱ぐな、阿呆!」
「あ、何でだよ?」
「胸隠せ!」
「あ?あぁ………隠さねぇと駄目なもんなのか?」
「駄目に決まってんだろ!」
 鎌之介は、女だ。小振りとはいえ、その胸元には柔らかな盛り上がりがある。けれど、鎌之介自身に女だという自覚が薄いせいで、隠す気が更々ない。
 正直、才蔵は眼のやり場に困る。
「隠せ、ったって、何にもねぇんだけど」
 相変わらず開けっ広げのままの鎌之介に、才蔵は持っていた手拭を投げた。
「これでも巻いとけ!」
 飛んできた長めの手拭を受け取った鎌之介が、器用に胸元を隠し、両端を縛る。
「よし。泳ぐぞ!」
「泳ぐな!外れたらどうすんだ!」
「見てるのなんて才蔵だけじゃん」
 だから困るのだ、ということを何故か鎌之介は理解してくれない。
 才蔵が呆れて額を押さえている内に、鎌之介は水飛沫を上げるようにして川へ入ると、ゆっくりと、水中へ体を沈める。それに従うように、長く紅い髪が、水面に花のように広がった。
 以前、幸村が伊佐那海を無垢だと評したことがある。だが、才蔵は、鎌之介こそ無垢だと思う。どれだけ血を浴びようと、どれだけ人を殺めようと、芯にある心が汚れないからだ。
「才蔵泳がねぇの?」
「俺はいい」
 水浴びなんて子供みたいだ、と思うが、鎌之介がしているとそんな風には思わない。無邪気に泳いでいる姿を見ると、普段の狂気染みた姿は、嘘のようだった。
 と、突然、顔に水がかかる。
「へっ!ざまぁ」
「お前なぁ………!」
 両手を重ねて空洞を作り、その中へと水を溜めて、遠くへ飛ばす。随分うまく飛ばしたものだと、顔にかかった雫を払いのけて、才蔵は立ち上がった。
「とっととあがれ!風邪引くぞ!」
「大丈夫だって。もう少し泳ぐ」
 水中でひらめく白い腕が、眩しかった。


 穏やかな日々は唐突に終わり、世は戦乱へと向かい、今まさに、刻々と破滅の時が近づいてきているようだった。
 緊張感が闇夜を包み、人々の穏やかな眠りを妨げないように、静かに薪の火が爆ぜる。
 時世は、完全に徳川天下の流れになった。豊臣恩顧の武将と呼ばれた者達ですら、その流れには逆らえず、傘下へと下っていった。
 それでも、根強く残る豊臣の標。その標を灰になるまで燃やし尽くさんとする気勢が、押し寄せようとしていた。
 間もなく、戦端は切って落とされる。そうなればこの地は、血と涙と屍に埋め尽くされることになる。
 それは、明日かもしれない。明後日かもしれない。
 自らの命が後幾許なのか………そう考え、眠れぬ者もあるかもしれない。
 そんな静かな陣の中を、才蔵は足音を一つ立てるでもなく、ゆっくりと巡っていた。
 大坂。幸村は、此処を死に場所と考えているようだった。
 のらりくらりと様々なものをかわし、時流を読んで命を繋げて来た男が、戦乱の世の終わりに、命をかけて盛大な花火をあげようとしている。
 天下が、泰平となるように。日ノ本に二度と、戦乱の世が訪れないように。その、礎の花火となろうというのだろう。
 此処に、戦乱の世は終結するのだ、と世に知らしめる。それが、目的だろう。
 だからこそ、平和な世に生きるべきだと、幸村は、伊佐那海を大坂へは連れて来なかった。巫女という立場である伊佐那海を、戦に巻き込む気は最初からなかったのだろう。清海や弁丸も、伊佐那海の側に残った。一人で残すわけには、いかなかったからだ。
 最後の最後まで、伊佐那海は渋った。才蔵が戦場へ出ることを。生きて帰れるとは、思えない戦だからだろう。戦力の差は、歴然としていた。
 それでもその腕を振り切って才蔵が来たのは、仕える幸村のためでもあったし、自分自身のためでもあった。
 自分も、命を燃やしてみたいのだ、と。
 そして………
 探していた姿をようやく見つけ、足音を消したまま近づく。
 石に腰掛け、空を見上げていた顔が、真横に立った才蔵に気づいて振り返った。
「この戦が終わったら、泰平の世が来るんだよな」
「ああ」
 徳川は既に天下を手に入れている。豊臣は既に、徒花なのだ。その徒花を枯らすためだけの、戦。
「つまんねぇんだろうな」
「え?」
「なあ、この戦が終わったら」
「ん?」
「俺と、本気で殺しあってくれよ」
「は?」
「才蔵、結構手ぇ抜いてただろ、今まで」
 鎌之介の瞳が、射抜くように才蔵を見上げてくる。
 確かに、今まで手合わせを幾度となくしてきたが、才蔵は大抵手を抜いていた。そこには鎌之介が女だからという理由もあったが、それ以上に、才蔵が鎌之介を、大切に思っていたからだった。
「本気で殺しあって、そんで、俺を殺してくれよ」
「え?」
「泰平の世になんか、俺、生きられねぇからさ。な、約束」
 篝火に照らされた横顔が、寂しく、憂えるように微笑んだ時、これまで想いを告げずにいたことを後悔し、腕を伸ばしていた。












2012/10/6初出