*奪還*


 温かい指先が、肌に触れる。柔らかく、優しく。
 ずっと、側にいてくれると言った。
 けれど。
 好きだと、愛していると、そう言ってくれたのは、本当に、この人だったかしら?
 優しすぎるのが怖いだなんて、どうして、そんな風に思うのだろう?


 アナスタシアから教えられた、異形衆が使用していた集合場所を虱潰しに探していき、そろそろ十箇所目、と言う段になって才蔵が辿り着いたのは、人気の全くない山奥の、寂れた寺だった。
 既に使われなくなって長い年月が経過しているのだろう。門も半ば崩壊し、土壁も崩落している。寺へと続く、そう長くは無い階段にも草が蔓延り、夕暮れ時の寂しさを助長しているようだった。
 幸村は、才蔵に一人で行って来いと送り出した。上田の地には伊佐那海がいる。守りを手薄にするわけにはいかなかった。
 そして、それ以上に、才蔵の心情を慮ってくれたのだろう。
 眼の前で奪われた鎌之介を、必ず、取り返す。
 才蔵は気配と足音を殺し、階段を上り始めた。


 朽ちかけた堂の扉を観音開きに開け、暗い堂内に眼を凝らす。西へ沈みかけた夕陽と、東から上り始めた月のせいで、堂の中は予想以上に暗かった。
 火をつけて中を確認しようとする前に、堂内で、一つ、橙色の光が灯った。
「やはり、追いつきましたか」
 黒衣を纏った男が、明かりのすぐ側で亡霊のように立っている。
「鎌之介を、返して貰うぞ」
「そうはいきません。姫は、私のものです」
「ふざけんな!」
 剣を抜き、才蔵は朽葉へと踊りかかった。だが、その刃を朽葉は避けると、喉の奥から笑いを零す。
「姫は本当に可愛らしい。幻覚の中で、ずっと一緒にいたいと求めてくる」
「てっめぇ!」
「貴方では物足りないのでしょう」
「殺す!」
 苦無で朽葉の纏う黒衣を床に縫いつけ、袈裟懸けに刃を振り下ろす。切っ先は朽葉の肩を大きく切り裂き、膝をつかせた。
「流石、頭と張り合うだけはある」
「鎌之介を、何処へやった?」
「教えると思いますか?」
「だったら、吐かせるまでだ!」
 膝をついた朽葉の黒衣を掴んで引きずり、床へと倒して刃を振り上げる。
 だが、朽葉も足を振り上げて刃を弾き、体を起こすと、明かりを消して闇の中へと姿を消す。
「くそったれ!」
 悪態をついた才蔵が、懐から苦無を取り出してそれに炎を灯し、堂内を照らすが、頼りないその明かりだけでは、堂内の全てを見通すことなど出来ない。
 だが、踏み出した才蔵の足が、何かを踏みつけた。明かりを其処へ近づけると、其処に何故か、白い小さな花が、咲いている。
「何だ?」
 花の全体像を辿るように明かりを移動させると、細い蔦のような茎が、絡まりながら床を覆い、それが堂内の奥へと向かっている。
 そこにはかつて仏像が据えられていたのだろうと想像できる台座がある。そこから、大量の蔦が、床を覆うほどに伸び、そして今も異常な速度で成長しているかのように、床の上を伸びていく。
「なっ………」
 しかし、苦無に灯した明かりでは全体を把握出来ない。そんな才蔵の心中を見透かしたかのように、台座の側に事前に置かれていたらしい二つの燈台に、明かりが灯った。
「どうです?私の幻覚は、幻覚を凌駕し、現実を侵す。既に、彼女は深い闇の中だ」
「鎌之介!」
 台座の側へと姿を現した朽葉が、蔦の中へ無遠慮に腕を差し込み、見せ付けるように白い顔を取り出す。
 見開かれた双眸は焦点が合わず、才蔵の声に反応もしない。
「何と言う精神力か………温かい夢に安穏と浸っていれば良かったものを、無理に抗おうとするから、心が壊れる」
「そいつは、そんなに弱くねぇよ!」
 鎌之介の心の強さを、才蔵は良く知っている。心が強くなければ、朽葉の幻覚を一度でも破ることなど、出来ないだろう。
「そう………弱くはない。弱くなければ、此処まで抵抗しない。だからこそ、壊してやりたくなる」
 手に入れたい。壊したい。侵したい。瞼の裏に残り続けた紅色を。
「私の、姫なのだから」
「てめぇ………」
 黒衣の下から覗く朽葉の双眸が、狂気の色を宿して才蔵を睨みつける。
 朽葉が鎌之介の顔を離すと、蔦が伸びて、その顔を覆い隠してしまう。
「私の姫を誑かす貴方には、此処で死んでいただかなくては」
 音もなく跳躍し、一瞬の内に肉迫した朽葉に刃を向けるが、それは寸での所でかわされてしまう。だが、かわされることを見越していた才蔵は、着地するだろう場所へ苦無を飛ばし、朽葉の体を床へと縫いとめた。 「返してもらうぞ。俺の、女だからな」
「ぐっ、うっ」
 横薙ぎに、殴るように斬られた朽葉は、体を折るようにして床へと倒れこむ。
「渡してやれねぇよ。惚れてんだからな」
 黒衣に隠された心の臓の上へと刀を振り翳し、真っ直ぐに下ろす。
 口から大量の血を吐き出した朽葉の喉元から、掠れたような音が零れる。
「くっ………くくっ………もう、戻、る、ものか………」
「鎌之介を、なめんじゃねぇよ」
 血を吐き出しながら言葉を紡いだ朽葉の首が、支える力を失って床の上へ音を立てて落ちる。それを確認して、朽葉の胸元から刃を引き抜き、才蔵は繁茂した蔦の中へと、躊躇無く腕を入れた。
 蔦を千切り、切り裂いて、埋もれている鎌之介を探す。
 指先に触れた感触に、確信を持って引き抜けば、ぐったりとした細い体が、浚われた時の引き裂かれた衣服を纏ったまま、現れた。
「鎌之介………」
 肩に羽織っていた衣を外し、細い体を隠すように羽織らせ、抱きしめる。
 紅い髪を梳きながら頭を撫で、その体に温かみがあることに、才蔵は小さく、安堵の溜息をついた。


 寒い。冷たい。誰も、いない。
 ずっと、側にいてくれると言ったのに。
 明かりの一つもない真っ暗な場所。
 温かく、優しく、抱きしめてくれた腕は、何処だろう?
 それとも、そんな腕は、何処にもなかったのだろうか?
 追いかけて、追いかけて、追いかけて………どれだけ追いかけても振り返ってくれなくて、いつも、いつも、自分ではない誰かを見ている視線なら、あった。
 そうだ。最初から、自分だけが求めていただけで、振り返ることなんて、なかった。
 きっと、あの温かさは、優しさは、幻でしかなかったのだろう。
 だから、自分にはきっと、この、寒くて冷たくて暗い場所が、似合いなのだ。
 求めてはいけない。願ってはいけない。求めれば求めるだけ、願えば願うだけ、どんどんと、膨れ上がってしまうのだから。
 隠さなくてはいけない。知られてはいけない。きっと、こんな気持ちは迷惑にしかならない。
 こんな、女々しい、感情をかき混ぜるだけの気持ちは。
 ………誰にも、渡したくない。自分だけのものでいて欲しい、なんて。












2012/8/11初出