鎌之介の着物を手に入れるために、才蔵はひとまず、近場の宿場町に転がり込んだ。だが、とうに店は全て閉まっている。宿の主人に頼み込んで一枚浴衣を譲ってもらい、鎌之介に着せて一息ついた頃には、白々と夜も明けようとしている時刻だった。 けれど、一向に鎌之介が眼を覚ます気配はない。ただ、昏々と、眠り続けている。 首筋を確認すれば、其処に咲いていた花は痕も残っていない。完全に、朽葉の術が絶たれているのだろう。 それでも眼を覚まさないのは、それほどに深く幻覚に取り込まれてしまっていると言うことなのか、それとも………現実を、忘れたいと願ってしまっているのか……… しかし、才蔵には、鎌之介を目覚めさせる術など持ち合わせていない。 ただ、信じるしかなかった。 鎌之介の、心の強さを。 鎌之介を探して、丸一日以上眠らずに、彼方此方を走り回って体は疲れているはずなのに、一向に眠気が訪れず、眠り続ける鎌之介の横でまんじりともしないまま、再び、夜が来た。 このまま、もしも眼を覚まさなければ、それこそアナスタシアが言ったように、餓死も現実味を帯びてきてしまう。 水を飲ませようとしてみたが、飲み込むことは無かった。 鎌之介を背負ったまま、上田へ帰ることも体力的に出来ないことではない。けれど、この状態の鎌之介を連れ帰れば、皆が心配するのは必至だ。せめて、幻覚が解けていることだけでも、確認したかった。 「鎌之介………頼む。眼を、開けてくれ」 祈るように口にして、白く細い手を、強く握り締めた。 全く眼を覚まさず部屋から出ても来ない女と、旅人には到底思えない男の二人連れを不審に思ったのか、宿の主人に病でも持っているのではないかと疑われた才蔵は、仕方なく宿を出て、次の日は野宿をするしかなくなった。 荒れ果てた納屋の一つでもいいから見つからないかと思ったが、眠ったままの鎌之介を背負った状態で、早駆けなどできるはずもないし、起きない鎌之介を置いて見知らぬ土地を歩き回るのは、危険だった。 鎌之介を土の上に下ろして、獣が寄らないように火を起こし、傍らに腰を下ろす。 顔色は、全く変わらない。それでも、何日も食事を口にしていないせいなのか、心なしかその頬が、やつれたように思えた。 時折、瞼が震える度に、眼を覚ますのではないかと期待するが、それは幾度も、空振りに終わっていた。 それでも、鎌之介がいつ眼を覚ますのかわからない状況では、うつらうつらとはするものの、深く眠ることなど出来なかった。 火の中へ木の枝を放り込んで、爆ぜる炎を睨みつける。 燃え上がる炎は、戦っている時の鎌之介のようだ。全身から闘志を吹き上がらせ、強い意志で持って相手に臨む。 けれど、強い色を宿すその双眸は、今は瞼で硬く閉ざされ、見ることも出来ない。 炎が間近にあって、寒いことなどあるはずがないのに、腕が震えるのは、怒りか、それとも、寂しさか。 炎の色に炙られた、白い横顔に視線を落とし、上半身を屈める。 「鎌之介………俺を、一人にするな」 そっと、柔らかい唇に自分の唇を重ね、熱を分け与えた。 ………呼んでる。誰かが、呼んでる。 でも、此処から出ては、いけない。出て、見て、知れば、また、苦しい思いをする。 でも、それでも、欲しい。あの、温かい手が。自分を呼ぶ声が。 望んでも、許されるのだろうか。 もしも、許されるのならば、欲しい。 自分に、こんな気持ちを教えてくれた、彼が。 唇を離し、額を、頬を撫で、それでも変化が無いことに肩を落とした才蔵が、上半身を起こそうとした時だった。 細く、透明な雫が、眦から溢れ出し、一筋頬を伝っていった。 「鎌之介?」 涙の痕を追うように指先で辿り、滑らせて唇に触れた時、瞼が、震えた。 長い睫毛が震えて、ゆっくりと、ゆっくりと、双眸を隠していた瞼が、押し上げられていく。 「鎌之介!」 「………………あ………さ、い………ぞ」 微かな、小さな声が、名前を呼ぶ。たったそれだけのことが、こんなに心躍ることだったと知らず、才蔵は紅い髪を梳いた。 「あぁ。おはよう」 「………お、れ………」 「いい。今は、起きるな。無理しなくていいから」 髪を梳いていた手を滑らせて、起き上がろうとする肩を、やんわりと押しとどめると、細い腕が上がって、才蔵の頬に触れた。 「さい、ぞ、泣いて、んの?」 「え?」 言われて、一滴、頬を伝った涙が鎌之介の指に触れる。 「眼に、ごみが入っただけだ。気にすんな」 「そ、か?」 「ああ」 「才蔵………」 「ん?」 一度開いた瞼が、再び、閉じられていく。 「声、聞こえた。嬉し、かった」 瞼を閉じて、満足そうに口元に笑みを刷いた鎌之介は、規則正しい寝息を立てて、再び眠りに落ちてしまった。 才蔵の心臓に、高まる鼓動だけを打ち込んで。 夜が明けて、もう一度眼を覚ました鎌之介が空腹を訴えた為、才蔵は鎌之介を背負って町へと寄った。 何日も何も口にしていなかったのだ。急に食べては、体がついていかないだろうと判断して、半ば夢の中に片足を突っ込んでいるような鎌之介に、宿を一泊取って、粥を一杯与えた。 その一杯を食べ終えるだけでも、相当の時間を要しながら、それでも最後の一粒まで食べきり、白湯を飲んだ鎌之介に、才蔵は安堵していた。 「何か、体、重い」 「何日も寝てたんだ。仕方ねぇよ」 「何で?」 「覚えて、ねえのか?」 覚えは全くないとでも言うように首を傾げる鎌之介に、才蔵は説明をしなかった。 どんな幻覚を見せられていたのかは知らないが、思い出して気分のいいものではないだろうと思ったからだ。 「悪い。俺、寝てねぇんだよ。少し、寝ていいか?」 「ん?ああ、いいけど」 湯飲みに白湯を足していた鎌之介の横に腰を下ろし、崩された鎌之介の膝の上に、寝転がる。 「は?才蔵?何してんの?」 「膝枕」 「はぁ?」 「貸してくれ。いいだろ」 言うなり瞼を閉じてしまった才蔵に、鎌之介は白湯を足したばかりの湯飲みを置き、黒い髪の一房を抓んでみた。 「忍が膝枕とか、いいのかよ?」 その問いに対する答えだと言わんばかりに才蔵の腕が伸びて、鎌之介の手を掴むと、自分の胸の上に置いた。 「安心する」 小さく呟いた才蔵の口から、暫くして規則正しい寝息が聞こえてきて、鎌之介は呆れたように溜息を零したが、何故か体が温まるような気がして、悪くなかった。 ![]() 2012/8/18初出 |