*妬心*


 才蔵が眼を覚ましたのは夕刻で、西日が室内を明るく照らす時刻だった。
 瞼を開けて最初に入ってきたのが、舟を漕ぐ鎌之介の姿で、才蔵が膝枕を借りた時と違わない姿勢のまま、上半身が揺れていた。
 自分の胸の上に置かれたままの手に、こんなに熟睡できたのは何日振りか、と数えようとして止めた。
 取り戻したのだ、と言う実感が湧いてきて体を起こし、舟を漕ぐ体を横にしてやり、布をかけてやる。
 鎌之介が眼を覚ます時に宿の者が起きているとは限らない。何か簡易的に食べられる物を買ってきた方がいいだろうと、才蔵は町に買出しに出ることにした。


 眼を覚まして、瞼を擦りながら体を起こすと、そこに才蔵の姿はなかった。
「いねぇ」
 何処か出かけたのだろうか、と思いながら体にかけられていた布を退かして立ち上がろうとして、もう一度布を掴む。
 途端、頭の奥から声が響いた。
『姫様』
「っ!」
『お側におります』
「あっ………あの、野郎!」
 夢で見ていた光景が、次から次へと頭の中へ蘇り、苛立ちを生む。
 一度ならず、二度までもあの男の術に引っかかったことを思い出し、鎌之介は掴んでいた布を放り出して部屋を飛び出そうとした。
 だが、飛び出す前に襖が開き、鎌之介が襖にかけようとしていた手を出した状態でいるのを、驚いたように才蔵が見下ろしてきた。
「何だ、眼ぇ覚めたのか。如何した?」
「才、蔵!や、いや、あの、何でも、ねぇ」
「何だ?何か、あったのか?」
 怪訝そうな才蔵の視線に、鎌之介は一歩、二歩と下がり、元いた場所に腰を下ろす。
 言えるわけがなかった。いや、知られたくなかった。
 だが、機微に聡い忍である才蔵が、様子のおかしい鎌之介に気づかないわけも、追求しないわけも無い。座り込んだ鎌之介の前に腰を下ろし、腕を掴んだ。
 まさか、また幻覚でも見たのではないかと危惧して。
「鎌之介」
「な、何?」
 視線を逸らして、才蔵を見ない鎌之介の耳が、心なしか赤い気がする。掴んだ腕を引き寄せて手首に指を押し当てれば、奏でられる鼓動が早い。
「何か、見たのか?」
「見てない!」
「ふぅん?」
 様子を探るように、視線を合わせようとする才蔵の眼から逃れようと体を捩るが、強く腕を引かれて、すっぽりと抱きしめられてしまう。
「確か、姫、って呼んでたな、あいつ」
「なっ、何で、知って!」
「覚えてるんだな?」
「ち、ちが、あんな奴、しらな………」
 急いで口を押さえるが、時既に遅し。才蔵の剣呑な双眸が、鎌之介を見下ろしていた。
「洗い浚い、喋ってもらうぞ」
 いつの間にか、東から押し寄せた漆黒の闇が、夕焼けを打ち消す時刻になっていた。


 幾度も、幾度も、角度を変えて唇を重ね、舌を絡めて吸い上げれば、何時の間にか大きく肩で息をするようになり、朱の走った眦には、小さな涙の粒が浮かんでいた。
 荒い呼吸を少し宥めてやるように、紅い前髪をかきあげて、白い額に唇を落とす。
 行灯の中の油皿の油が尽きたのか、何時の間にか室内は暗くなっていたが、夜目がきく才蔵にしてみれば、間近にいる鎌之介の姿は灯りなどに頼らずとも、よく見えた。
 涙の粒を舌で掬い上げ、形の良い耳に唇を寄せて、手は帯を解いていく。
「なあ、鎌之介」
「んっ………」
 耳朶を食みながら、低く、問いかける。開けた着物の内側へ手を差し込み、小さく柔らかい胸を揉みながら、足で足を左右に広げていく。
「教えてくれよ」
「な、にを?」
 熱に浮かされて蕩けた双眸が、自身を組み敷いている才蔵を見上げようとするが、才蔵は顔を鎌之介の耳朶に近づけていて、見えるはずもなかった。
「あいつに、何された?」
「し、らな」
「知らなくないだろ?」
「いや、だ、って」
「嫌じゃないだろ?」
「や!っ………い、たい、さいぞ」
 緩やかに揉んでいた才蔵の手が、急に鎌之介の胸を掴み、握り潰した。
「洗い浚い、喋ってもらうって言ったろ」
「何、で………俺、悪くな、あっ!」
 強く握り潰されたと思ったら、今度は緩やかに揉まれ、左手で右足首を掴まれる。
「悪いとか、悪くないとかじゃないんだよ」
 片足を胸辺りまで持ち上げさせれば、鎌之介の、下肢の奥にある柔らかな部分が、よく見えた。
「夢の中であいつに触られた場所、全部教えろ。俺が、綺麗にしてやる」
 例え幻覚だったとしても、夢だったとしても、鎌之介が他の人間に何かされていたと言う事実が、才蔵の妬心に火をつけ、狂わせようとしていた。


 細い手の指を一本、一本、丁寧に舌で舐めあげ、手首の内側へ唇を押し当てて強く吸い上げる。
「次は、何処だ?」
 額、頬、首筋、鎖骨、肩、腕、腰、腿と、ありとあらゆる場所へ舌を這わせ、唇を押しつけて吸い上げ、痕を残していく。
 頑なに口を割ろうとしない鎌之介に、痺れを切らせた才蔵は、ならば、と、身体全てを覆いつくそうとでも言うように、鎌之介の肌に触れていた。
 幾度と無く啄ばまれた唇は、紅く濡れたような色を帯びている。それがまた蠱惑的で、才蔵を誘う。
 何度目かわからない口づけを交わし、髪を梳きながら、首筋に咲いていた花がないことを、何度も確認する。
「さい、ぞ、もう、やだ」
 ぼろぼろと、小さな涙の粒を零しながら訴える鎌之介の言葉など聞かず、その涙の粒も舌で舐め上げる。
 辛いのはわかっている。決定的な熱を与えられずに、ゆっくりと、肌という肌を愛撫され続けているのだから。
 けれど、この程度で才蔵の中の火が治まる気配はない。
 自分がこんなにも嫉妬深いとは、才蔵自身思ってもいなかったことだった。
 才蔵は、何か物事に深く執着する性質ではない。それは、忍であると言う己の立場もあるだろうが、それ以上に、そういった物を作ることを、拒んでも来たからだった。
 作ってしまえば、手放せなくなる。側に置いておきたくなる。そして、それを失った時が、怖いのだ。
 かつて、友を失った時のように。
 大切なもの、大事なものを、作らなければいいのだ。そうすれば、失うこともない。傷つくことも、悲しむことも。
 けれど、それは上田へ来てすっかり、変化してしまった。
 大切なもの、大事なものばかりだ。
 その筆頭が、鎌之介だと言ってもいい。
 振り払っても、振り払っても執拗に追い縋り、いつの間にかしっかりと、才蔵の心の中に存在を刻みつけていた。
 情を交わしてからは、更にそれが深く、濃くなった。
 手放せるわけがない。鎌之介の中にも、自分の心の中と同じかそれ以上に、自身の存在を刻み付けなければ、いられなかった。
 二度と、他の誰かに魅入られないように。
 自分のものだと、深く、強く、消えない傷のように、残してやりたかった。












2012/8/25初出