*死灰*


 ぐっしょりと、酷い汗を掻いて目を覚ましたライズは、ゆっくりと体を起こして、頭を振った。
「姫………」
 死んでしまった、大切な主。
そして、その主に瓜二つな客人。
「私を、許してはくれないのですね、姫」
 咲き初める薔薇のような、甘い蜜を奪った罪人は、断罪されなければならない………彼女はきっと、そのために自分の前に現れたのではないかと思われて、仕方が無かった。


 近づいてきた唇はライズの頬を掠め、そして次の瞬間、唇に触れてきた。甘い香りに酩酊し、柔らかく甘い感触を享受し、細い腰を抱き寄せた。
 その翌日、ライズは屋敷の主人に呼び出された。
「全く………姫の我侭にも困ったものだ」
「何か?」
「良い縁談があったのだが、自分は絶対に結婚はしないと言い張って、聞いてくれぬ」
「旦那様………」
「君から言ってくれないか?」
「は、い?」
「私の言葉を聞かずとも、君の言葉ならば姫は耳を傾ける。全く、親の言よりも従者の言を聞き入れるのだから、困った娘だ」
「しかし」
「この話は必ず纏める。姫も年頃だ。婿を迎えねば我が家は没落し、君達も全員路頭に迷う羽目になる。私は、この家に関わる者全員に責任があるのだ。それに………姫には、幸せになってもらいたい」
 心の底から、子を思う親の言葉だった。滲み出る優しい声音が、そう思わせる。
「それと、姫が婿を取った暁には、君にはその夫婦を支える使用人の筆頭になってもらいたい」
「私が、ですか?」
 重い、重い鎖が、心に巻き付いていく。
「君は良くやってくれている。その働きに報いるための待遇だ」
「私に勤まりますかどうか………」
 困ったような表情を張り付かせながら、ライズはどうにもならないことを悟った。
 自分には、何も出来ない。主を想う心を秘め続けることも出来ず、押し殺すことも出来ず、諦めることも出来ず………そして、その想いを成就させるために一歩を踏み出すことも、出来ないのだ。
 想いを、なかったことにしなければ。秘めることも、押し殺すことも、諦めることも、踏み出すことも出来ないのならば、せめて、なかったことに………
 それが、悲劇を生むなどと、思ってもいなかった。


 気に入ったのか、林檎を食む顔がライズの方を向くと、眉間に皺が寄った。
「死人みてぇな面してんじゃねぇよ」
「は?」
「飯が不味くなるじゃねぇか」
「………申し訳」
「うぜ」
 最後の一欠けらを口の中に放り込むと、林檎を切る為に使ったのだろうナイフを掴み、その切っ先をライズへ向けた。
「で?俺がそのお姫様に似てんのか?」
「ど、どうしてそれを?」
「うろちょろしてる女に聞いた。俺に似た女がこの家にいて、最近死んだ、ってな」
 ベッドから降りて立ち上がったユリが、一歩、又一歩とライズに近づき、ナイフの切っ先を首筋へ当てた。
「俺はその女の身代わり、ってわけか?」
「ち、違います!」
「じゃあ、てめぇのその面は何だよ?」
「私、が、どんな顔をしている、と?」
「死人みてぇな面だよ。てめぇは生きてんだろうが。死人じゃねぇんだよ」
「わかって、います」
「わかってねぇよ。俺は今まで、散々死体を見てきた。自分がその寸前までいったのも一度や二度じゃねぇ。俺がこの手で死体を作ったのも一度や二度じゃねぇ。このままこの刃で、俺はてめぇを殺せる」
「ユ、リ、貴女は………」
 やはり、私を断罪する為に………
「てめぇは今、放棄してる。戦うことを」
「は?」
「てめぇとその女がどういう関係だったとか俺には関係ねぇし、興味もねぇよ。どうでもいいしな。でも、てめぇには助けてもらった借りがある。俺は、借りは返す主義なんだ」
「あ、の、意味が、よく………」
「戦え、っつってんだよ。てめぇは生きてんだろうが。生きるってのは、戦うことなんだよ。俺には俺の、てめぇにはてめぇの戦い方がある」
 ナイフが翻り、ライズの頬にかかった髪の一筋を落としていく。
「次に俺の前に姿見せる時はまともな顔してこい。じゃなきゃ、次は髪じゃすまねぇぞ」
 床の上に、黒い髪が一房落ちた。


 虫唾が走る、と言うのはこういう場合に使うのだろうと、舌打ちして磨き上げられた廊下を歩く。
 この屋敷の中に、裸足で歩き回っている者はいない。素足に冷えた石が心地いいのに、何故態々履物を身につけるのか、鎌之介には理解できなかった。
 いいや。理解できないことは、それだけではない。むしろ、理解できないことが多すぎて、正直、考えることを最初は放棄していたのだ。
 頭で考えて答えが出た例などまともにはない。体を動かしてから分ることの方が多い。だから、鎌之介にしては珍しく、体が動くようになるまで、我慢していたのだ。
 分ったことは、多くなかった。ただ、此処が、上田と違う場所だ、と言うことだけはよく理解できた。
 皆、着ている物が違う。言っている言葉が分らない。そして、誰も自分のことを知らない。それだけで、十分だった。
 どうすれば帰れるか、とか、その方法とかは怪我が完治してから考えればいい。運のいいことに、此処にいる連中は、自分を害しようとは毛ほども考えていないし、むしろ、まるで大事な客人だと言わんばかりの態度で、その上それを言葉でも常々言われたからだ。  折角、こちらが何を言わずとも衣食住を提供してくれ、かつ怪我の治療まで施してくれているのだから、存分にその恩恵に預かることにした。鎌之介は、貰える物は何でも貰う主義だ。
 だけど、此処に住まう連中の態度だけは、気に食わない。何を考えているのか、何を見ているのか知らないが、彼らの視線は全て、鎌之介を素通りしている。それは、熱が下がり、少しばかり周囲が理解できてから気づいたことだ。  からくり仕掛けの玩具のように、粛々と決められた動きに乗っ取って動くような男と女達。上田の城には沢山城仕えの者がいたが、皆きちんと生きていた。笑う、泣く、怒る、と言った感情が見えた。
 けれど、此処の連中は違う。その上、何処か空気が沈んでいた。
 胸糞が悪かった。だから、たまたま手近にいた女の一人を脅すようにその理由を聞き出せば、何のことはない。自分に似た女が此処にはいた、と言うことだった。しかも、その女は死んだらしい。
 ああ、あの男は、自分を見ながら、その女を見ていたわけか、と分ると、何だか、無性に腹が立った。
 死んだような、感情を見せない視線で見られるのは、腹が立つ。それが、自分の心を殺そうとしている人間ならば、尚のことだ。
 生きるも、死ぬも、自分の腕次第。弱ければ死ぬ。強ければ生きる。そういう世界で常に刃を揮ってきた鎌之介にとって、生きているのか死んでいるのか分らない目は、虫唾が走るのだ。
「………才蔵に、会いてぇなぁ」
 早く、彼に会って戦って、自分がまだ生きて、戦える生き物だと、証明したかった。
 微温湯の中でふやけるのは、御免だった。












2014/3/1初出