*鏡面*


 紅い、髪。赤い、薔薇。自分が一瞬、何所にいるのか分らなくなったライズは、左右に強く頭を振って、眼の前にある光景を凝視した。
 そうだ。違う。彼女は、違うのだ。
「何か、お探しですか?」
 主の纏っていたような、柔らかな絹のドレスなど纏わず、使用人と同じ簡素な衣服を着た少女は、薔薇園の中に佇んで、視線を彼方此方へ投げていた。
 ちらりと振り返り、視線を戻すその瞬間、垣間見えたのは、落胆だろうか。
「ああ。丁度良かった。なあ、俺が倒れてたのって、どの辺?」
「もう少し、右の方です。薔薇の枝が折れている一角が………ええ。そちらです」
 何かを探しているのか、腰を屈めて、自分が倒れていた場所を覗き込んでいる。
「俺を見つけた時さ、俺、何も持ってなかったか?」
「いいえ。何もお持ちではありませんでしたが。何か、持っていたんですか?」
「ああ。鎖鎌」
「くさ………え?」
「だから、鎖鎌。武器」
「ユリ、貴女は、一体、何者なのです?」
「俺?勇士」
「勇士?」
「戦うのが仕事、って言えば分りやすいか?それまでは、山賊やってたんだけど、っ」
「ユリ?」
「いってぇ。何だよ、これ」
 直接、薔薇の棘に触れたのだろう、右手の人差指から、血が流れている。
 ライズは、懐から白いハンカチを取り出してユリの右腕を掴むと、傷口を覆うように、その細い指先に巻いた。
「痛くありませんか?」
「平気だ」
「薔薇には、棘があります。探し物でしたら屋敷の者に頼んでおきますので、部屋に戻ってください」
 見上げてくる眼を、まともに見ることが出来ず、ライズは一歩下がって頭を垂れた。その頭上へ、盛大な溜息が落ちてくる。
「相変わらず、時化た面してんな」
「っ………」
「死んだ奴は、生き返らねぇんだよ」
 分っている。そんなことは。どれだけ願おうと、祈ろうと、既に土の下に眠ってしまった者が、息を吹き返すことはない。
「うじうじしてたって、どうにもなんねぇだろ」
「分っています!それでも………それでも!何故死ぬのが私ではなかったのかと、何故主が死なねばならなかったのかと、後悔しない日はないのです!」
 あの時、腕を伸ばしていたなら。
 あの時、後数秒早く追いついていたなら。
 あの時、正直な気持ちを吐露していたなら。
「後悔ばかりが押し寄せて、どうしようもないのです!いっそ、私が死ねばよかったのです!」
「何だ、言えんじゃんか」
「え?」
 垂れていた頭を上げると、そこには、驚いたような、けれど喜んでいるようなユリの顔があった。
「言葉にしちまえば、すっきりすんだろ?」
「………そ、れは」
「言わずにそうやって溜め込んでるから、うじうじぐだぐだ悩むんだよ。何で、こう、俺の周りにいる奴らは、変に悩んだり考え込んだりするんだか。そんな時間があるなら体を動かせ、っての」
「ユリ………」
「ああしてれば、こうしてれば、って後から悩んだってどうにもなんねぇんだから、今てめぇがやりたいことを、思ってることを行動に移せ。それが、生きる、ってことだ」
「私は、けれど………」
「っだぁー!もう!うぜぇ!男が、けど、とか、でも、とかぬかすな!」
「は、はい」
 地面を蹴るように踏みつけるユリの剣幕に驚き、ライズは思わず頷いた。
「ユリ………貴女の、今やりたいこと、とは何かと、聞いてもいいですか?」
 彼女のやりたいことを聞けば、何か、自分にも見つかるかもしれない、と、浅はかにも考えた故の、問いかけだった。
 それが、自分の答えにはなるはずもないと分っていながら。


 暗い。闇の、中だ。
 これは、あそこに似ている。あの、出雲の地下の、暗く、湿った、陰鬱な場所。
『ごめんなさい』
 声が、後ろから聞こえた。振り返れば、そこにはまるで、生き別れたと言われても疑えないほど似た、もう一人の自分がいた。
『ごめんなさい』
 けれど、着ている物が違う。髪形が違う。表情が、違う。
 右手と左手を合わせ、指を組み、何度も、何度も、謝罪の言葉を口にする。
「で?」
 その言葉にも、表情にも、仕草にもいらついた鎌之介は、睥睨するように相手を見、腕を組んだ。
『貴女を呼んだのは、私なの』
「あ、そ」
『怒って、ないの?』
「べっつに。怪我治して貰ったし、ただで飯は食えるし、着物も手に入るからな」
『良かった………』
 心底安心した、と言う風に女が組んでいた指を解き、一歩近づいた。
『貴女を戻してあげたいけれど、私にはもう力がない』
「ちっ」
 どうせ、そんなことだろうと思った、と鎌之介は舌打ちをする。
『私がここにいられるのは、あの人に未練があるから』
 そんなことは、鎌之介にとってはどうでもいいことだ。未練があろうとなかろうと、それは当人の問題だ。
『貴女の側にいた、あの世への路を開くことの出来る、彼女の力があれば………』
「あ?馬鹿女のことか?けっ!あんな女の力なんぞ借りたくねぇな」
 そもそも、鎌之介がこんなことになっているのは、確かに眼の前にいるこの女の願望が働いたせいもあるのだろうが、根本は、伊佐那海のせいなのだ。
 一人でふらふらと出かけるなと釘を刺されていたにも関わらず、あの女はそんなことお構いなしで城下町へ足を運ぶ。挙句、周囲に迷惑をかけるのだ。
 そして、たまたま、伊佐那海が襲われている場面に鎌之介が遭遇し、見捨てるわけにも行かずに間に入った結果が、これだ。
 まともに力の制御も出来ず、安易に周囲を闇で包み込んだ。その時に、恐らくだが鎌之介は、巻き込まれた。本来ならば骨も肉も残らずに消え去るだろう状況を、この女の願望が引き寄せた。
『貴女を呼び寄せておいて、勝手なお願いだけど、彼を………ライズを、助けて』
「やなこった」
『………どう、して?』
「俺には関係ないからな。てめぇが救ってやれよ」
『っ………私には、もう肉体がないのに!』
「知るかよ、それこそ、そんなことは」
 悔しそうな女から視線を外し、頭を掻く。
「つか、単純な話じゃねぇの?」
『え?』
「今みたいに、あの男の夢枕にでも何でも、立って話をしてやれよ。それで解決じゃねぇか。馬鹿馬鹿しい」
 恐らく、ここは黄泉路。あの世と繋がる、境の場所。この世界でそう呼ぶのが正しいのかどうかは、知らないが。
「人に頼む前に、自分で何とかしろよ。俺も自力で戻ってやるぜ」
 戻らなければ、才蔵と遊ぶことが出来ないのだ。必ず、自力で戻らなければ。こんな女に構っている暇は、鎌之介にはないのだ。
『貴女は、酷い人だわ。けど、優しい』
「はっ!馬鹿も休み休み言えよ」
 小さく、ありがとう、と聞こえた。それと同時に少しずつ、闇が薄れていった。












2026/7/25初出