*風波*


 傷ついた肌が、微かな痛みを訴える。けれど、そんな痛みに構っている場合ではなかった。
 跳ねるように体を起こし、先へ行こうとする背中を追う。
「才蔵!待てよ!」
「うるせぇ」
 後ろから追いかけてくる声と気配が、近づいてくるのが分かり、才蔵は歩く速度を速めた。速めれば、相手も足を速めると分かっていたが、それでも、隠形してしまおう、とは考えていなかった。
 忍というのは、主君に仕えればその主君の命令を忠実に聞き、最終的には命を落とす存在だ。個は決して尊重されない。個を喪失し他に混じり、消えていく存在だ。
 そのことを、忘れていたとは言わない。だが、辿り着いたこの場所が、個を大切にしてくれるような場所であったが故に、忘れつつあったのかもしれない。
 “忍”ではなく、“霧隠才蔵”という名の自分を生かしてくれる場所なのではないか、と。もしもそうならば、この場所で、生きて戦っていくのも悪くない、と。
 そうだ。勝手に考えていただけなのだ。勇士というのは、替えの利く駒なんかではないのだ、と。だが、実際には弁丸が抜け、其処に服部半蔵が入った。
 結局、自分も替えの利く駒の一つではないのか?今まで見てきた殿様のように、真田幸村も変わらないのではないか?
 駒でも、道具でもない生き方が、此処で出来るのか?
「才蔵!」
 思考に没頭していたら、強く左腕を引かれて反射的に足を止める。
 見下ろせば、鋭く鎌之介が見上げてくる。
「何だってんだよ?うるせぇよ、てめぇ」
「そりゃこっちの科白だ!」
「あ?」
「俺だって楽しくねぇし、面白くもねぇよ!今のてめぇは!」
「はぁ?」
「何の感情も乗ってねぇ」
「感情、だぁ?」
「空っぽじゃねぇか。何が気に食わないんだか知らねぇけど」
「うぜ」
「てめぇのしたいことしてねぇんだから、楽しくも面白くもねぇの、当たり前だろ!」
 怒鳴る鎌之介に、才蔵は頭を鈍器で殴られたような痛みを覚えた。
 自分のしたいことを、する。確か、それは以前にも鎌之介が口にしていた言葉だ。
 今の自分は、自分のしたいことをしているか?考えて、苛々して、人に八つ当たりして傷つけて、何をやっている。
 ぬるりとした感触に視線を下へ向ければ、才蔵の左手を掴んだ鎌之介の手から、赤黒い血が滴っている。
 腕も、足も、腰も、自分がつけた傷で血に汚れている。
「わりぃ」
「は?何が?」
「何が、って………お前なぁ」
「俺が弱くて楽しくねぇ、ってんなら、どっかで強くなるしかねぇけどさ………って、才蔵?」
「来い」
 掴まれていた腕を払い、逆に才蔵は、自分よりも圧倒的に細い鎌之介の手首を掴んだ。


 白い肌に、赤い血が流れる。その傷口を布で拭ってやろうと、木陰に座らせ、布と傷薬を取り出した所で、拒否された。
「お前なぁ」
「こんなもん、かすり傷だ!」
「かすり傷だって放っておけば酷くなることだってあるんだよ」
 薬、というものが須らく嫌いらしい鎌之介からしてみると、傷口に塗る薬も、拒否する対象になるらしい。
 鎌之介が相手だから、毒など塗っていない苦無を使用したが、忍の常套手段として、苦無には毒を塗布する。種類は様々だが、傷口から体内に入り込み、相手を苦しめる。傷にも怪我にも無頓着な鎌之介は、恐らく、今までそうしたものに苦しめられた経験がないのだろうが、これから先も同様とは限らない。
「とにかく。手当てだけはさせろ。お前、女だろうが。傷が残ったら嫌だろ」
「んなもん、気にしねぇよ」
 手首を握った才蔵の手から、逃げようとするように、鎌之介が渾身の力で振り払おうとするが、鎌之介の細腕から発揮される力など高が知れている。男と女の差というのは、こうした些細なことで、明確になる。
「舐めときゃ治る!離せよ!」
「………舐めときゃ、ねぇ」
「な、何だよ?」
 じり、と顔を近づけた才蔵に、鎌之介が腰を引いて、顔を背ける。
「腕はともかく、腰と太股は無理だろ」
「う、うるせぇ!」
「悪化して、いざって時に戦えなくなったらつまんないじゃねぇか?」
「うっ………」
 言葉につまり、視線を彷徨わせている鎌之介の腕を引き、血の止まりつつある傷口に、才蔵は舌を這わせた。
「わっ!さ、才蔵!?」
「舐めときゃ、治るんだろ?」
 舌の上に広がる血の味。慣れているはずのその味は、鎌之介のものだとわかると何処か甘く感じるのが、不思議だった。
 左腕、右腕、と傷口を舐め、腰を掴んで顔を近づける。
「うひゃぁ!」
「おい。変な声出すな」
「くすぐったいんだよ!」
 喚く鎌之介を睨みつけて、腰についた傷口を舐める。
「ちょ、才蔵!まじで、くすぐった………」
「………………興奮してきた」
「は?」
「あー………まずいな」
 本当に、消毒してやる意味合いで傷口を舐めてやるつもりだったのだが(半分位は嫌がらせで)、むず痒さに腰を捩るように逃げる鎌之介を見て、昼日中だというのに、褥の上の姿を思い出した。
 傷口に這わせていた舌を、ゆっくりと上へと滑らせ、上衣を捲り、ほとんど膨らみの無い胸元へと移動させる。
「才蔵!ちょっと待てよ!此処外!」
「うるせぇ。誰も見てねぇよ」
 鎌之介の手が、才蔵の頭を押さえつけて、胸元から引き剥がそうとする。抵抗しようとする手を掴んで、背後の木に押し付けるように、細い両手首を纏めて押さえつける。
「ま、まじで?」
 胸元からは引き剥がすことに成功したが、今度は腕を封じられ、上から見下ろしてくる才蔵に、鎌之介は後退りしようとして、背後の木に足がぶつかった。
「嫌なのかよ?」
「い、や、って言うか………昼間だし、外だし」
「お前にしちゃ、えらくまともな意見だな」
 常日頃、口にする言葉が物騒なだけに、まともな言葉も口に出来るのだと、才蔵は変な所で感心した。
「そうですよ。無理強いはよくないんじゃないデスか?」
 ふと、あらぬ方向からかけられた声に、才蔵は鎌之介の手を解放した手で、苦無を取り出した。
「うっわ。怖い顔デスねぇ。今は一応味方なんで、おさめてくださいよ」
 ひらひらと、手を振って近づいてきた服部半蔵に舌打ちして、それでも才蔵は苦無をしまわずにいた。
「あ?てめぇ、何で此処にいんだよ?」
 怪訝そうな声に、そういえば、鎌之介は朝この男が紹介された場にはいなかったのだ、と才蔵が事情を説明しようとする前に、近づいてきた半蔵の手が伸びて、才蔵が止める間もなく、鎌之介の上衣を捲り上げた。
「あ。女の子なんデスね、君」
「う………」
「う?」
 その瞬間、色気の無い声が森の中に響き渡り、鎌之介の起こした風で、二人とも空中へと弾き上げられた。







一番最新のコミックジーンの後、を妄想してみました。
才蔵×鎌之介的には超美味しかったので。
これは妄想しなきゃ駄目だろ!と思いまして。
あ。鎌ちゃんの叫び声は多分、うぎゃあああ!だと思います。
可愛くなんて叫ばない。絶対。





2013/3/3初出