*七夕*


 昼日中から、少しざわついた気配が城中にあることに気づいた由利鎌之介は、静かな場所がどこかにないのかと、城の中を大股で歩いていた。
 人があまり多くはない上田の城、特に鎌之介たちが寝起きに使用している場所は、常日頃静かなのだが(鎌之介が暴れない限り)、今日は、何処か浮ついた空気が全体に流れているように感じていた。
「寝れねぇじゃん」
 小さく呟いて、寝場所を探していた鎌之介の進行方向に、見慣れた姿があった。
「小姓?」
 何か、色取り取りの布を抱えた海野六郎が前方を歩いている。
「何やってんだ?」
「貴女こそ、何をしているんです?」
「何って………散歩?」
「………はぁ。暇そうですね」
 一度足を止め、鎌之介が追いつくのを待っていた六郎が再び歩き出す。半歩後ろをついていくように、ほぼ並んだ鎌之介は、六郎の持っている布を指差した。
「これ、何?」
「準備に必要なんです」
「準備?何の?」
「今夜は乞巧奠ですから」
「きっこう、でん?何だ、それ?」
「知らないんですか?」
 頷く鎌之介に、六郎は一つ溜息をついて、ついて来なさい、と促した。


 庭の一角に、足の長い高机が設けられ、その前に筵が敷かれている。そして、高机の周囲には、何故か灯台が置かれている。
「今日は七月七日、乞巧奠です。何の日か、は当然、知らないんですよね?」
「知らねぇよ。何か特別な日なのか?」
「主に、女性にとっての特別な日ですね」
 高机から少し離れた場所に、衣掛が置かれている。六郎は、持っていた布を、その衣掛に一枚ずつ、掛けていった。
「七夕、とも言いまして、女性が技芸や裁縫の腕の上達を願う日です」
「ふぅん」
「興味なさそうですね」
「縫い物するより、戦う方がいいじゃん」
「まあ、貴女はそうでしょうけど」
 鎌之介が高机の上へ視線を向けると、そこには何故か、琴と琵琶が置かれ、山海の珍味が皿に盛られて幾つも置かれていた。
「なあ、これ食っていいの?」
「駄目です!ちょっとそこにお座りなさい」
 筵を示され、睨みつけられて、渋々、鎌之介はその場に座る。六郎は怒ると怖い、ということは、十勇士全員が身を持って知っていた。
「いいじゃねぇか、少し位」
「鎌之介?気絶させられたいですか?」
 にっこりと微笑んだ六郎に、鎌之介は頬を引き攣らせて、首を左右に振った。
「これらは、皆供え物です。牽牛と織女という二つの星の神に対する」
「聞いたことねぇけど」
「ですから、今話しているでしょう?大人しくお聞きなさい」
 怒鳴られて気絶させられては敵わない、と鎌之介は、美味しそうな供え物が視界に入らないように、六郎へ視線を向けた。


 牛飼い男と機織り女は互いに恋をし、その恋に夢中になるあまり、牛を飼う仕事と、機を織る仕事をすっかり止めてしまった。幾度注意しても態度を改めない二人に、とうとう天帝が怒り、二人を二度と会えないように、大きな川を挟んだ反対側に引き離してしまった。しかし、それではあまりに可哀想だと、鳥達が橋渡しをしていた。しかし、引き離したはずの二人が隠れて会っているのを知った天帝は、ならば、きちんと仕事をするなら、一年に一度だけは会わせてやろう、と約束をする。そうして、二人は一年に一度、七夕の日に会うことが許されるようになった。
「そういうお話です」
「で?」
「で、とは?」
「牛飼う男と機織る女が出てくるのに、何で女が技芸の上達を願う日なんだよ?牛飼い男何処行った?」
「言われてみれば、そうですね」
 そういう由来に基づく行事なのだと、頭から信じていたため、何故女性のための行事なのか、ということまで、六郎は考えたことがなかった。
「それはな、機織り女が天帝の娘だったからだ」
「若」
「オッサン」
 着流し姿のまま、真田幸村が扇で自らを扇ぎつつ、縁側へ姿を現した。
「ただの牛飼い男と天帝の娘では、身分が違うだろう?だから、そちらが有名になったのだろうさ。まあ、その話は渡来の話で、元々この国にいた棚機津女という神様の話と内容が似ていたから、女性の祝い事になったのだとも言うがな」
「はっきりしねぇんだな」
 不服そうに口先を尖らせる鎌之介に、六郎は溜息をつきつつ、もういいですよ、と促せば、大人しく座っていた鎌之介は、勢いよく立ち上がった。
「では、私は準備がまだ途中なので、失礼します」
 鎌之介の相手をしていたら、いつまでたっても準備が進まないだろう。灯台に入れる油の準備もしなければいけなかった。
 幸村は縁側から庭へと足を下ろし、供え物である山海の珍味に視線を向けている鎌之介の傍に寄った。
「のう、鎌之介」
「あん?」
「お主が織姫だったらどうする?」
「織姫?」
「ああ、織女のことだ。織姫とも呼ぶ。で、お主ならどうする?好いた相手と引き離されて、一年に一度しか会えない、と決め事がされたら」
「そんなん、決まってる」
「ほう?」
 扇ぐ手を止め、幸村は身を乗り出した。
「面倒くせぇ障害物なんかふっ飛ばせばいいし、会いたいなら会いに行く。一年に一度しか会えない、って決められてそれに従ったってことは、そいつらはその程度にしか相手のこと思ってなかった、ってことなんじゃねぇの?」
「ほほぅ」
 幸村は扇を閉じ、そしてまた開いた。
「なあ、これ食っちゃ駄目なのか?」
「夜が来れば食べてもよいが、まだ駄目だな」
「何で夜なんだよ?」
「夜の祭りだからな。星の祭りだ。星が会う日だとも言うな」
「ふぅん。んじゃ、また夜来るわ」
 退屈そうに、一つ伸びをした鎌之介が、軽快な足取りで、高机の側から離れ、森の方へと向かっていく。恐らく、昼寝をする場所を探しに行くのだろう。
「やれやれ」
「若。どいてください」
「冷たいのぅ」
 いつの間にか戻ってきていた六郎が、主の幸村を退かすように、高机の正面に腰を下ろす。
「鎌之介はどうしました?」
「森に向かって行ったぞ」
「全く………落ち着きのない」
 小言を口にしながら、それでも本心からそうは思っていないのが、表情を見ればよく分る。
 扇ぎながら口元を隠し、幸村は縁側から自室へと戻った。自然と、口角が上がる。
 ………随分とじゃじゃ馬な織姫だ。この分ならば、今夜は綺麗に星が見えるだろう。
「大変じゃのう、六郎」
 川程度ならば、一飛びで飛び越えて追いかけそうな姿が容易に想像できて、年寄りのように、若い二人の前途を応援してやるか、などと幸村は思っていた。







六郎×鎌之介(♀)、七夕小説です。
鎌之介なら何だって飛び越えちゃいそうですね。障害物も吹き飛ばします。
何て乱暴な織姫だ………でも、それが鎌之介です。六郎さんは苦労性。

<参考資料>
『七夕の紙衣と人形』  石沢 誠司/著  ナカニシヤ出版






2013/8/13初出