*本質*


 戦の気配が、肌を刺す。久しく感じることのなかったその気配が、体の奥底に眠る感覚を、呼び覚ます。
 刃として、盾として、土地を、民を、主を守る。忍の、本分。
 木々に紛れ、森に同化し、侵入者を領内へ入れないよう眼を凝らしていた視界に、人の姿を捉える。
 兵士ではない。武具も身につけておらず、足取りには、何所か土地に慣れてでもいるかのような気配がある。
 それが、見知った者だと気づき、木々の間から音もなく土の上へと降り立ち、近づく。
「鎌之介」
 名を呼べば、今気づいた、と言わんばかりに顔が上がり、足が止まる。
「おう」
「よく、戻った」
 欠けていた勇士が、一人戻った。これで、幸村も安堵するだろう、と佐助が少しばかり肩の力を抜いた瞬間、瞬きをする間もなく、眼の前に白い顔が近づき、腹部に強い痛みを感じた。
「………鎌、之介?」
「わりぃな、戻ったわけじゃねぇんだ」
 視線を落とせば、自らの懐に、深く、小太刀のような物が刺さっている。その柄を握った細い手に力が籠められ、強く、押し出すように捻りこまれ、刃が柄ぎりぎりまで、肉に押し込まれる。
「ぐっ………何、故?」
「俺は、もう、勇士じゃねぇよ」
 押し込められた刃が、腹部の中で抉るように回され、引き抜かれる。
「かっ………っ………」
 確実に、殺そうとしている………そう気づいた佐助は、後退しようと足を引いたが、その場に膝をついた。
「くっ………通る、否!」
 刃を構え、立ち上がった佐助の体は、後方に吹き飛んで、木の幹にぶつかった。
「おせぇよ。こんなに遅かったか?」
 体勢を立て直そうと顔を上げるが、その時には既に、眼の前に迫られ、再度、刃を揮われた。その切っ先は、正確に刃を握る佐助の右肩を捉え、深々と貫いた。
「動かないほうがいいぜ。毒が塗ってあるからな」
 握っていた刃を落とし、左手で右肩を刺し貫いた小太刀を引き抜く。
 腹部の出血が、止まらなかった。その上、足に、痺れがきていた。
「其処で寝てろ。そうすりゃ見なくてすむ」
「待、て………鎌………っ」
 膝をつき、左手で腹部を押さえ、傷ついた右腕で先へ進もうとする背中を捉えようとしたが、掴むのは空ばかりで、霞む視界の端に紅い髪は消えていった。


 斥候の報告では、既に敵は兵を整え準備を終えて、いつでも侵攻できる構えだと言う。だと言うのに、一向に攻め入ってくる気配がない。
 攻めてくるのか、それとも諦めるのか。相手の思惑が何なのかわからず、遠方へ視線を投げながら、才蔵は屋根の上で深く息を吐き出した。
 勇士が、二人欠けた。その状況で、上田の地も、そして伊佐那海も守れ、と言うのは正直な所、相当の難題だ。
「くそっ」
 勇士が欠けた切欠は、確かに幸村の決定ではあった。だが、内一人を失ったのは、才蔵のせいだ。
 まさか、あんな程度のことで、と思っていた。けれど、あんな程度、ではなかったということだ。出て行った、というのはそういうことなのだろう。
 探しにも行ったが、手がかりは全くなかった。その上戦が始まる、と言われては、戻らざるを得ない。再び探しに行きたいのは山々だったが、出来なかった。
 小さく舌打ちをしたその時、前方に大きな氷の塊が出現した。
「アナ?」
 唐突に現れた氷柱に、何事かが起きた、と判断した才蔵は屋根を蹴り、その方角へと向かった。その間にも、幾つかの大小様々な氷柱が出現する。
 少しずつ、屋敷に近づいていた。
「アナ!」
「才蔵」
 宙へと飛び上がったアナスタシアの横へ並ぼうとした才蔵の正面へ、割れた氷が飛んできた。
「敵は!」
「敵………なのかしら」
「はぁ?」
「相手は、鎌之介よ」
「何だと?」
 距離をとって着地し、氷の飛んできた方角を見ると、割れた氷の向こう側に、仁王立ちしている人物がいる。
「何だ、才蔵か」
「お前、戻ったのか?」
 言った直後、才蔵の眼の前には、鎌之介がいた。距離は、十二分にあったはずなのに、瞬き一つする間に、距離は縮まり、眼の前に刃があった。
「何しやがる!」
 刃を弾き、後退する。アナスタシアも、鎌之介の動きに驚いたように眼を見開き、再び距離をとった。
「何、って、殺すに決まってんじゃん」
「お前………」
「二人同時なら手間がなくていいや」
「俺らを相手にして勝てると思ってんのか」
「思ってるよ」
 言いながら、鎌之介は握っていた太刀を鞘へ収めた。そして、使い慣れた鎌を背中から抜く。
「あーあ。やっぱ、使い慣れないのは駄目だな。だからいらねぇって言ったのに。あの野郎。捨ててくか」
 下げていた太刀を放り投げ、鎌を構えなおすと、鎖部分を振り回し始める。
「本気、か?」
「冗談でできねぇだろ、こんなん」
「くそっ!」
 仕方が無い、と才蔵も刀を構えようとしたその瞬間、体一つ分離れた場所にいたアナスタシアの肩から、血が噴出した。
「アナ!」
「っ………どうしてっ」
「俺の役目は、忍隊の全滅」
「なっ!」
「つーわけで、そこに隠れてるのも出て来いよ。それとも、引きずり出してやろうか?」
 鎌之介の口角が上がり、笑う。少しの間と共に、鎌之介の眼前に、見覚えのある姿が現れた。
「あん?三つ編?てめぇ、何で此処に?」
「どうも。俺も今は勇士なんデスよ」
「へぇ。あー。あいつぶち切れそうだな、それ知ったら。てめぇ、徳川にいたんだろ?」
「ま、そうですね。で、君は?」
「俺?俺は今、てめぇらの敵だよ」
 鎖の先についた分銅が眼の前に迫り、半蔵はそれを叩き落した。
「君の力は知っていますから、俺には通用しな………え?」
「おっせぇよ!」
 鎌の切っ先が眼前に迫り、半蔵は寸でのところで避けた。
 筈だった。
「どういう、ことデス?」
 避けた筈だった切っ先は、確かに当たっていない。なのに、半蔵の頬は切れていた。
「あ〜気分上がってきた。あいつが来る前に全員殺す、ってのも、ありだよなぁ」
 一歩、また一歩、鎌之介が歩を進める。
 速さが、以前とは全く違う。以前の鎌之介ならば、忍の速さにはついてくることが出来なかったはずだ。それが、今は速さを真骨頂とする半蔵をすら驚かせる速さで、刃を届かせてくる。
「お前、何があった?」
 刀を構えて、才蔵が問えば、一瞬呆けたような顔をした鎌之介が、弾けたように笑い出す。その、狂気染みた笑いは、その場にいた三人の背筋を、凍らせた。
「何も?ただ、本質を思い出しただけだ。壊したくて、殺したくて、しょうがないって言う本質、本能を、な」












2014/6/21初出