体の彼方此方が、痛みを訴えてくる。その痛みが、まだ、自分が生きているのだと言うことの証明だった。 腕は、動かない。足も、動かなかった。けれど、意識だけは痛みのせいで、段々とはっきりして来る。ゆっくりと、瞼を押し開けると、眼の前には闇があり、遠い場所で、篝火と思しき炎が、小さな火の粉を上げた。 如何して、自分はまだ生きている。瞬き一つする間もなく、側にいたアナスタシアと半蔵が血を吹いて倒れ、気づけば自分も土の上に伏していたはずだ。斬られたことすら気づかず、溢れる生温い血に、呆然としたことは覚えている。 だと言うのに、何故? 首は動かさず、視線だけで周囲の様子を探り見るのは、忍の性とでも言うのか、こんな時こそ骨身に染みた術が、生きた。 薄暗がりに慣れた眼が捉えたのは、足。そして、刀の鞘の先。男か、と考えるのと同時に、無意識に腕を動かそうとして、走った痛みに唇を噛む。 錠前を開ける様な音がして、初めて自分が牢の中にいるのだと分かった。痛みのせいなのか、指先の感覚がなく、いる場所が土牢なのか石牢なのかも、分からない。 扉が開けられ、影が入ってくる。影は、眼の前で立ち止まると、確認するように顔を覗き込み、陰惨に、笑んだ。 「良かったなぁ。忍で、生き残ったのは、てめぇ一人だけだ」 声を出そうとして口を開くが、乾いた喉からは声が出ない。 「死なない程度に手当てはしてやった。ま、いつまでもつかはわからねぇけどな」 知らない男だった。だが、身につけている物、刀の造りからして、身分ある者だと見受けられた。 「さ、っさと、殺せ」 ようやく搾り出した声は擦れていたが、それでも男には聞こえたようだった。 「それじゃあ俺がつまらねぇだろ?苦しむ奴を甚振るのが楽しいんだ」 言いながら、男は投げ出された才蔵の手の甲を踏みつけてくる。 「で、てめぇと鎌の関係は何だ?」 「か、ま?」 「鎌之介だよ。どうも、てめぇはあいつの中で特別みてぇだからな。徹底的に潰しておかねぇと、気がすまねぇ」 「知る、かよ………あんな奴」 敵に回った者のことなど知らないし、知りたくもなかった。 男は、才蔵の手を踏みつけていた足を振り上げて、才蔵の顔を蹴り飛ばす。防ぐことの出来なかった才蔵の体は、蹴り飛ばされた勢いのまま、倒れこんだ。そこで、初めて、自分がいるのが、冷たい石牢だと気づく。 男の腕が、才蔵の髪を無遠慮に掴み、持ち上げる。無理矢理に首を捻るような姿勢にさせられ、痛みが増していく。 四肢が、折られている。腹にも傷があるのか、痛みを伴って熱かった。 「あいつはなぁ、俺が拾った時には死にかけてたんだよ」 「?」 「誰のせいか、わかるか?」 痛みが、思考を鈍らせていく。男の声が、頭の中で反響する。 「てめぇが一度、あいつを殺したんだよ」 殺した?誰が、誰を? 「ふん。おい、そこの」 「はっ!」 牢外に待機している男が返事をし、具足の音を鳴らして動いたのが分かった。 「こいつをあの部屋に運んでおけ」 「承知しました!」 返事をした男の声が、震えている。それ程の相手なのか、と才蔵が視線を男の顔に向けようとした瞬間、頭が石壁に叩きつけられ、意識を失った。 全身に衝撃が走り、その痛みで眼を覚ました才蔵は、頬に触れているのが畳だと気づいた。背後で、軽い音を立てて襖の閉められる音がする。恐らく、石牢から此処へ連れてこられ、放り出されたのだろう。四肢の折れている状態では体を起こすことも儘ならず、首を動かして室内を見渡す。 微かな光を供する炎が、油皿の上でちろちろと燃えている。そんな燈台が、室内の四隅にそれぞれ一つずつ。 大きな音を立てて襖が開けられ、そしてまた大きな音を立てて閉められる。入ってきたのは、先ほど石牢で会った男だった。 才蔵を一瞥すると、口角を上げて笑い、部屋の奥へと進んでいく。薄暗がりになった其処へしゃがみこむと、男は腕を伸ばした。 「おい。いつまで寝てんだ、鎌。おーきーろ」 男の向こう側で、何かが動く。衣擦れの音がして、人影が起き上がった。 「………秀?終わったのか?」 「おう。ったく、どいつもこいつも使えねぇもんだから、時間ばっかりかかっちまう」 「………誰か、いるのか?」 「ああ。そうだ。てめぇに土産だ」 男は立ち上がり、才蔵に近づくと、襟首を掴んで畳の上を引きずり、放り出した。 「才蔵?何で?」 「てめぇが欲しいかと思ってよ」 「え〜いらねぇ〜つか、殺したと思ってたんだけど」 「死に掛けてはいたな。息だけしてた、ってとこか」 「他は?」 「他は全滅。お前が後先考えずに潰すから、他の連中の手柄はなしだ、可哀想に」 「だって、潰せってお前が言ったんじゃん」 「鎌之介!」 我慢できずに才蔵が声を上げると、鎌之介の視線が冷ややかに才蔵へと下ろされる。 「お前、裏切ったのか」 眼を丸くし、首を傾げた鎌之介が、唐突に笑い声を上げて、畳を叩く。 「変なこと言うんだな、才蔵。俺、裏切ってないけど?」 「ふざけんな………」 「だって、才蔵、俺のこといらないだろ?別にオッサンだって俺の事必要としてなかっただろ?」 「そんなこと」 「俺じゃなくても“風の勇士”ならいいんだろ?じゃあ、いいじゃん。俺じゃなくても。だから、裏切ってなんかねぇよ」 確かに、鎌之介の言うことには一理ある。幸村の欲しがっていたのは確かに“勇士”であって、それが鎌之介である必要性は何所にもない。そして、才蔵もまた、鎌之介を傷つけ放置し、追いかけもしなかった。 それらが、鎌之介を変えてしまった要因だと言うのならば………いや、鎌之介は自分で言っていた。本質を思い出したのだと。そうだ。元々、鎌之介は山賊だ。戦うのも、殺すのも、それが鎌之介自身の望みであったのならば、確かに“裏切る”と言う言葉は、合わないのかもしれない。 「いいことを教えてやるよ」 鎌之介の横へ腰を下ろした男が口を開き、才蔵を見下ろす。 「こいつはな、てめぇらの手には余る宝だ」 「宝、だと?」 「奇魂と同じ、神の魂の名残の一つだ。戦いを好む、神の荒々しさの顕れ。和を為す奇魂とは真逆ってわけだ」 だから、鎌之介は、以前とは比べ物にならない速さと強さと残忍さで、自分達を、追い詰めたのか。 血が滲むほど唇を噛み締めても、今の才蔵には、何も出来ない。 「なぁ、秀。寝ていい?ねみぃんだけど」 「だーめーだ。どうせ関ヶ原はこっちの勝ちだ。急ぐこたぁねぇ。一日位ゆっくりさせろ」 「ふ〜ん?よくわかんねぇけど」 「おめぇはわかんなくていいんだよ。膝貸せ」 言うなり、男は鎌之介の膝に上に頭を乗せて、眼を閉じる。 「あ。寝やがった。ったく。俺が寝れねぇじゃんかよ。まあ、いいや」 言いながら、才蔵へ向けて、鎌之介が右手を突き出す。 「じゃあな、才蔵」 それまで一度も見たことのない、微笑むような鎌之介の笑顔と風の唸りが、才蔵の最後の記憶だった。 ![]() 秀忠×鎌之介(♀)完結です。 秀忠さんは多分鎌ちゃんにマジ惚れです。 鎌ちゃんは、ふらっと上田を出ちゃった後。 飲まず食わずでいたら行き倒れて。 秀忠さんに拾ってもらった、って感じです。 2014/7/19初出 |