*恋衣*


 眼を覚ますと、鎌之介は常とは違う状況に居た。
―珍しい。
 寝る間を惜しんで働く、と言う類の人間ではないけれど、命令があれば何時でも動かざるを得ない状況に置かれた才蔵が、日が高く上っても、自分と同じ布団の中にいる、と言う状況が、珍しかった。
―いつもは、さっさといなくなるくせに。
 起こさないように、と気を遣ってでもいるのか、鎌之介が眼を覚ます頃には、大抵きっちりと着物を身につけて部屋を出て行こうとしているか、既に布団の中にはいないことが多かった。
―そりゃ、俺はいつまでだって寝ていたい性質だけどさ。
 それでも、何だか、全く信用されていないようで、悔しいと言うか、辛いと言うか、何だか胸の中がもやもや、むかむかする気持ちではあったのだ。
 けれどそれは、仕方がないことなのかもしれない。鎌之介と違い、才蔵は忍だ。同じように雇われているとは言っても、立場が全然違う。
―そういえば、三日は眠ってないとか言ってたっけか?
 昨晩言われた言葉を思い出しながら、欠伸を噛み殺す。
 そんなに眠っていないのならば、流石の才蔵でも眠いのだろう。上田の地はいつだって人手不足だ。優秀な人間ほど、睡眠が削られる。
 肩の辺りから背中の方へ回されている才蔵の腕をそっと掴んで外し、腕の間からすり抜けると、鎌之介は音を立てないように、慎重に、布団の中から抜け出した。
―何所に脱いだっけ?
 いいや、正確には違う。脱いだ、のではなく、脱がされた、である。だから鎌之介が、昨夜自分が身につけていた着物の在り処を知らなくても、当然なのだ。
 くしゃり、と布団から少し離れた場所に、着物が放り投げられている。腕を伸ばして届く位置にあったため、横着をして腕を伸ばして指先を引っ掛け、ずるずると手元へ引き寄せれば、それは一枚ではなかった。
―あ。才蔵の。
 自分の着物の上に、才蔵が着ていた衣が、乗っかっていた。
 引き寄せたそれを掴んで広げれば、確かに昨夜才蔵が着ていた黒い衣だ。動きやすさを重視した、布の面積が極力減らされたものになっている。
 それでも、鎌之介が広げると、何だか大きく見えた。
―何か、むかつく。
 眉間に皺を寄せて、広げたそれをためつすがめつしながら、思いつく。
 広げた裾から腕を入れ、頭を通し、すっぽりと着てみる。
―やっぱり、でかい。
 襟ぐりは大きく広がって垂れ下がり、胸元が見えそうだ。袖から抜けた腕は明らかに細くて、袖は弛んでいる。裾も、才蔵が着るなら丁度腰の辺りだろうに、鎌之介が着るとなると、腰の下にまで下がってしまう。
―そりゃ、背だって才蔵の方が高いし、体も才蔵の方が重いんだろうけど、何か、やっぱり、むかつく。
 同じように戦うことが出来なくても、同じ戦場に立つことはできる。同じ速さで走ることが出来なくても、風に乗ることは出来る。そう思っていたのに、こうも違うとは。
―男と女の差、ってやつなのか?
 男だとか、女だとか、そういったことを殊更考えたこともなく、また気にしたこともない鎌之介にとって、些細だけれども、こうした違いを突きつけられることは、まるで、戦う力が足りていないことのように思えて、気分のいいものではなかった。
―対等じゃ、ねぇのかなぁ。
 才蔵と、常に対等でいたい。守られたり、庇われたりするのは御免だし、無闇に女扱いもされたくなかった。
 才蔵に聞こえないように小さく溜息を零して、衣の裾に手をかけた。


 忍と言うのは、気配に敏感だ。肌に触られれば、眠っていたとしても、その眠気は何処かへ飛んでしまう。
 腕に触れられて意識を覚醒させた才蔵は、しかしすぐに眼を開けることをせず、布団の中から抜け出していった鎌之介を気配で追って、自分の方を向いていないだろうことを確信してから、ようやく薄く眼を開けた。
 眼の前に、白い背中があった。着物を着ようとしているのか、横着をして手を伸ばし、引き寄せている。
―珍しく、早く起きたんだな。
 大抵、鎌之介は才蔵より後に起きる。仕事柄、どうしても才蔵が呼び出されることが多い上に、完全に意識をなくして眠りに落ちると言うことが、出来ないように訓練を受けてきたからだ。
 そんな才蔵にとっての楽しみが、実は鎌之介の寝顔を見たり、髪を撫でたり、頬を突くことだったりするのは、鎌之介自身は気づいていないし、知らないだろう。
 その楽しみが奪われたのは失敗したが、しかし、鎌之介が才蔵より先に起きる、と言う機会は大変珍しいので、暫く観察することにしたのだ。
―あいつ、何やってんだ?それは俺のだろ。
 乱暴に脱ぎ捨てた着物が重なって落ちていたのか、上に乗っていた才蔵の衣を眼の前に広げて、何やら品定めをしている。
―おいおいおいおい!
 と思っていたら、唐突にそれへ腕と首を通し始めた。
―お前にはでかい、って!
 案の定、鎌之介には大きかったらしく、あちこちに布の余りが生じている。才蔵にとって動きやすい、丁度いい塩梅に作られているのだ。鎌之介に合うはずがない。
 身の丈は三寸弱違い、重さも三貫程度は違うはず。その上、男と女と言う、体の造り自体が違うのだ。全体的に筋肉質な才蔵と、肉のつきにくそうな鎌之介では、同じ着物を着ることは出来ない。
―ったく………にしても、何か、これはこれで、そそるな。
 布団の中にいた時は裸だったため、今の鎌之介が身につけているのは、昨夜才蔵が着ていた着物一枚。袖から覗く細い腕と、裾から伸びる白い足が扇情的で、寝起きの体には辛かった。
―疲れも、溜まってたしなぁ。
 三日程眠りを取ることができず、疲労も頂点に達しそうだったため、結局昨晩は、一度しか、鎌之介を抱いていないのだ。
―あー。まずいな。
 そう思いながらも、才蔵の腕は背中を向けたままの鎌之介に伸びて、着物を脱ぎかけたその腰を引き寄せた。


 突然、腰に太い腕が纏わりつくように回されて、鎌之介は後ろに倒れた。
―あれ?え?これ、何だ?
 眼の前に、才蔵の顔がある。才蔵は、眠っていたはずだ。まさか、あの程度で眼を覚ましたと言うのか………そんなことをぐるぐると鎌之介が考えている内に、才蔵の腕がずるずると、鎌之介の肩や腰を掴んで布団の中へと引きずり込み、覆い被さるように体を重ねてくる。
―何か、にやにやしてるし!
 その顔がむかついて、顔面を叩いてやろうと鎌之介が手を上げると、すかさず才蔵がその手首を掴み、掌を舐め上げた。
―まずい、気が、する!
 才蔵がこういう顔をしている時は、何かを企んでいる時だ、と言うのは、ようやく最近鎌之介が知ったことだ。そういう時は大抵、後で自分が泣きを見ることになる。
 手首を掴んでいる才蔵の手を振り解こうと力をこめても、才蔵の手から力が抜けることはなく、むしろ、掴んだ鎌之介の手を、敷布の上へと押し付ける。
 才蔵の顔が近づき、鎌之介の額へ、瞼へ、頬へと唇を落とす。そして、制止の言葉を紡ごうとした鎌之介の唇を、塞いだ。
 その瞬間、空いた鎌之介の手は無意識に、着ていた才蔵の衣を握り締めていた。







普段とは違う書き方に挑戦してみました。
会話のない話、と言うのは中々難しいですね。
なので、読み切りの短編です。
この時代にはなかったであろう“彼シャツ”をやりたかっただけです。





2014/8/29初出