*甘露*


 通りがかった台所で、何人かの女達が顔を突き合わせて、小声で話をしている。その様子を不審に思った六郎は、一歩其処へ足を踏み入れて、声をかけた。
「どうかしましたか?」
 何か、食事の用意で足りない物でもあったのか、それとも、不審な者の出入りでもあったのか………上田は小さな土地とはいえ、多方面から狙われている場所でもある。食事に毒を入れようなどと考える不埒な者が絶対にいないとは言い切れない以上、台所への女達の出入りは制限されているのだ。
 だからこそ、そんな場所で女達が食事の支度もせずに顔を突き合わせているのが、奇妙だった。
「海野様、それが………」
 言い難そうにしていた女の内、一人がゆっくりと口を開いた。


 磨きぬかれた城内の床板を、踏み抜きそうな勢いで、音を立てて進む六郎の姿を見て、すれ違う者達が皆一様に道を譲り、壁際に寄る。常日頃から、怒らせると一番怖い、という認識を持っている彼らは、触らぬ神に祟りなし、とでも言うように、六郎の道行きを遮ろうとはしない。
 そんな六郎が向かっているのは、勿論、自分の主たる真田幸村の自室だ。何をどう考えても、明らかに、犯人は幸村だ。他にはいないだろう。
 そう考えて辿り着いた幸村の自室前で一度足を止め、大きく一つ深呼吸をした六郎は、引手に手をかけ、滑りの良い襖を強く引き開けた。
「若!」
 怒鳴り声にも近い声で張り上げた六郎の声は、室内に綺麗に響き、背中を丸めるようにして手酌で酒を煽っていた幸村の背中を、一本筋でも入れたかのように伸ばすことに成功した。
「お、おお、六郎、如何した?」
 眼を丸くして、襖を開けた六郎を見上げた幸村の背中は、入ってきたのが六郎だと分かると、すぐにまた丸くなってしまう。
 その姿勢を見て、米神に青筋を浮かべた六郎は、室内に足を踏み入れて幸村の真横に立つと、蔑むかのような視線で見下ろした。
「な、何じゃ?怖い顔をして」
「若」
「お、おお?」
「台所の女達が、新年の寿ぎ用にと作り置いておいた甘酒が、見事にごっそりなくなっている、と、ちょっとした騒ぎになっているのをご存知で?」
「そ、それは、大変だなぁ」
 幸村がそっと、手に持っていた盃を畳の上へと置く。
「新年の挨拶に来た者達へと持たせてやりたいと、若自身が指示して作らせた甘酒ですから、勿論、若が持ち出して飲んでいる、なんて馬鹿な事はあるはずもないと思いますが」
「そ、そうだったな」
「私の眼がおかしいのでしょうか?若のその脇に転がっている酒の入っていたと思しき瓶は、違いますか?」
「はっ!何でこんな所にこんな物がある?」
 その科白を聞いた途端、六郎の中で堪忍袋の緒が切れた。
「白々しい言い訳をなさいますな!」
「耳元で大声を出すな、六郎」
 空になった両手で耳を塞ぐような仕草をした後、幸村の視線が六郎の入ってきた方角とは間逆へと向かう。
「眼を覚ますではないか」
「は?………………か、鎌之介?」
 幸村の視線を追って六郎も視線を移すと、そこには幸村の物と思われる着物を一枚かけられた鎌之介が、畳の上で体を丸くして、寝入っている。着物の間から顔が半分程度しか出ていないせいで、入ってきてすぐに六郎が気づかなかったのも無理はなかった。
「鎌之介は酒に弱いのぉ。これでは飲み比べにならんし、一人で呑んでも楽しくない。六郎、お前が付き合わんか?」
「付き合うわけがないでしょう。そんなことよりも、まさか、台所にあった甘酒を全て此処へ持ち込んだのですか?」
「全てではないぞ。途中で甚八と筧にも分けたし、清海にも渡したなぁ」
「一体、どれだけ飲ませたのです?」
「ん?鎌之介にか?大して飲ませてはいないが、そうさなぁ………瓶二つほどか」
 六郎は鎌之介に近づくと、かけられていた着物を掴んで、幸村の顔面へと投げつけた。
「ぶっ!こら!何をする!」
「いいですか?若は今から空の瓶を持って台所へと行き、困り果てている女達に平身低頭謝って、甘酒作りを手伝って来て下さい」
「何と?」
「若のせいで、台所の者達が青褪めていました。自分達は大変な失態を犯してしまった、このままでは城中から追い出されるのは必至だ、とね」
「それはまずい」
 慌てた幸村は、女達が早まらない内に、と空の瓶とまだ中身の残っている瓶を持って、早々に部屋を出て行く。これ以上、六郎に小言をくらいたくない、と言う気持ちも多分にあっただろう。足早に台所へと向かう。
 その姿を見送り、六郎は寝入ったまま目を覚まさない鎌之介の体を横抱きに抱え、酒臭い部屋を後にした。


 万年床と思われる、広げられたままの布団の上へ、運んでいる間も一度も眼を覚まさなかった鎌之介の体を下ろす。
「全く………」
 決して酒が強くないだろうに、ざるの幸村と酒を呑むとは、無謀にもほどがあった。
 枕がないことに気づき、室内を見渡せば、何故か隅の方へ転がっている。それを拾い、鎌之介の頭を持ち上げると、瞼が震え、ゆっくりと開いた。
「気分はどうですか?」
 いいとは言えないだろう、と分かってはいたが、それでも一応聞いてみる。
 暫く視線が彷徨っていたかと思うと、六郎がいることに気づいたのか、眼を眇めるようにして見上げてくる。
「ん〜こしょう?」
「そうですよ。寒くありませんか?」
 足元で丸くなっていた布団を広げ、かけてやる。冬でも薄着でいる鎌之介が風邪を引けば、後々面倒なことになりそうだと、首元までしっかりと覆ってやる。
 着物に染み付いてでもいるのか、酒の匂いが漂っていることに顔を顰めていると、布団の中から出てきた細い腕が、がっちりと六郎の肩と首に回された。
「か、鎌之介?」
 突然のことに、流石に支えきれずに、布団越しに鎌之介の上へと倒れこんでしまう。起き上がろうとしても、酒が入っている割には強い力で引き寄せてくるせいで、起き上がれない。
「あ〜あったけぇ〜」
「こら!離しなさい!」
「………何で?」
 心底意味がわからない、と言うような顔で鎌之介が首を傾げる。
「何でじゃありません!」
「っ………怒ったぁ〜」
「何で泣くんですか!?」
 泣き上戸か!と厄介な状況に、六郎が何とか、ぐすぐすと泣く鎌之介を引き剥がそうとしていると、軽く音を立てて部屋の襖が開けられた。
「おーい、鎌之介。オッサンが水持って、け………って、お邪魔しましたぁ」
 入ってこようとした人物を見咎めて、六郎は空いた手で手招く。
「才蔵!待ちなさい!」
「ごゆっくり」
「才蔵!私を助けていきなさい!」
 水を持ったまま、回れ右をした才蔵が、軽く首を振って部屋を出て行き、襖を閉めてしまう。
 その後、ぐすぐすと泣く鎌之介が疲れて寝てしまい、腕の力が緩むまで、六郎が解放されることはなかった。







甘酒でも人によっては酔う、と言う話を聞いたので。
年始なら甘酒、と言う安直な想像です。
幸村に着物を投げつけたのは嫉妬です。
鎌ちゃんは泣き上戸か笑い上戸だと面白いと思います。





2015/1/1初出