*白刃〜後編〜*


 私の最初の意識は、血まみれの己が身。粘つくような赤黒い色と、私を握る手の強さ。
 私は、元より武器として造られたわけではなかった。長く、田畑の道具として使われていた。それが、如何様な道を辿り、血にまみれるようなことになってしまったのか、到底意識を持たぬ身には知れぬことではあった。だが、私を握っているのが、決して武士のそれではないことは知れた。何故なら、その手には数多く肉刺の潰れた痕があり、土や泥で汚れていたからだ。きっと、長く田畑の作業をしてきたのだろうと、理解は出来た。
 私を握っている手は、わなわなと震え、慄くように私を放り出した。
 捨てられたのだ、と分かった。
 血に汚れた私の前には、今まさに、私のせいで絶命したのだろう男の顔が、しっかと瞼を見開いて、横たわっていた。まるで、恨み言を私へと聞かせるかのように。
 そう。私という意識は、人を殺めたことで初めて覚醒し、私という存在を得た。
 こんなに罪深い存在が、あるだろうか。
 人を生かすための食物を作るために造られた身が、人を殺めることで、初めてそれらを理解する、などと。
 けれど、こうして私は放り投げられ、捨てられた。ならば、このまま、野風にさらされて、朽ちていくのだろう。私という存在は、生まれ落ちたその瞬間から、無用のものとされ、名も与えられず、死に逝くだけのものとなったのだから。
 この身にこびりついた赤黒い血も、いつか錆となり、私を朽ちさせる。
 それでいい。無用のものは、いつか果てるのだから。
 けれど、死に向かうだけのはずだった私の前に、小さな影が立った。その影は、暫く私を見下ろしていたかと思うと、傷だらけの手を伸ばして、私を拾い上げた。
 小さな影は子供で、子供は私を大事そうに抱えたまま、見知らぬ土地へと辿り着いた。
 そして、私の汚れは落とされた。土も、泥も、血も、丁寧に払われ、磨かれ、輝きを取り戻した私で、子供は、人を殺め始めた。
 何が、そこまでこの子供を掻き立てるのかは、到底わからなかった。それでも、この子供は私をそのように扱うのだから、私にはそれが似合うと言うことなのだろう。
 そして、何時からか、私には鎖がついた。まるで、私自身を縛めるかのようなそれは、しかし、その子供にとっては大切なもののようで、戦う際には重要だった。
 刃も、鎖も、子供は大事に扱った。一度壊された鎖は再度直され、子供は私を捨て去ることをしなかった。
 壊れても、直されて使われる、と言うことを嬉しいと感じた。
 私は、この子に捨てられることはない。もしも捨てられるのだとしたら、それは、この子供が死ぬ時だろうと、そう思っていた。
 でも、私は、人の形を得てしまった。こうなった以上、私は、私の本分を全うすることは出来ない。刃として、鎖として、この子の望む形には、もうなれないのか。
 否。この、人の形を得たこの姿が、この子の望んだ姿であり、形ではないのか。
 ならば、この姿形で、為せることを為さねばならないのではないか。
 私に為せることとは、一体、何だろうか。


 呼吸が、乱れる。
 息が、荒くなる。
 これは、人の身が抱く、本能か、それとも他の、何かなのか。
体の中で、奥底で、渦巻く何かが私の体を突き動かす。
 怒りか、憤りか、悲しみか、苦しみか………ただ、分からぬその何かが、私の手足を勝手に動かしていく。
 この子の声が、言葉が、仕草が、その全てが、私を掻き混ぜ、乱していく。
 これは、一体何なのだ。この子に問えば、分かるのか。歯止めの利かない、この気持ちは、何と呼べるものなのか。
 細い、首。細い、腕。細い、腰。細い、足。濡れた衣の下から現れる、青白い肌。
 嗚呼。私は、この子とずっと一緒にいたいのだ。この子の側で、この子を見守り、この子に使われ、この子の為にこの身を血に塗れさせる。
 それは、この上なく幸福なことだ。
「た、すけ」
「助ける。必ず」
 か細い声が、途切れ途切れに紡がれる。
 苦しいのだろう。寒いのだろう。それらを全て取り除いてやらなくてはならない。
 空を掻くように伸ばされた白い手。その細い指先を掴んで、握りこむ。
「私を、一番近くに置いてくれ」
 そうだ。この子には、私だけでいい。
 だから。
 私は、鬼にならねばならない。
 いいや。既に、私は鬼なのだ。百年に、一つ年が不足した、器物の怪。
 九十九の、鬼。
「大丈夫」
 そう。その苦しみを、全て取り去ってやらねばならない。
「すぐに、楽になる」
 私の中で、風が唸った。


 白く柔らかい頬に、一筋、赤い血が、滲み出て、滴り落ちる。
「如何、して」
 何故、振り下ろせないのか。この子の苦しみを取り除いてやるには、何よりもそれが、一番だろうと思ったのに。
 この子を殺め、己もまた壊れてしまえば、何よりもそれが、幸せだろうにと、そう思えたのに。
 結局、刃となった風は、白い頬をかすめていっただけで、その命を奪うものには、なり得なかった。
 私は、やはり刃として、人を殺める道具として、とうに使い物にならなくなっているのだ。
 だから、殺めることが出来ないのだろう。それならば、もう、何を為せばいいのか。
 九十九の鬼としても生きられぬと言うのであれば、ただの物にすらも、戻れぬ。
「私、は………」
 私を見上げる双眸が、驚きに見開かれており、そして、暫く凝視していたかと思うと、ふと和らいで、閉じられた。
 ああ。早く、行かなくては。


 横抱きにした細い体を、なるべく揺らさないように慎重に、けれど、なるべく急ぐように、夜道を行く。
 月明かりもほとんど差さぬ森の中だというのに、それでも先を見通せるのは、私がやはり人ではないからだろうか。ならば、今は何にもなれぬ己を、喜ぶべきなのだろう。
 この子の辿ってきた道を、出来る限り外さないように戻るしか、私には出来ない。正しい道の在り処など、分からないのだから。
 きっと、夜明けまでには辿り着けるだろうと考えていた私の前に、真っ黒な影が、上空から降り立った。
「止まれ」
 銀色の、刃。けれど、暗がりに見えるその姿に、私は一歩を踏み出した。
「この子を、助けてくれ」
 この男に助けを乞うのは癪だった。何故なら、この男こそが、この子を傷つけ、このような窮地に陥れたのだから。
「酷く、冷たいのだ」
「っ………鎌之介?」
「早くしてくれ」
「っの、馬鹿!」
 男の腕が、私からあの子を奪う。
 ああ。良かった。これで、あの子は必ず、助かる。此処には、助けられる者が、幾人もいるはずだから。
「おい、あんた………いない?」
 振り返ったそこに、いるはずの男の姿はなく、ただ、静かに風が吹いていた。


 あの子は、壊れた私を、もう一度拾ってくれるだろうか。
 何ものにもなれない、私を。







付喪神とは、作られてから九十九年経った道具の霊魂。(『ジャパノジー・コレクション 妖怪』小松和彦監修より)
故に、九十九の神であり、物であり、鬼である。という解釈をしてみました。
だからこそ、初めて得た人の体と心に揺れ惑う。みたいな。
本来は、器物に手足が生える程度なのですが(苦笑)
鎌ちゃんの鎖鎌を擬人化した上にその来歴を捏造してみました。
鎌ちゃんの鎖鎌なので、やはり思考がぶっ飛んだ方がいいだろう!と。
多分、鎌ちゃんと才蔵は痴話喧嘩したんですよ。その辺はご自由に想像下さい。
付喪神に興味ある方は………調べてみてください。可愛いですよ、付喪神。





2015/5/16初出