私の最初の意識は、血まみれの己が身。粘つくような赤黒い色と、私を握る手の強さ。 私は、元より武器として造られたわけではなかった。長く、田畑の道具として使われていた。それが、如何様な道を辿り、血にまみれるようなことになってしまったのか、到底意識を持たぬ身には知れぬことではあった。だが、私を握っているのが、決して武士のそれではないことは知れた。何故なら、その手には数多く肉刺の潰れた痕があり、土や泥で汚れていたからだ。きっと、長く田畑の作業をしてきたのだろうと、理解は出来た。 私を握っている手は、わなわなと震え、慄くように私を放り出した。 捨てられたのだ、と分かった。 血に汚れた私の前には、今まさに、私のせいで絶命したのだろう男の顔が、しっかと瞼を見開いて、横たわっていた。まるで、恨み言を私へと聞かせるかのように。 そう。私という意識は、人を殺めたことで初めて覚醒し、私という存在を得た。 こんなに罪深い存在が、あるだろうか。 人を生かすための食物を作るために造られた身が、人を殺めることで、初めてそれらを理解する、などと。 けれど、こうして私は放り投げられ、捨てられた。ならば、このまま、野風にさらされて、朽ちていくのだろう。私という存在は、生まれ落ちたその瞬間から、無用のものとされ、名も与えられず、死に逝くだけのものとなったのだから。 この身にこびりついた赤黒い血も、いつか錆となり、私を朽ちさせる。 それでいい。無用のものは、いつか果てるのだから。 けれど、死に向かうだけのはずだった私の前に、小さな影が立った。その影は、暫く私を見下ろしていたかと思うと、傷だらけの手を伸ばして、私を拾い上げた。 小さな影は子供で、子供は私を大事そうに抱えたまま、見知らぬ土地へと辿り着いた。 そして、私の汚れは落とされた。土も、泥も、血も、丁寧に払われ、磨かれ、輝きを取り戻した私で、子供は、人を殺め始めた。 何が、そこまでこの子供を掻き立てるのかは、到底わからなかった。それでも、この子供は私をそのように扱うのだから、私にはそれが似合うと言うことなのだろう。 そして、何時からか、私には鎖がついた。まるで、私自身を縛めるかのようなそれは、しかし、その子供にとっては大切なもののようで、戦う際には重要だった。 刃も、鎖も、子供は大事に扱った。一度壊された鎖は再度直され、子供は私を捨て去ることをしなかった。 壊れても、直されて使われる、と言うことを嬉しいと感じた。 私は、この子に捨てられることはない。もしも捨てられるのだとしたら、それは、この子供が死ぬ時だろうと、そう思っていた。 でも、私は、人の形を得てしまった。こうなった以上、私は、私の本分を全うすることは出来ない。刃として、鎖として、この子の望む形には、もうなれないのか。 否。この、人の形を得たこの姿が、この子の望んだ姿であり、形ではないのか。 ならば、この姿形で、為せることを為さねばならないのではないか。 私に為せることとは、一体、何だろうか。 呼吸が、乱れる。 息が、荒くなる。 これは、人の身が抱く、本能か、それとも他の、何かなのか。 体の中で、奥底で、渦巻く何かが私の体を突き動かす。 怒りか、憤りか、悲しみか、苦しみか………ただ、分からぬその何かが、私の手足を勝手に動かしていく。 この子の声が、言葉が、仕草が、その全てが、私を掻き混ぜ、乱していく。 これは、一体何なのだ。この子に問えば、分かるのか。歯止めの利かない、この気持ちは、何と呼べるものなのか。 細い、首。細い、腕。細い、腰。細い、足。濡れた衣の下から現れる、青白い肌。 嗚呼。私は、この子とずっと一緒にいたいのだ。この子の側で、この子を見守り、この子に使われ、この子の為にこの身を血に塗れさせる。 それは、この上なく幸福なことだ。 「た、すけ」 「助ける。必ず」 か細い声が、途切れ途切れに紡がれる。 苦しいのだろう。寒いのだろう。それらを全て取り除いてやらなくてはならない。 空を掻くように伸ばされた白い手。その細い指先を掴んで、握りこむ。 「私を、一番近くに置いてくれ」 そうだ。この子には、私だけでいい。 だから。 私は、鬼にならねばならない。 いいや。既に、私は鬼なのだ。百年に、一つ年が不足した、器物の怪。 九十九の、鬼。 「大丈夫」 そう。その苦しみを、全て取り去ってやらねばならない。 「すぐに、楽になる」 私の中で、風が唸った。 白く柔らかい頬に、一筋、赤い血が、滲み出て、滴り落ちる。 「如何、して」 何故、振り下ろせないのか。この子の苦しみを取り除いてやるには、何よりもそれが、一番だろうと思ったのに。 この子を殺め、己もまた壊れてしまえば、何よりもそれが、幸せだろうにと、そう思えたのに。 結局、刃となった風は、白い頬をかすめていっただけで、その命を奪うものには、なり得なかった。 私は、やはり刃として、人を殺める道具として、とうに使い物にならなくなっているのだ。 だから、殺めることが出来ないのだろう。それならば、もう、何を為せばいいのか。 九十九の鬼としても生きられぬと言うのであれば、ただの物にすらも、戻れぬ。 「私、は………」 私を見上げる双眸が、驚きに見開かれており、そして、暫く凝視していたかと思うと、ふと和らいで、閉じられた。 ああ。早く、行かなくては。 横抱きにした細い体を、なるべく揺らさないように慎重に、けれど、なるべく急ぐように、夜道を行く。 月明かりもほとんど差さぬ森の中だというのに、それでも先を見通せるのは、私がやはり人ではないからだろうか。ならば、今は何にもなれぬ己を、喜ぶべきなのだろう。 この子の辿ってきた道を、出来る限り外さないように戻るしか、私には出来ない。正しい道の在り処など、分からないのだから。 きっと、夜明けまでには辿り着けるだろうと考えていた私の前に、真っ黒な影が、上空から降り立った。 「止まれ」 銀色の、刃。けれど、暗がりに見えるその姿に、私は一歩を踏み出した。 「この子を、助けてくれ」 この男に助けを乞うのは癪だった。何故なら、この男こそが、この子を傷つけ、このような窮地に陥れたのだから。 「酷く、冷たいのだ」 「っ………鎌之介?」 「早くしてくれ」 「っの、馬鹿!」 男の腕が、私からあの子を奪う。 ああ。良かった。これで、あの子は必ず、助かる。此処には、助けられる者が、幾人もいるはずだから。 「おい、あんた………いない?」 振り返ったそこに、いるはずの男の姿はなく、ただ、静かに風が吹いていた。 あの子は、壊れた私を、もう一度拾ってくれるだろうか。 何ものにもなれない、私を。 ![]() 付喪神とは、作られてから九十九年経った道具の霊魂。(『ジャパノジー・コレクション 妖怪』小松和彦監修より) 故に、九十九の神であり、物であり、鬼である。という解釈をしてみました。 だからこそ、初めて得た人の体と心に揺れ惑う。みたいな。 本来は、器物に手足が生える程度なのですが(苦笑) 鎌ちゃんの鎖鎌を擬人化した上にその来歴を捏造してみました。 鎌ちゃんの鎖鎌なので、やはり思考がぶっ飛んだ方がいいだろう!と。 多分、鎌ちゃんと才蔵は痴話喧嘩したんですよ。その辺はご自由に想像下さい。 付喪神に興味ある方は………調べてみてください。可愛いですよ、付喪神。 2015/5/16初出 |