先生に借りた服だから汚すわけにはいかない、と思いながら独歩は走った。それでも、やはりサイズの違う服は走りづらく、徐々にスピードは落ち、歩くようになり、途中で止まってしまった。 涙が、止まらない。体も、熱い。 シャッターの降りた知らない店の壁に手をついて、よろけそうな体を支え、どこに行こう、と考えている独歩の手が掴まれる。 「逃げてんじゃねぇよ!」 左馬刻が独歩に追いついたのは、独歩が途中で止まったからでもあったが、独歩の匂いがしたからでもあった。 独歩を番にした時の、甘い匂い。あの時ほどではないが、微かに追える程度には、漂っている。だが、左馬刻はその匂いに混じる、別の匂いを感じてもいた。 別の、αの匂い。 どうして分かるのかは、分からない。けれど、独歩の甘い匂いを邪魔するような、左馬刻にとって不快な匂いなのだ。 (この服か?) 細い体を覆い隠してしまうようなコートとマフラーに埋もれた独歩に腹が立ち、うなじを隠しているマフラーを奪い取る。 そのまま、首筋に噛みつこうとした左馬刻は独歩に突き飛ばされ、腕を振り払われ、マフラーを取り替えされた。 「てめぇっ」 「っ………番、解消して下さい」 「んだと?」 「俺なんかより、やっぱり、きちんと、子供が産めるΩが、いいと思」 「泣きながら言うことじゃねぇだろ!」 「でも、俺は、やっぱりダメだったから。碧棺さんなら、きっとこれから、幾らでも、いいΩと出会う機会が」 「それで、てめぇは他のαと番うってか?」 「そんなことしないっ」 振り払われた腕を掴み直し、握り潰すように力をこめて独歩を引っ張る。抵抗しようとしているようだが、αとΩは、力にも歴然とした差がある。勝てる道理がなかった。 左馬刻が独歩を連れて行ったのは、シンジュクの中に何軒もあるホテルの一軒。特に選んだ訳でもなく、無作為に入ったそのホテルで、左馬刻の気分に合う部屋が空いていた。 嫌がる独歩を引きずって部屋に入り、広いベッドの上へ乱暴に独歩の体を放り出し、逃げられないように、馬乗りになってコートのボタンを開ければ、中に重ね着している物もやはり、サイズが合っていない。 「これ、先生の服だろ?」 寂雷は、αだ。独歩の匂いに混じっているαの匂いは、これが原因だ。 「離してくれ!」 汚したり傷つけたりしては、寂雷に返せなくなる、と言うのが独歩の言い分ではあったが、事情を知らない左馬刻にどこから説明すべきか分からず、何故左馬刻が怒っているのかも、独歩には分からなかった。 「番は解消しねぇ。絶対にだ」 左馬刻の体の下から、どうにか逃げ出そうとする独歩の頭をベッドへ押さえつけ、左馬刻は室内を見渡し、ベッドサイドに置かれた棚の引き出しを物色した。 「てめぇが誰のものなのか、もう一度思い知らせてやるよ」 一度自分の手に入れたものを誰かにとられるなど、真っ平御免だった。 じゃらり、と鎖が音を鳴らす。細く白い体に、黒い革の目隠しと手錠は、よく映えた。 「あっ………はっ………」 何も吐き出さずに絶頂へ駆け上がった体が震え、弛緩する。相変わらず、前は快楽を得るばかりで、吐き出す術を知らないままだ。だが、後ろは……… 「慣れてきたよな」 「んあっ」 左馬刻自身を飲み込んでいた場所へ指を入れ、軽く弄ってやれば、素直に反応する。 逃げられないように、と室内に備え付けられていた黒革の手錠で両腕を拘束し、同じ材質で作られた目隠しで、目を塞いだ。 他のαを、見ないように。 手錠に繋がれている長い鎖を引き、その先を天井に設置されているフックに引っかけると、独歩の体が、丁度ベッドに膝をついて立つような格好になった。 「ああ、いいな」 位置が、丁度良かった。 涙で濡れた目隠しを外してやり、顎を掴んで前を向かせる。 「見えるか?」 「な、に………?」 唐突に明るくなった視界に慣らすように、何度か瞬きをした独歩が見たのは、大きな鏡だった。壁一面が、鏡張りになっていたのだが、独歩はこれまで気づかなかった。 「これが、今のお前だ。番の俺に抱かれて、喜んでる」 「嘘………っ」 「目ぇ逸らすな。ああ、零れてきたな」 独歩の太股を伝って零れる左馬刻の吐き出した欲を指摘してやり、足を軽く開かせる。 「鏡から、目逸らすなよ」 「や、嫌だっ、あうっ」 これ以上零れないように、左馬刻は独歩の中へ自分の昂ぶったものを突き入れた。独歩の喉が反り返り、顔が鏡から逸らされる。 「しっかり見とけ」 後ろから顎を掴んで前へ向けさせる。嫌がるように独歩が腕を動かしたが、鎖が音を立てるばかりで、外れる訳はない。 強く腰を打ち付けるが、どうにも姿勢が動きづらく、左馬刻は独歩の足を掴んで大きく開かせ、自分がベッドの上に立った。 「ひっ!あっ、やぁっ」 「見えるだろ?旨そうに俺を呑み込んでる」 「やっ、嫌っ、やだぁあ」 大きく足を開かせたことで、独歩が左馬刻を受け入れている場所が、しっかりと鏡に映るような位置になった。 そこから独歩は目を逸らそうとするが、手錠と鎖で腕の位置は変えられない。その上、左馬刻に抱え上げられて貫かれている為に、体を動かすことも出来ない。顔を逸らせば、その都度左馬刻に顎を掴まれて、前を向くようにさせられる。 そして、一度見てしまえば、どうしてか、目を逸らせなかった。 嫌なのに………怖い左馬刻は、嫌だ。最初の時も、怖かった。けれど、それは未知の行為に対しての怖さで、左馬刻に対してではなかった。けれど、今は、違う。左馬刻の怒りが、何に対して怒っているのか、それが分からなくて、怖い。しかも、その怒りを、全身でぶつけてくる。 受け止め切れる、わけがない。 「っ………や、だ、嫌、嫌………っい」 「何だと?」 嫌だ、と言い続ける独歩にキレかけた左馬刻は、本当に微かな、小さな声で独歩が呟いた言葉に、冷水をかけられた気分になった。 ―怖い。 ぐっと唇を噛んで、堪えるように瞼を閉じてしまった独歩に、左馬刻は一度独歩の中から自身を抜くと、腕を伸ばして、鎖をフックから外してやった。 ぐったりとした体が、ベッドの上に倒れ込む。力なく横たわった体を仰向けにし、額、瞼、頬、耳朶、唇に一つずつキスを落とす。 「おい、目ぇ開けろ」 「ふっ………うぅっ」 「よく見ろ。お前を抱いてるのは、俺だ」 薄らと瞼を開けた独歩の、涙で濡れた深い青を覗き込み、軽くうなじを擦ってやる。 「あ、おひつ、ぎ、さん」 「ああ、俺だ」 じっと覗き込んでくる左馬刻の赤い目から少しだけ、怒りの色が薄まった気がして、独歩は、まだ右手と左手が拘束されたままで、それでもその手を、左馬刻の心臓の辺りに伸ばして、触れた。 ―ああ、いつもの、碧棺さんだ。 左馬刻の胸元に触れて、満足そうな顔で眠りに落ちそうな独歩に、流石にこのまま放置されるのは困る、と左馬刻は自分自身を独歩の中に殊更ゆっくりと、埋めた。 「んっ………はっ、んあっ」 ゆるゆると腰を動かして、独歩の小さな甘い喘ぎ声を聞きながら、左馬刻は独歩の中へ欲を吐き出した。 ![]() にぶにぶ独歩です。 何で私が書くと受は皆鈍いんだろう。 2022/2/17初出 |