* 海よりも深く、溺れるように U  *


 やりすぎた、と左馬刻は頭を掻いた。
 男二人が入っても余裕のある広い風呂へ、眠っている独歩が溺れないように後ろから抱えて入っているが、まだ、目を覚まさない。
 嫌だと、怖いと泣いていた独歩に、罪悪感がないわけではない。だが、左馬刻から逃げたのは独歩の方だ。逃げられたら追いかけたくなるし、追いかければ捕まえたくなる。そして、捕まえたなら、絶対に逃がさない。
 逃がさないためには、拘束しておくのが一番いい。だから、拘束した。やりすぎたとは思っているが、悪いとは思っていない………はずだが、目の下の濃い隈に重なる、泣いた痕が赤く残っている独歩の顔を見ると、流石に悪かったか、と目の下を軽く擦ってやる。
 すると、身動ぎをした独歩が、ゆっくりと瞼を開き、ぼんやりと宙を見た。
「起きたか?」
 眼を冷ました途端に真後ろから声がして、独歩は驚いて後ろを振り返った。すぐ側に、左馬刻の顔がある。
「悪かった」
「え?」
「ただの、嫉妬だ」
「え、と………あの、何に?何の話?」
「あ?わかんねぇのか?」
「すみません」
 左馬刻でも嫉妬するようなことがあるのだな、と思いながら、そもそも何の話だ?と考えるが、話の基点が独歩には分からない。
「何で、先生の服着てた?」
「あ、ああ、あれは………」
 土曜日の夜に、エントランスで郵便受けの女に会ったこと、その後雨に濡れ、ふらふらになって気づいたら寂雷の家にいたこと、そこで高熱を出して丸一日寝込み、治療をして貰っていたことなどを、どうにか思い出しながら話した途端、左馬刻の両手が独歩の頬を挟んで、無理矢理顔を自分の方へ向かせた。
「いでっ」
「おい、ちょっと待て。熱があったのか?」
「あ、はい。先生の家を出る時は、まだ三十七度ちょっとあったかと」
「何でそれを最初に言わねぇんだ!」
「へ?え、と、言う暇がなかったと言うか、言わせてもらえなかったと言うか」
「クソッ!」
 熱があった人間を無理矢理手籠めにするとか最低じゃねぇか!と、自己嫌悪に陥っている間にも、独歩の話は続く。
「それで、スーツが雨に濡れてぐちゃぐちゃだったので、先生が洗ってくれると言うのでお言葉に甘えて。でも、先生も仕事があるので、迷惑になってもいけないと思って、服を借りて家に帰ろう、と」
「で、俺に会った、と」
「そうです。で、嫉妬って言うのは?」
「あぁ?ここまで聞いてわかんねぇのか?」
「全く」
 興味津々、と言った風な顔で振り返っている独歩に、何となく腹が立ち、顔を正面、壁の方へ向けさせる。
「他のαの匂いがした」
「他のα………先生ですか?」
「そうだよ!」
「え?それで、どうして?」
「あのなぁ。察しろよ、少しは」
 どうしてこの男はこう鈍いんだ、と、下を向いて唸って考えている独歩のうなじに、軽く噛みつく。驚いた肩が震えるが、噛みつかれているので、首は回せない。
「まだわかんねぇのか?」
「え、えぇと、え、と………あの、はい」
「お前、番解消してくれ、って言っただろ」
「言いました、ね」
「その後、先生の匂いがした。ってことは、先生と番になりてぇのかと思うだろ」
「番は碧棺さんですよ?」
「わぁってるよ!だからただの嫉妬だっつってんだろ!クソがっ!そもそも、何で番解消とかって話になってんだよ!」
 頭にきて、目の前にある独歩の頭を軽く叩き、強めに髪をかき混ぜる。
「いたっ、ちょっ」
 左馬刻の手を掴んで頭の上からどかした独歩は、けれど、その手を離さなかった。
「あの日、精密検査の結果を聞いて………結果は、まあ、悪かったんですけど」
「何が知りたかったんだよ?」
「子供が、出来るかどうか」
「おい」
「ダメでした。発情期は来るかもしれないけど、子供は出来ないそうです。だから、碧棺さんは、他のΩを、探した方がいいんじゃ、ないかな、と。俺みたいな、オッサンより、この間の、女性、みたいな、若い方、が」
 言葉が震えて、うまく出てこない。それでも絞り出すように、言葉を紡ぐのは、その方がいい、と思っているからだった。
 だが左馬刻は、独歩が掴んでいた手を逆に掴み直して、掌で包み込んでしまう。
「あのな、俺様が一度でもガキが欲しいってあんたに言ったか?」
「言って、ないです」
「育てられるとも思わねぇからいらねぇな、ガキは」
 子供を育てるには、責任がいる。命を一つ育てるのだ。ヤクザを商売にしている左馬刻に、今、その覚悟は全くなかった。
 いつか、欲しい時が来るかもしれないが、その時はその時だ。子供を望むことと番を解消することがイコールだとは、左馬刻は考えていなかった。
「大体、あんただってガキ育てるのに向いてなさそうだしな」
「はぁ。まあ、多分」
「それにな、あんたはそれでいいのかよ?」
「え?」
「俺が他に番作ってあんたは平気なのか?」
「仕方がない、と思います」
「ちげぇよ。ここに聞け、って言ってんだ」
 言いながら、左馬刻は独歩の心臓の上を指さしてやる。頭でどうこうではない。気持ちがどうかを聞いている。
「あんたが嫌か嫌じゃないかを聞いてんだ。仕方がないとかじゃねぇんだよ」
「………嫌、です」
 ぽろりと零れた言葉は、独歩の本音だ。嫌だと思った。あの女性が、左馬刻の腕に抱きついていただけで不快だったのだ。仕方がないと頭で理解するのと、心で納得するのとでは、全く違う。
「だったら、この話はこれで終わりだ。二度と番解消とか言い出すんじゃねぇぞ。後な、そういう話は一人でうだうだ悩まねぇで、俺様に話せや」
「でも、迷惑じゃ」
「迷惑だったら端から言わねぇよ。この際だから言うけどな、もうちっと俺様を頼って来いや。郵便受けの件と言い、もっと早く言ってりゃ、こんなにこじれてねぇぞ」
 左馬刻が早々に対処していれば、一ヶ月半も悩まされる事はなかっただろう。
「それこそ、自分で解決しないと。恋人じゃないんですから」
「え?」
「へ?」
 今、聞き捨てならない言葉が聞こえたな、と左馬刻は、独歩の細い腰を、逃げられないように両腕でホールドしてしまう。
「番だろ?」
「番ですね。でも、恋人とか夫婦とかとは違うし、付き合ってくれとも言われてないし、俺も言ってない、ですよね?」
「番は世間一般的には恋人や夫婦だろうが!あんた今まで何だと思ってたんだ!?」
「え?番兼セフレかと。えぇ?恋人?」
 そうかなぁ、と一人でぶつぶつと言い始めてしまった独歩に、もうこいつダメだ、と匙を投げた左馬刻は、手を腰から移動させた。
「うわっ、ちょっ、と、どこ、触って」
「うるせぇ。もう一回すんぞ」
 お湯を跳ねさせながら、独歩は何とか左馬刻の腕の中から逃げようと、もがく。
「いやいやいや、もう無理で、っ………っていうか、のぼせそ、あっ」
 だが、先に腰を掴んでいた左馬刻が独歩の足を開かせて、その間の隠された場所に自分自身をねじこむ方が、早かった。
「いっそ、首輪でもつけるか、あんた」
「はっ………あっ、あ………」
 敏感になっていた体は、簡単に絶頂へ駆け上ったらしく、独歩の首が仰け反って、頭が左馬刻の肩に乗った。その、無防備に晒された首を撫でて、左馬刻は意地悪く笑った。







まさかの恋人じゃない認識。
自分で書いていて「あ、独歩はそう思ってたんだな〜」と思いました。(他人事)





2022/4/9初出