* 海よりも深く、溺れるように V 10 *


 指先で、舌先で、眼差しで、見落としも、見逃しもないようにと、足の裏から指と指の間、背中から太股の内側と、自分自身ですら滅多に触れたり確認しない場所まで暴かれ、汚れを落とすためにと、髪の毛から足の爪先まで洗われ、羞恥に震えている内に、左馬刻に抱え上げられた独歩は、バスタオルに包まれた状態で、寝室のベッドへ運ばれた。
 自分で洗えると言ったのに、大丈夫だと何度も言ったのに、左馬刻は容赦がなかった。まるで、子供のように扱われたことが恥ずかしくて、どうしたって涙が滲むのを止められない。そして、その涙を止められない事が悔しくて、また自然と涙が出てくる。
 いい年して情けない、と思うのと共に、こんなに自分は泣き虫だったろうか、と思う。
 そして、独歩がベッドの上でぐずぐずと泣いている間に左馬刻は、どこから持ってきた物か、救急箱を手にしていた。
「いい加減泣き止めよ」
「っ………あんたのせいだろ!」
「はぁ?」
「俺、こんな、泣いたり、しなかっ………碧棺さんのせいだ!」
 そうだ。自分はこんなに泣き虫じゃなかった。だが、左馬刻と番になってから、いや、なる前から、幾度となく泣かされている。
 分かっている。心配してくれたのだと。怪我がないかを確認したかっただけだと。それでも、もっと他にやり方あっただろ!とは思うのだ。
「人聞き悪ぃこと言うな。苛めてねぇだろ」
「意地悪はしてるっ!」
 どことなく楽しそうな左馬刻の表情が癇に障って、独歩は、左馬刻から距離を取ろうとした。だが、勿論それを左馬刻が許すはずもなく、ベッドの上へ腰を下ろすと、独歩の左手を掴んだ。
「ちっと我慢しろ」
「っ………!」
 救急箱から取り出した消毒液が、左手の甲に出来た切り傷へかけられる。器用なのか、それとも単純に傷の手当てに慣れているのかは分からないが、左馬刻の手際は良く、気づくと傷口は、白い包帯で巻かれていた。
「あ、りがとう、ございます」
「んなふてくされた顔すんじゃねぇよ」
 ふてくされてなどいない。けれど、風呂場でされたことを納得しているわけでも、受け入れているわけでもないのだと言う、意思表示だけはしておきたかった。
 救急箱を床に置いた左馬刻は、独歩を包んでいるバスタオルに手を伸ばして剥ぎ取り、放り投げた。
「安心しろ。こっからは嫌なこと全部忘れるぐらい、甘やかしてやるよ」
 左馬刻の唇が独歩の瞼に触れ、舌先が涙を掬った。


 静かに涙を流し続けている独歩の肌は、風呂場で散々にまさぐったせいか、酷く敏感になっていて、左馬刻が触れる度に、心地いい反応を示した。
 何もされていないだろう事は分かっていたが、ついでだと、左馬刻を受け入れる場所の準備も風呂場でしたおかげか、独歩の中は、素直に左馬刻を呑みこんだ。
「はっ………おい、こっち見ろ」
「やだ」
 いつものように枕に顔を押し当てているせいで声がくぐもっているが、拒否していることは分かった。
「そろそろ慣れろよ」
 馴染むまで、と腰を動かさずにいると、枕の下から、独歩が鼻から上だけを出した。
「甘やかしてくれるって、言った」
「どうして欲しいんだよ?」
 左馬刻の問いに、独歩は再び顔を枕で隠すと何かを呟いたようだったが、小さな声は枕に吸い取られ、左馬刻の耳にまで届かない。
「聞こえねぇ、よ!」
 大きく腰を動かすと独歩の腰が跳ねて、中にいる左馬刻を締め付ける。その反動でか、枕を掴んでいた両腕の内、左手が外れてシーツの上へ落ちた。
「おら、早く言え」
 ゆっくり腰を動かして独歩の中を堪能していた左馬刻の顔面に、枕が叩きつけられた。
「………おい。この状況で、喧嘩売ってんのか、あんたは?」
 左馬刻の顔面に叩きつけられた枕は、そのまま独歩の腹の上へ落ちた。それをもう一度掴まれて叩きつけられてはたまらないと、左馬刻は枕を床へ弾き飛ばした。
 だが、いつの間にか独歩は左肘をついて上半身を軽く起こしていて、飛んでいった枕から視線を戻した左馬刻の頭を右手で引き寄せると、左馬刻の唇に、キスをした。
 それは、正真正銘、独歩からの、初めてのキスだった。額や頬ではない、唇への。
「一回も、してくれてない!何でっ、ひぅ」
 独歩の両脚を掴んで大きく開かせ、左馬刻は更に奥へと、己を押し込んだ。息を呑むような声を上げて、独歩の上半身が仰け反るのと同時に、左馬刻の頭から手が離れた。
「やっ、あっ、んぅっ」
 もっと奥へ、と思いながら、上半身を倒して独歩の唇を舐め、キスをする。絡めた舌を吸い上げて離し、口の端に零れた唾液を舐め取り、もう一度軽くキスをする。
「はっ………ん、もいっかい」
「キス好きだな、あんた」
「ふっ、ん」
 強請るように伸ばされた独歩の右手を掴んで、左馬刻は自分の首の後ろへ回させる。
「しっかり掴まってろよ」
「………へ?んっ………んんっ!」
 啄むように一度唇へ触れ、二度目は深く呼吸を奪うように、唇を覆った。その間も、穿つように独歩の中へ自分を押し込める。しがみつくものを探しているのか、左手が左馬刻の背中へ回り、肩甲骨の辺りに触れた。
 独歩の目から、途切れる事なく涙が溢れていく。シーツに吸い込まれていくそれが、何故か勿体ないと思えたが、それよりも、キスを欲しがる独歩の唇を、離したくなかった。
 角度を変えて何度も唇を奪い、舌を絡め、吸い、唾液を混ぜて、息継ぎをする間を与えずに、キスをする。段々と、キスの間隔が短くなり、独歩の呼吸は上がっていった。
 限界まで開かせた独歩の足が震え、左馬刻の背中にしがみつく両腕が、震える。
(………息、出来な…………おぼれ、そ)
 体の奥で、左馬刻の欲が弾けたことを感じながら、独歩は体が投げ出されるような浮遊感に襲われ、離れていく左馬刻の顔を見上げた。
 こんな時ですら、左馬刻の顔は綺麗で、格好良くて、滴る汗すら輝いて見える。腹立たしい程整った顔に、それでも微かな赤味が差しているのは、少しくらいは、自分に興奮してくれている証だろうか、と、重たい右腕に力をこめて、伸ばした。
「………好きだなぁ」
 浮遊感の残る体は、力が入らない。伸ばした右手の指先は、微かに左馬刻の頬に触れると、すぐにシーツの上に落ちた。
(ああ、ふわふわする………眠い)
 心地よい気怠さと浮遊感に包まれながら、独歩は自分が何を口にしたのかも分からず、ゆるゆると瞼を閉じようとした。
 目の前で左馬刻が目を丸くしている事も、息を呑んだように言葉を失っている事にも気づかずに。
 だから、突然、上向いていた筈の体が引っ繰り返され、目の前に白いシーツが現れた事に、今度は独歩が目を丸くした。
 眠りに落ちようとしていた思考は覚醒し、後にいるはずの左馬刻を振り返ろうとする前に、下腹部に衝撃を感じて背筋が反る。
「あっ………まっ、なにっ」
 一度、顔が離れていくタイミングで引き抜かれた筈の左馬刻自身が、再び埋められたのだ。その熱量から逃げようと、独歩は力の入らない右腕を、ベッドヘッドへ伸ばそうとした。しかし、その腕は左馬刻に掴まれ、強く握られる。ならばと、左腕を伸ばそうとしたが、そちらも掴まれ、傷口のある包帯の上から、緩やかに撫でられた。
「逃げんな」
 耳元で低く囁かれ、振り返った左馬刻の双眸が、まるで獣のように輝いている。
 まずい、と思った時には、大きく口を開けた左馬刻が、うなじに強く噛みついていた。







左馬刻の顔面に枕バーンがやりたい。
が、この三つ目のお話を書き始めた切欠です。
それと、独歩に「好き」を言わせたかった。
左馬刻にも言わせたいですね。
言ってくれなさそうだな。




2023/10/21初出