* EX 10 *


 もう嫌だ、と心の中で何度目か分からない言葉を呟く。勿論、実際に口にすることは出来ないし、したところで状況が改善するわけでもないと知っている。それでも、せめて心の中で呟く位はいいだろ!と、観音坂独歩はパソコン画面を眺めながら考えていた。
 年末年始の休み明け、仕事始めから五日間連続勤務は通常であるが、既に本日は日曜日で、七日目になる。休みが明けてから既に、一日も休みがない状態だ。正月休み明けの最初の土日には、大抵の場合“成人の日”と言う月曜の祝日が付随することが多いので、本来ならば三連休のはずだが、このままならば明日も仕事だろう。
 では、他の社員も休む暇なく仕事をしているのかと言えばそんな事はなく、本日は独歩一人の出勤である。
(ハゲ上司!クソ上司!自分の仕事部下に押し付けて自分は優雅に三連休ですかぁ!?お前も休みに出て来いよ!絶対今日中にこの仕事終わらせて、俺は明日寝るんだ!!)
 その、変な方向へ向かっているやる気と、出来てしまう能力が上司から仕事を押し付けられる理由なのだという事に、独歩は気が付いていないし、もしも気が付いたところで、作業する手を止められるわけでもない。止めてしまえば、顧客に対して迷惑がかかるとわかっているからだ。はたから見ればやりがい搾取のような状況ではあるが、本人は上司への怒りがエネルギーになって前を向いているので、やはりそこに気づいていない。
 買い込んでおいたエナジードリンクに手を伸ばしてプルタブを引き、一口目を飲んだ。
「よしっ!」
 誰もいない社内で一人気合を入れて、キーボードに再び指を置いた。


 とっぷりと日が暮れ、ようやく独歩が帰路についたのは、日付が変わる寸前だった。どうにか祝日一日だけの休みを確保して、残った最後の一本のエナジードリンクを飲み歩きながら考えるのは、とにかく早く寝たい、と言う事だけだった。
 だが、歩きながら、どこか遠くから、自分を呼ぶ声がした。とうとう幻聴が?と自身の耳を疑いながら、独歩は足を止めて周囲を見回した。すると、独歩の歩いている歩道とは反対側の道路に、一台の高級車がハザードを点灯させて停まっている。
(とうとう幻覚か?)
 幻聴のみならず幻覚まで見るとなると、やはり早々に帰って寝た方がいい、と思っていると、車から人が下りてきて、こちらへと向かってくる。深夜と言っても差し支えない時間帯で、車の通りも少なく、横断歩道のない道路を堂々と横断している。
「おい、何ぼけっとしてんだ?」
「………え?あ、本物?」
「どういう意味だそりゃ。寝惚けてんのか?」
 頭を左右に振って、持っていたドリンクを飲み干してしまう。
「すみません。休み明けから今日まで休みなく働いていたので、ちょっとおかしくなってるみたいです」
「働きすぎだろ。三連休だぞ」
「何とか明日は休めそうなので、もうとにかく早く帰って寝たいんですよね」
「ならヨコハマ来い」
「え?何で?」
「昼まで寝かしてやるから、その後初詣行くぞ」
「え?何で?」
 もう一度繰り返す独歩の意思を確認せず、左馬刻は独歩の腕を掴むと、来た時と同様に道路を渡り始めた。
(道路交通法違反ですよ、碧棺さん)
 言った所で意味はないと思いながら、心の中で呟いた。


 言葉通り昼までぐっすり寝かせてもらい、少しだけ回復した独歩は、何故か左馬刻に連れられて神社に来ていた。
「何で?」
「言ったろ、初詣だって」
「いや、それは聞きましたけど、何でこの服を碧棺さんが持ってるんですか?しかも今更初詣って………」
 これを着ろ、と渡されたのは、中王区で写真撮影をした際に左馬刻が買い取った衣装で、独歩の家にあったはずだ。
「ホストに出させて受け取ってきた」
「一二三………あ、俺の部屋入ってませんよね!?」
「入ってねぇよ。あんたぜってぇ自分の部屋見せねぇじゃねぇか」
 安堵の溜息をついて、独歩はコートの襟元を直した。(あんなぐちゃぐちゃの部屋を人に見せられるわけがない)と言う意思の元、今の所、左馬刻の入室も断固拒否している。
 左馬刻も左馬刻で、プライベートは尊重する性質なので、意地になって拒否する独歩に対して、無理を通す気はなかった。どうせ部屋が汚いとか掃除が出来てないとか、大した理由じゃないだろ、と言う予測もある。
「それで、何で今更初詣なんですか?」
「あ?行ってなかっただろ?だから行くんだよ」
「もうとっくに松の内は終わってますよね?」
「あぁ?関係ねぇよ。十二月三十一日に行ったとしたって、それがそいつにとってその年初神社ならそれが初詣なんだよ」
「凄い理屈」
「その方が気が楽だろ。絶対正月の内に行かなきゃなんねぇもんでもねぇわ」
「信心深いんだかそうじゃないんだか微妙な所ですね」
 だが、確かにそう言われた方が、メディアで流れる初詣の映像や、周囲からの誘いに付き合わなくてはいけない、と言う圧力からは解放されそうだ。
 周囲を見渡せば、確かにちらほらと参拝者らしき人々もいる。皆が皆、三が日の初詣が出来るわけでもない。仕事の人もいれば、外せない用事で詣でる機会のない人もいる。それに、参拝者の数も多くなくて、神社の中は歩きやすかった。きっと三が日であれば、押すな押すなの人の波で疲れてしまうだろう。
(この位がちょうどいいのかもな)
「俺様が信心深いと思ってんのか?」
「思ってないです」
「だろ?ま、まずは賽銭だな」
「いや、その前に手水舎では!?」
 真っすぐ拝殿に向かって歩き出そうとした左馬刻の腕を掴んで引き留め、独歩は手水舎の方へと歩いた。信心深くないからと、参拝する前の手水を省略するのはどうなのだ、と流石に思ったからだ。
「手ぇ洗ってねぇだけで追い出すような神様なら神様やってねぇだろ」
「そういう問題じゃないでしょう?」
「めんどくせぇなぁ」
 文句を言いながらも、独歩に腕を掴まれている左馬刻は、渋々と言った風に手と口を清めていく。何だかんだ言いつつも、きちんとやってくれる所が、人がいい証拠だよな、と思いつつ、独歩も手と口を清めた。
「あんた幾ら入れるんだ?」
「え?お賽銭って五円とか十五円とかじゃないんですか?」
「は?そりゃ安すぎだろ」
 ハンカチを取り出して手を拭きながら歩きつつ、会話するが、どこかずれている。
「ま、まあ、お賽銭は個人の自由なので幾らでもいいとは思いますけど、碧棺さんは幾ら入れるつもりだったんですか?」
「一万」
「たっかっ!!え?え?!そんなに入れて何お願いするんですか?」
「言わねぇよ。願い事ってのは口に出すもんじゃねぇだろ」
「そうですけど………いつもそんなにお賽銭入れるんですか?」
「その位は入れるだろ」
 話しながら歩いていると、拝殿に到着してしまった。左馬刻が財布から一万円札を取り出すのを横目で見ながら、独歩は財布から五円玉を一枚取り出した。
 一万円札がひらりと賽銭箱へ投入されるのを見た後で、五円玉を一枚投げ入れる。
(大きく体調を崩すことなく、一年を無事に終えられますように!金額は少ないけどお願いします!)
 強く手を叩き、独歩は神様にお願いした。







初詣のお話になります。
12/31〜の左馬刻のセリフは私の持論です。
いつ行ったってそれが最初の詣でなら初詣でいいじゃない、と。
左馬刻のお願い事は多分『自分の周りの人間の幸福』とかだと思う。
部下や組長や妹や、もちろん独歩の事も。万札も入れますよ。
この後はおみくじ引いたり甘酒飲んだりしてまったり過ごすといいです。




2026/1/11初出