スマートフォンの画面が明るくなり、着信を知らせる。画面に表示された相手の名前を見て、左馬刻は溜息をつきつつ“応答”のアイコンをタップした。 『あ、左馬刻ちん電話出た。良かった〜ちょっち今いい?』 「あんだよ?くだらねぇことだったら切るぞ」 『ん〜大事な話かな。左馬刻ちんさ、5月15日ってどういう予定?もし左馬刻ちんが先約入れてるんだったら、俺っちは遠慮したげてもいいよ〜って言うのを伝えておかないとかな、って。多分、独歩そこまで気が回んないと思うんだよね。今ゴールデンウィーク明けで毎日帰り午前様だし』 一人でぺらぺらと話し続ける相手の話の本題が、まるで見えてこない。 『最近話しかけても半分位寝て聞いてるんだよね。あれマジやばいと思うんだけどさぁ』 「話が見えねぇよ」 『え?だから、5月15日だってば』 「その日が何なんだよ?」 『………まじで?独歩から何も聞いてない感じ?』 「あ?何かあんのか?」 『何かって、だってその日は………』 伊弉冉一二三が発した単語を聞いて、左馬刻の喉から、それまでの何てことない声色とはまるで違う、地の底から響いてきたのかと思う程、低い声が出た。 「あ゛?」 電気代を無駄遣いするな、と上司から叱責されたので、既に外はとっぷりと日が暮れて真っ暗になっていると言うのに、点いている明かりは独歩の使用するパソコン画面と、倉庫に置かれていた使い古しの卓上ライトだけだ。明らかに目に悪いと思われるが、室内の明かりを点けようとすると、どうしても一つのスイッチで部屋の半数を点灯することになり、独歩の席はその半数のほぼ真ん中にあるせいで、両方点けない事には明るさが微妙になるのだ。ならばいっそのこと、と思い切った手段に出たのだが、暗いものは暗い。 (誰のせいでこんな時間まで仕事してると思ってんだ?よっぽどシンジュクの街明かりの方が明るいわ!いい加減俺を帰してくれ!!) と、心の中で叫んでも、返事をしてくれる人物は一人もいない。しかし、その時は違った。突然、室内の明かりが点いたのだ。 驚いた独歩は動きを止めて、恐る恐る入り口の方へ首を向けた。 「あれ?観音坂さん?やだ、真っ暗な中で何してるんですか?」 「仕事です」 「ええ?電気点ければいいのに!?」 点けたいのは山々ですが、とは言わずに、独歩は苦笑いを返した。 確か、彼女は春先の飲み会で幹事をしていた人物だ。あれ以来、挨拶を交わす程度にはなっていた。 「どうしたんですか?」 「さっきまで同期と飲んでたんですが、ICカードを忘れた事に気がついて、慌てて取りに来たんです」 帰れなくなっちゃって、と苦笑する女性はそのまま自分の席へ歩いて行く。 「それは、お疲れ様です」 「観音坂さんもそろそろ帰らないと終電じゃないんですか?」 「………そう、ですね。帰ります」 言われて時計を見れば、後一時間程で日付が変わりそうだ。終電まではまだ時間があるが、正直集中力は途切れてしまった。 作っていた書類を保存し、パソコンの電源を落とし、卓上ライトを消して、机の上に出ているあれこれを片付け、スーツのジャケットに袖を通して鞄を持った。 「こんな時間に女性が一人で大丈夫ですか?」 「飲み会があると大抵この位の時間になるので、大丈夫ですよ」 そうは言っても、深夜と言って差し支えない時間帯、女性の一人歩きは危険だ。余計なお世話だろうとは思ったが、どうせ同じ駅へ向かうのだ、同道することを申し出た独歩に、女性は、じゃあお願いします、と答えた。 そのまま連れだって会社を出ると、何だか見慣れた車が車道に停まっている。 「うわ。あれ高い車ですよね」 女性が、車を見て声を上げる。ええそうです、と答えるのも何だかおかしく思えて、独歩の返事は口の中で答える間もなく、むにゃむにゃと消えてしまった。 すると、後部座席から待ちかねたように、左馬刻が降りてきて、大股で独歩の方へと近づいてきた。明らかに表情が怒っているし、気配も何だか怒っているように見えたので、つい、独歩は後退りをし、回れ右した。 「え、ちょっ、観音坂さん??」 「すみません、急用が出来ました!」 言いながら、独歩は走り出した。呆気にとられながら、走り出した独歩を追って走り出した左馬刻を見送り、女性は首を傾げた。 「どういう関係?」 走り出した独歩を追った左馬刻は、そう距離をかけずに、その腕を掴むことに成功した。 「おい、待て、逃げんな!」 「逃げますよ!何か怒ってるし!」 「当たり前だろうが!」 「何がどう当たり前なのか全然わからないんですが!」 残業続きの体に全力疾走は疲れる、と思いながら、独歩は仕方なく足を止めた。 「何なんですか、急に!?」 「さっきの女は何だ?」 「はい?同僚ですよ、ただの」 「こんな時間まで仕事してんのか?二人で?」 「違いますよ」 何故二人で連れ立っていたのか事情を説明すると、少しだけ左馬刻の眉間から皺が減った気がした。 「あんた、今日は何月何日だ?」 「今日?5月14日ですね」 「明日は何月何日だ?」 「はぁ?5月15日ですよ」 「その日が何の日か、忘れてんのか?」 「平日ですよね?何もないですよ?」 何かがあるとすれば、残業だろう。或いは上司からの叱責か、無茶振りか……… 「まじか………鈍すぎんだろ」 流石にないわ、と左馬刻は空いている手で自分の顔を覆った。 「どうせ俺は鈍いし空気読めないし残業ばっかの駄目人間ですよ」 「んなこと言ってねぇだろ」 兎に角車に戻るぞ、と言って、左馬刻は独歩の腕を掴んだまま、引きずるように歩き出した。元より帰宅するつもりだった独歩も、左馬刻が怒っていないのならば逃げる理由はないので、大人しくついていく。 しばらく歩いて車に戻ると、既に同僚女性は帰ったらしく、姿はなかった。 「とりあえず、乗れ」 「はぁ。と言うか、今日はまた急にどうしたんですか?」 促されたので後部座席に乗り込むと、左馬刻も後部座席へ乗り込んできた。運転席には左馬刻の部下が座っている。だが、左馬刻が出発を指示しないせいか、エンジンをかけずにいる。 「ホストから電話が来た」 「一二三から?何で急に?」 「俺と予定がバッティングしないように、っつぅ気遣いだよ」 「予定?何の?」 「明日!あんた誕生日なんだってな!?」 呆れと怒りと驚きと落胆と、様々な感情が綯い交ぜになった左馬刻の叫びが、車内に響き渡った。 「………………あぁ!あ、そう言う!それで明日が何の日か、って………忘れてた」 「言えよ、自分の誕生日!」 「えぇ〜いります?この年になると別に気にしたりしないんですけど。年一個取るだけだし、所詮ほとんど平日だし」 「そういう事言ってねぇんだわ!?あんたほんと自分の事無頓着だな?」 「あ、碧棺さんの誕生日はいつですか?」 「話の流れぶった切るんじゃねぇよ!」 運転席に座る左馬刻の部下は、俺、いつまでこの痴話喧嘩聞いてればいいんだろう………と、エンジンボタンへ指を伸ばしつつ、上司の指示を待ち続けた。 ![]() 独歩誕生日前日のお話です。 独歩は自分の誕生日を忘れてそうだな、と思ったので。 教えて貰っていなかった左馬刻的には「何でだよ!?」っていう気分ですね。 当日のお話も用意しています。 最初一つで済ますつもりだったんですが、二つになりました。 2025/5/14初出 |