* EX 5 *


 前日に突然左馬刻が会社へ突撃してきたおかげで、あ、俺明日誕生日か、と気づいた独歩は、じゃあきっと一二三がオムライス作ってくれる筈だな、等と呑気に考えていた。しかし、その考えは左馬刻の一言で霧散した。
「いいか?明日は定時で上がれ」
「え?無理ですよ」
 間髪を入れない独歩の一言に、左馬刻の沸点が一気に上がる。
「あ゛あ?」
「だって、平日ですよ?そんな簡単に定時で上がれるなら、俺土日に仕事してないですよ」
「それでも切り上げろ」
「そんな滅茶苦茶な………大体、何でそんなこと」
「あのな、この俺様が誕生日祝ってやるって言ってんだよ」
「言いましたっけ?」
「じゃなきゃわざわざ来ねぇわ!!」
 鈍すぎてキレるのが疲れてきた、と思いつつ、左馬刻は声を上げる。しかし、独歩はそれでも遠慮した。
「でも、本当に大丈夫ですよ?今日わざわざ会いに来てくれたんですし、それで充分」
「何かねぇのかよ?欲しいもんとか、行きたい場所とか」
 最後まで言わせずに左馬刻は問いかけたが、独歩は暫く考えると、首を横に振った。
「ないですねぇ。強いて言うなら一日何もせずに眠りたいな、とか?」
「休み取れよ」
「取れるものならとっくに取ってますよ」
 休めるものなら休みたい。ゴールデンウィークを休んだ為に、仕事は大量に溜まっている。けれど、それもこれもスケジュール管理が苦手な自分自身のせいだ。誰のせいでもない。もっと効率よくこなせるようにならなければ、と気合いを入れたのと同時に、ふと、先日朝のニュースで流れていた、何て事のない特集を思い出した。半分眠っていたから、朧気な記憶ではあるのだが。
「食べ歩き?」
「は?」
「いえ、この間ニュースで食べ歩きの特集をしてたなぁ、ってふと思い出して。場所がどこだったかまでは覚えてないんですけど」
「だったら、中華街で食べ歩きでもするか?」
「え?中華街って食べ歩き出来るんですか?」
「夜遅くまで開いてる店もそれなりにあるからな。案内してやるよ」
「でも、定時で上がれるかなぁ」
「上がってこいよ、無理矢理にでも」
 等という会話の結果、独歩は誕生日当日、定時で上がる事が決定した。


 いただきます、と声に出して、独歩は左馬刻から渡された中華まんにかぶりついた。
 出社すると、昨夜会った同僚女性から「大丈夫でしたか?」と心配された。それはそうだろう。左馬刻は顔も職業もよく知られている。隠し立てをすれば左馬刻が悪者にされそうだったので、簡単に事情を説明し、納得して貰えたので、良しとする。
 勿論、その後の独歩は必死に仕事をした。定時で上がれと言われたが、定時で上がったのなど新入社員の頃に数回あった程度だ。それでも、左馬刻が迎えに来ると言ったので、仕事は残っていたが「明日の俺頑張ってくれ(多分地獄だけど)」と思いながら、社屋を後にし、現在、ヨコハマの中華街にいる。
「美味しい」
 かぶりついた中華まんの中には、大きな肉の塊がごろりと入っていて、口の中に肉汁が広がる。独歩には月並みな表現しか出来ないが、美味しかった。
「まあ、定番だな」
「中華街と言えばこれ、って言う感じです」
 言いながら、二口目をかぶりつく。
 少しずつ日も長くなった時期の為か、薄暗くなってはいるが、街中から観光客の足は遠退かないようで、人通りは多い。ちらほらと街灯も点き始め、雰囲気が変わってきていた。
「次行くぞ」
 車で迎えに来た左馬刻は、どんなものが食べたいのか聞いてきた。まずは定番を、と言う話をしたら、一食目は中華まんだった。
 正直、この店へ足を運ぶ間にも店は沢山あり、独歩だけだったら、どこで買おうか迷ってしまうだろう。それ程、中華まんを売る店は多かった。中華街なのだから当然と言えば当然か、と三口目を頬張る。
 中華街と聞いて独歩が思い浮かべるのは、当たり前に店に入って中華料理を食べる、と言うものだった。だが、街の中をよく見てみれば、あちこちの店が外へ向けた窓口らしき部分を構え、そこで食べ歩き出来る様に中華まんを始め、飲み物やスイーツなどを売っているのだ。無論、独立した食べ歩き特化型の店舗もある。これならば、十二分に食べ歩きを楽しめるだろう。
 思っていたよりも大振りに作られていた中華まんは三口では食べきらず、四口目に突入した。と、そこで左馬刻が足を止めた。
「左馬刻さん、久しぶり〜」
 若い女性が、左馬刻に話しかけたのだ。知り合いなのか、左馬刻が気軽に応じている。
 これで、何人目だろうか。今独歩が食べている中華まんを買うまでにも、既に左馬刻は数人に声をかけられ、足を止めた。大抵は簡単な挨拶と近況報告位ですぐに離れたが、それはやはり左馬刻の顔の広さと人脈の太さ故なのだろう。そして、何より街の人々から慕われていると言う証明でもある。
(凄いな、やっぱり)
 呑気に口の中の肉を咀嚼しながら突っ立っていると、視線を感じた。
「ねぇねぇ、左馬刻さん、また店遊びに来てよ。最近全然来てくんないからさぁ」
「その内な」
「その内っていつ?今から行こうよぉ」
 ―ああ。この眼は知っている。あの、郵便受けに嫌がらせをしてきた女と同じだ………邪魔だとでも言いたげに、独歩を、敵視する視線。ちらちらと見てくる女の視線が居心地悪くて、独歩は左馬刻から離れようとした。
 けれど、左馬刻の腕が伸びてきて、独歩の肩を引き寄せた。
「わりぃな。今こいつとデート中なんだわ」
「え?」
「え〜!?うっそ!?あの噂マジだったの?左馬刻さんが番作ったってやつ!所詮噂だと思ってたのにぃ〜!」
「つぅわけで、またな」
 そのまま左馬刻は独歩の肩を抱いたまま歩き出す。
「ちょっ、あの、碧棺さん」
「何だよ?」
「肩、離して貰っていいですか?」
「あんた、さっき引いただろ?」
「い、や、だって、話の邪魔しちゃ、悪いかなぁ、と」
 軽く溜息をついた左馬刻が、独歩の肩を抱いたまま、細い路地を曲がった。そこは観光客が出入りしそうにない、店と店の間とでも言えそうな程の細い路地だ。実際、店舗の裏手に当たるらしく、ゴミ箱が並び、薄暗い。
 独歩の肩から手を離した左馬刻は、壁際に独歩を追い詰めた。
「いいか?俺があんたを連れてここを歩くって事は、あんたの披露目も兼ねてんだよ」
「披露目って………?」
「俺の番はこいつだ、って言いふらして歩いてるのと同じ意味って事だ。胸張って俺の横に立ってろ。引くな、後ずさるな、堂々としてりゃいい。しかもな、え?って何だ、え?って。デートだろうが」
「デ、デートってこう言う感じなんですか?俺、したことないんですけど」
「デートだよ。ったく。折角の誕生日なんだから我が儘言えよ」
「我が儘………とは?」
 首を傾げる独歩に、左馬刻が呆れながら声を荒げる。
「何かねぇのかよ!?食いたいモンとか!」
「食べたい物は、碧棺さんにお任せしたいんですけど。俺、何が有名とかわかんないので………あ、でも、飲み物は欲しいです」
 中華まんが大きすぎて、喉に詰まりそうだったのだ。飲み物は是非欲しい。
「んじゃ、次は飲み物な。行くぞ」
 左馬刻が独歩の手を掴んで歩き出す。
 我が儘を言いたいというのはないけれど、左馬刻に手を引かれて食べ歩きをするのは、いい誕生日だ、と独歩は少し口角を上げた。







いつか中華街で食べ歩きをしたい願望がこうなりました。
いちゃついているようには見えないですが、一応いちゃついています。
この後はタピオカドリンク飲んだりスイーツ食べたりします。
何だかんだ楽しんで、独歩は翌日の地獄を迎えます(笑)





2025/5/15初出