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何となく肌寒さを感じて目が覚めた左馬刻は、布団を首元まで手繰り上げると、寝返りを打った。だが、寝返りを打った瞬間の違和感に、靄がかかった様になっていた思考が、覚めた。 (あー………かてぇ。旅館のベッドか、これ) 普段よりも少し硬いベッドの感覚に、完全に眠気がどこかへ飛んでしまった。 (仕方ねぇ。起きるか………) のそりと起き上がった左馬刻は、隣で寝ていたはずの人物がいないことに気づいた。 予約していた旅館の部屋は、離れの一室で露天風呂付き、かつ寝室のベッドはキングサイズ程の物が一つだけ設置してあり、眠るならこのベッド以外はない。それに、一度夜中に目が覚めた時に、隣に赤い頭があったことを覚えている。 ベッドから降りようとして、外の景色が見えるようにと、窓際に置かれた椅子に座る独歩に気づいた。 外は随分と明るく、少し霧が出てはいるようだが、山の景色がよく見えた。 「あ。おはようございます、碧棺さん」 ベッドを降りた音で気がついたのか、外を見ていた視線が左馬刻を捉え、破顔する。 「おう。今、何時だ?」 「六時少し前ですね」 「早っ」 「でも、早起きして良かったです。さっき、鹿がいたんですよ、二頭。片方少し小さかったから親子かなぁ、って。シンジュクで鹿なんて見られませんから」 シンジュクの街中に鹿がいたらニュースになるだろ、と思いつつ近づいて、空いている椅子に腰を下ろした。 「鹿ねぇ。面白いか?」 「珍しくて。見たことありますか?」 「ねぇな」 可愛かったですよ、と言う独歩も、左馬刻と同じ、宿が用意した浴衣を着ている。しかし、寝相なのか、着方が悪いのか、胸元が大きく崩れていた。 「朝飯は何時だ?」 「八時半って言ってましたから、二度寝出来そうですよね」 呑気な独歩の側の窓が、少し開いている。肌寒かったのはこのせいか、と立ち上がって窓を閉め、独歩の腕を掴んで立ち上がらせると、そのまま腕を引いてベッドへ戻った。 「碧棺さん?二度寝します?」 確かに、だらだらするとは言ったが、そう言う意味で言った訳ではない。 「飯まで二時間以上あんだろ?なら、やることは一つだろ?」 言いながら独歩を押し倒し、開きかけた独歩の唇を、左馬刻は塞いだ。 もぞもぞと動いて、何とか左馬刻の腕の中から抜け出そうとしている独歩の肩に頭を乗せて、動けなくしてしまう。 「何やってんだよ?」 「いや、もうすぐ朝ご飯が………」 「あぁ?まだ三十分以上あるじゃねぇか」 ちらりと時計を見て、左馬刻は声に苛立ちを含ませた。 「シャワー浴びたりしたいじゃないですか」 「………ここで飯食おうぜ」 「は?ここで?!ベッドでって事ですか?」 「だらだらするって言ったろ」 「言いました、けど、えぇ?それは流石に」 ないかなぁ、と続ける独歩が再び動こうと身動ぎをするので、独歩の体を引っ繰り返す様に上向きにし、閉じこめるように肩の辺りに両手をつく。 「一ヶ月近く、あんたを放置したろ?」 「はあ、まあ、そうですかね?」 放置されたところで、気にしないのが独歩だ。仕事と私どっちが大事なの、等というお決まりの台詞は到底飛び出てこないし、お互い仕事で忙しくしているのだから仕方ないのでは?と、至極当然に考えている。だからこそ、その間、番である左馬刻が何を考えているのかには、考えが及ばない。 「その間、あんたも俺様を放置してた訳だ」 「放置、と言うか、まあ、邪魔をしちゃいけないな、と言う配慮、ですかね?」 言い方を変えれば、確かにそうだろう。だが、左馬刻から見た時に、それは完全に放置に他ならないのだ。つまり……… ―相変わらず、電話一本、メール一通もよこしゃしねぇ! と言う、怒りにも似た感情だ。 「あんた、俺を何だと思ってんだ?」 「番だと思ってますよ?」 「恋人だろ?」 恋人、と言う単語に、独歩の顔が赤くなっていく。 「………そ、れは、まあ、そう、で、す、かね?」 「何で疑問形だよ。そろそろ認めろよ」 「いや、認めるも何も、やっぱりほら、そこはこう、ねぇ?」 「あぁ?」 「お互い、何も言ってない、ですし」 「言葉が欲しいってか?」 「はぁ」 「曖昧な返事すんじゃねぇよ」 「………じゃあ、聞きますけど。碧棺さんは俺が恋人でいいんですか?」 「あぁ?今更何言ってんだ、てめぇ!」 「いや、あの、怒らないで聞いて下さいね」 怒りが沸騰しそうな左馬刻に、独歩は待ったをかけるように、右手を挙げた。 「言い方がこれで正しいのかどうかが分からないんですけど………俺が、碧棺さんを縛っていいのかな、って」 「縛る?」 「何て言うのかな………恋人って、家族以外で唯一、人を縛れるというか、相手を束縛?出来る言葉の様な気がして。確かに、俺は碧棺さんの番ですけど、番だからこそ、これ以上の束縛と言うか、あまり踏み入らない方がいいのかな、って思ったり」 「別に、束縛しようがしまいが、お互いが納得出来てりゃ恋人でいいだろ?」 「そんな簡単なものですか?」 「簡単だろ?世の中大抵の連中は、ちょっとした事で好きになったり嫌いになったりするもんだろ?………つぅか、あんたになら縛られてやってもいいぜ」 「え?」 「面白そうだからな。あんたが我が儘言ったり、束縛したりってのがあるなら、されてみてぇわ」 言いながら、前髪をかき上げて額へキスをすると、独歩は耳まで赤くなった。けれど、すぐに小さく声を上げた。 「大事な事忘れてました!」 ちょっとどいてください、と独歩が言いながらベッドから身を乗り出し、床へ置いていたらしい鞄を掴み、何か探している。 「碧棺さん、これ、どうぞ」 独歩が鞄から取り出したのは、掌に乗る小さな箱だった。 「何だ、これ?」 「当日は平日で、俺ここで休み取ったので多分会えないと思うから、先に渡しておきますね、誕生日プレゼント」 「………開けていいか?」 「もちろん、どうぞ」 受け取った箱の蓋を開けると、出てきたのは小ぶりのピアスだった。 「碧棺さんが欲しそうな物が分からなかったし、何でも自分で買えるだろうとは思ったんですけど、俺はネックレス貰ったから、じゃあ違うもので、と思って」 「へぇ。いい色じゃねぇか」 真っ赤な一粒の石が嵌め込まれた、片耳用のピアスだった。 「一応、碧棺さんの目の色に合わせて買ってみたんですが、どうですか?」 「悪くねぇな」 箱から出したピアスを軽く光に透かすように眺めて、左馬刻は頷いた。 「でもな、何でこのタイミングだよ?」 「え?思い出したから?だって、碧棺さん昨日寝るの早かったですし、今しかないかな、って」 「…後で風呂入ったら、付け替えてみるか」 「是非!」 にこにこと笑う独歩を見て、結局シャワー浴びてる時間なくなったけどいいのか?と左馬刻は思いつつ、小さなピアスをなくさないように箱へ戻し、蓋を閉めた。
鹿を見てる時の独歩は絶妙に寝ぼけてます。 多分、ベッドが一つしかないことに気づいて、寝る時には五分位悩んでるはずです。 「これは隣に寝るのか?」って。そしていまだに恋人疑惑は続く。 プレゼント選びも相当悩んで決めてるといいな、と思います。 左馬刻は左馬刻でなくさないように気を付けるだろうなぁ、と。 独歩と会う時だけつける、とかだとそれはそれでいいと思ってます。 2025/11/11初出 |