*Knight of night-T-*


『楽師とは旅をしなければならないものだ
 それは昔からの習いなのだ
 だから楽師の奏でる旋律からは
 いつも別れの溜息が流れ出ている
 わたしはいつかまた帰ってくるのだろうか?
 だが、恋人よ、定かではないが、
 死神の手がそれほどたやすく
 バラのつぼみを手折ることはないだろう』
     E・フォン・モンスターベルク


 常に、周囲には音があった。
 大した理由もないのに開かれる祝祭や祝宴の度に、その場には必ず楽師が呼ばれた。何がそんなに楽しいのかと、斜に構えて眺めているその中心には、必ずその宴の主役がいた。
 数々贈られる祝いの品々、賛美の言葉、それらに顔を緩め、喜び、都度大盤振る舞いされる食事や返礼の品。そこには、権力と媚び諂いが充満していた。
 純粋無垢な少女の心は、その空間を否定し、嫌悪した。自然、その場からは足が遠のいた。
 少女は音楽を嫌悪し、書物に没頭した。宮廷の華やかな生活から離れ、自然豊かな別荘地での穏やかな日々を選んだ。
 それでも、時の流れは残酷に、少女を成長させていく。


 その晩は、嵐だった。唸る風が木々を揺らし、天空を走る稲光が月よりも鮮やかに夜を照らし出す。豪雨となった雨が土をぬかるませ、足元を覚束無くさせれば、川のように溜まり流れる雨雫が、低い土地を目指していく。
 そんな中を、自らが濡れるのも構わずに進む姿がある。元は鮮やかな金色の髪色だっただろうに、今は雨と泥に汚れてくすみ、葉までつけた有様。纏う外套は雨や風を避ける役にはたっておらず、ただ体にへばりついて歩みを遅くさせるだけだ。それでもそんな外套が唯一役立っているとすれば、布と革袋で包んだ大事な商売道具を、覆い隠せていると言う点だろう。
 そう、少しでもいい方向へ考えなければ、歩みを止めてしまいそうだと、青年は足を前へ進める。
 目的地などはない。ただ、せめて、この嵐を一晩やり過ごせる屋根のある場所を探したいだけだ。路辺で野宿などすれば、いつ夜盗に襲われるか知れない。この嵐では、獣を寄せつけない火などすぐに消えてしまうため、森の中での野宿など、自殺行為に等しい。
 嵐が来るのはまだまだ先だろうと、甘い予測をつけて前の町を発ったのが悪かった。もう一日あの町でのんびりとしていれば、こんな足場の悪い中を、進まなくてもよかったはずなのに、と。
 だが、今は後悔しても仕方がない。進まなければ、到底町や村になど辿り着けない………そう、青年が決意も新たにした時に、突然、道が開けた。
 いつの間にか、彷徨っていた森の中を抜けたらしく、目の前には草原が広がっている。それも、今は嵐のためか草が皆寝てしまっているが。
 その向こう、まだ時間はかかるだろうが、青年の行く先に希望を示す光が見えた。
「人家の、明かり!」
 それは、紛うことなき、温もりを宿した橙色の光だった。


 大きく聳える門。どこまでも続いているように見える城壁。草原を抜けた先に、こんなにも大きく、堅固で、立派な屋敷があるなどと、一体誰が思うだろうか。
 それでも、ようやく見つけた人家だ。臆するわけにはいかないと、青年はありったけの力をこめて、閉ざされた門を叩いた。
「どなたか、いらっしゃいませんか!!」
 声を張り上げ、嵐の音に負けないようにと、門を叩く。何度かそれを繰り返すと、使用人用の扉らしい、小さな大門の脇の門が開いた。
「どちらさまで?」
 出てきたのは、一人の男。カンテラを持ち、嵐の中で眉根を寄せている。濡らせてしまったのを申し訳なく思いながら、それでも青年は近づいた。
「申し訳ない。この雨で先へ進めないので、せめて一夜、どこでもいいので雨と風を凌げる場所を貸してもらえないかと」
「ここが、どなたのお屋敷か承知で?」
「いいや。だが、かなり高位の方のお屋敷と………」
 男は、呆れたような、困ったような表情で、少し待てと言い置くと、門を閉めた。
 幾ら待っても戻ってこない男に、やはり駄目なのかと諦めかけた時、ようやく再び門が開いた。
「入れ。ただし、屋敷の中へ入れるわけにはいかん。馬小屋で寝てもらおう」
 流石に、この嵐の中へ再び放り出すのは酷だと思ったのか、馬小屋と言う選択肢ではあったものの、屋根があるだけ助かると思いながら、青年は一夜、そこに仮の宿を求めることにした。


 建物へと叩きつけるかのような風の音と、やむことのない雨音に、結局まともに寝付くことが出来ずに夜が明け、転寝を始めた頃に鳥の鳴き声を聞いた。
 地面を掻く馬の蹄の音や鳴き声に、仕方なしに広げてあった外套を拾い上げる。
 そして、その下へと隠してあった商売道具を掴み、革袋、そして布袋から取り出す。多少湿ってはいるが、大丈夫だろうと弦を弾けば、音はよくないが高い音を出した。
「よし」
 嵐も過ぎ去ったことだし、自分に出来る礼などこれしかないのだから、ここを貸してくれた屋敷の主に、歌の一つも贈ろうかと思っていると、馬小屋の扉が開いた。
 差し込んでくる眩しい朝日に、眼を細めながら立ち上がると、突然、銃声が鳴り響いた。
 耳元を、風が過ぎっていく。外れた弾丸に安堵しながらも、何故自分が撃たれたのかがわからずに呆然としていると、撃鉄を起こす音がした。
「運のいい男だ」
 聞こえてきたのは、少し低い少女の声。朝日を背に受けたその輪郭が明瞭になってくると、それが、長い黒髪を一つに括り、乗馬服に身を包んだ少女だとわかった。
 猟銃を構え、睨みつけてくるその瞳から、青年は目をそらすことが出来なかった。








猟銃を人へ向けてはいけません。決して向けてはいけません。
これは作品中の演出ですので、真似しないで下さい。
というわけで新連載です。
のっけから注意書きの後書きってどうなんだろう………
ジノルル(♀)です。ハッピーエンド目指そうと思います。




2010/1/29初出