*Knight of night-]-*


 目の前にいるのは、紛れもなく、見慣れたジノの姿だった。相変わらず、木を伝って登って来たらしい。
「お別れの御挨拶に、伺いました」
「別、れ?」
「はい。私の我儘ですが、何も言わずに戦場へ行くのは、嫌だったので」
 戦場、という言葉に、ルルーシュは遠いものだと思っていたそれが、すぐ傍にあるのだということに気づき、顔を伏せた。
「恐らく、行けば数年は戻りません。きっと、これが今生の別れになるでしょう。貴女には、私の我儘に付き合わせて、振り回してしまった。毎日深夜に時間を取らせて………それも、結局成し遂げられなかった。楽師は信用に値しないのだと、証明してしまったようなものですね」
 自嘲するジノに、何かを言おうと思うのに、ルルーシュの口からは、何の言葉も出てこない。
「貴女に、私の音楽を聴いてほしかった。音楽は素晴らしいのだと、知ってほしかった」
「しゃがめ」
「は?」
「そこで片膝をつけ」
 突然言われて戸惑いながら、それでもジノは、片膝をついてしゃがむ。すると、ルルーシュの腕が両肩を掴み、小さな顔が近づいてきた。
「あの?」
 ジノの額に、小さく音を立てて、口づけが贈られる。
「楽師を受け入れる際には、こうするのだと聞いた。違っていたか?」
「え?」
「時間は、間に合っていたんだ。あの日、日付はまだ、変わっていなかった」
 最後の日。日付は変わったと、ルルーシュは嘘をついた。
「お前が、自分の出自を黙っていたことに、腹を立てていた。そんな権利は、私にあるはずもないのに、だ」
「ルルーシュ様」
「だから、嘘をついた。お前を、ヴァインベルグの家に戻すために、必要だと思った。楽師などでいるより、よほど楽に生活できるだろう?」
「楽か、苦か、などどうでもいいんです。私は、楽師になりたかったから、家を捨てた。名前を捨てたんです」
「そう、言っていたな」
 ジノの肩から手を離し、ルルーシュは口を開いた。
「お前は約束を果たしていた。だから、理由を話そう。私が楽師を嫌いな理由は………楽師が、母を殺したからだ」


 ルルーシュの母は、貧しい家の出だった。幼い頃から家計を助ける為に、様々な場所で働いたが、一番長く働いた場末の酒場が、彼女の運命を大きく変えた。
 最初は、給仕として働いていた。しかし、ある時、鼻歌のように口ずさんだ歌が店主の耳に聞こえ、その酒場で歌を歌うことになった。
 彼女の歌声は、瞬く間に人々の噂に上り、挙句の果てには貴族の耳にまでその噂が届くまでになった。何人もの貴族が彼女の歌を聞くために、場末の酒場へと身分を隠し、偽り、お忍びで足を運んだと言う。
 その中に、大貴族ブリタニア家の当主もいた。男は彼女の歌に惚れこみ、屋敷にまで招くようになったが、それだけでは満足できなかったのか、彼女の歌っていた酒場を金で買い取り、小さな劇場を建てたかと思うと、そこで彼女に歌わせた。だが、その劇場に入れたのは、その当主だけだった。
 それでも満足できなかった当主は、新たに屋敷を立て、彼女を妻として迎えた。だが、当主には既に妻がおり、その妻との間に子も居たため、妾と言う立場で、囲い込むこととなった。
 彼女の生活は、大きく変貌した。それまで、日々の暮らしを立てていくことを考えなければいけなかったのに、唐突に、何をしなくても衣食住に困らなくなった。喉を痛めてはいけないと、滅多なことで歌うことも許されなくなり、することがなくなってしまった。
 そうして彼女は、貧しい在野の芸術家を支援することに没頭した。ブリタニア家の当主から送られる様々な装飾品を金に変え、それらで楽師や詩人、絵描きや彫刻家などを自身に与えられた屋敷に招いて仕事を頼み、報酬を支払った。
 ブリタニア家の当主はそれを黙認した。与えた装飾品は既に彼女の物であるのだから、どんな風に扱おうと自由だ、と。自身が彼女を、自由の空の下から、籠の中へと押し込めたと言う後悔も、少しはあったのかもしれない。
 そうして、彼女は子供を身ごもった。勿論、ブリタニア家の当主の子供だった。
 そして、ブリタニア家の当主は、既に冷え切った関係にあった妻を差し置いて、ルルーシュの母に与えた屋敷に入り浸るようになった。
 所詮、政略結婚で結ばれた夫婦。元より愛情など二人の間にはなかった。だが、それでも、自身の夫が他の女の、それも貧しい家に生まれた貴族ですらない女の下へ入り浸るようになるなど、貴族の家に生まれた女としての自尊心に傷をつけられ、許しがたく感じた妻は、徐々に、妾への憎しみを募らせていった。
 当主は、己の妻の変貌など気にも留めず、ついには堂々と、宮廷での晩餐会や貴族間での催しに、妾であるルルーシュの母と、ルルーシュ自身を連れて出歩くようになった。
 そうして、刻一刻と、悲劇の時間は近づいていった。







大変お待たせいたしました。
約四年ぶりの更新です。





2015/9/6初出