ルルーシュは、母が歌い手であったにも関わらず、音楽が好きではなかった。否、むしろ、母が歌い手であったから、というべきなのだろうか。赤子の頃より、美しい母の声で子守唄を聞かされていたルルーシュは、騒々しい音楽を好まなかったのだ。父に無理矢理手を引かれて連れて行かれる晩餐会は苦痛でしかなく、最初は静かに流れている音楽も、その内に人々の話し声やダンスと相まって、華やかで仰々しいものへと変わっていく。それが嫌になり、いつしかルルーシュは、静かに一人で本を読むのが日課となり、晩餐会への出席も減っていった。 娘のそんな様子に、母は心を痛めたが、無理に音楽を好きにさせることはしなかった。けれど、自身の行いを止めることもしなかったため、数多の芸術家達が屋敷を訪れることは、止まなかったのだ。 そして、そんな中に、一人の楽師がいた。何度か屋敷に招かれて弦を爪弾き、詠った。見目もよく、歌声も堂々とし、屋敷の使用人に対しても常に穏やかな姿勢で接する。誰もが、その男のことを信用していただろう。 ただし、ルルーシュ以外は、だが。 ルルーシュは屋敷の中に部外者が入ってくることも嫌で、母が多くの芸術家達を招くことが好きではなかった。貧困に喘ぐ彼らへの施しを素晴らしいことだと理解は出来ても、自身の好悪の感情は別物だ。 母がどんなに好意的だとしても、その好意につけこんで、金を貪ろうとする者がいるかもしれない。たとえ、そういうことが起きたとしても、母は気にしなかっただろう。実際に、なかったわけではないようだった。 それでも、母はその行いを止めず、そして、ある日唐突に、その楽師の男は、牙をむいた。 ルルーシュは、覚えている。絨毯へと、母の体から流れ出した真っ赤な血が、ゆっくりと吸い込まれていく様を。 「楽師の男は、父の正妻から金を受け取り、母を殺すことを請け負ったと白状した」 母を刺したナイフを取り上げられ、使用人達に押さえつけられた男は、何かを喚いていたが、その内容までルルーシュは覚えていない。どうせ、ろくな事ではないのだろうから。 すぐに医師が駆けつけて処置を施してくれたが、刺された場所が悪かったのか、出血が止まらず、程なくして、ルルーシュの母は息を引き取った。 男は警吏に連れて行かれ、後に処刑された。父の正妻は離縁され、財産を没収されて、今如何しているのかは、ルルーシュの知るところではなかった。 「私が、楽師や吟遊詩人を含め、芸術家が嫌いな理由はそれだ。音楽が嫌いな理由もだ」 音楽を聴くと、母を殺された日を思い出す。あの日も、母の悲鳴が響くまでは、音楽が屋敷の中を流れていたのだ。どこか物悲しげな、ノクターンが。 昼日中にノクターンとは、無粋な楽師だと思っていたが、あれはもしかすると、レクイエムのつもりであったのかもしれない。 哀れに死んでいく、女への。 「だから………って、何故お前が泣く!」 「え?あれ?」 ぼたぼたと、ルルーシュの眼の前で、大粒の涙を流し始めたジノは、慌てたように目元を拭い始める。 「す、すみません………そんな、悲しいことを、思い出させてしまって………私は、楽師失格です」 「いや………もう、何年も前の、話だ。きっと、誰かに、聞いてもらいたかったのかもしれない」 手元にあったハンカチを渡し、涙を拭くように促す。だが、ジノはそれを断り、袖口でぐい、と目元を強く擦った。 「勝手ですが、私の話をしても、いいですか?」 「ああ」 「………今日、数年ぶりに、家へと戻りました」 家、と言うのは、ヴァインベルグの屋敷、と言うことだろう、とルルーシュは頷いて先を促す。 「私は、戦場へ赴きます」 「っ!」 「出発は、三日後です」 「そんな、唐突な………」 「ただ、両親に条件を出しました」 「条件?」 「戦場へ赴く代わりに、私を自由にしてくれ、と」 ジノは、ずっと、自由になりたかった。家名に振り回されることなく、自身の腕だけで生きていける身に。だから、家を捨て、家族を捨て、吟遊詩人になった。 「家は、従兄弟が継ぎます。優秀な男がいるので、押し付けました。今回戦場へ赴くのも、ヴァインベルグの跡継ぎとしてではなく、戦場の兵士を慰めるための、楽師としてです」 言いながら、ジノは持ってきたリュートをルルーシュへ見せる。 「これと自分の声で、戦場を詠ってきます」 何年かかるかわからない。戦の終わりは、今もまだ到底見えていないと言う。 「貴女に、異国の風景を詠いたい」 「え?」 「必ず、戻ります。ですから、貴女が最初に耳にする楽師の声は、私にして欲しい」 縋るように、ジノはルルーシュの前に跪き、その手を取り、甲へと額づける。 「お願いします」 「もう、いい」 「え?」 「もう、お前のことは許した。好きに、すればいい」 「!ありがとうございます!」 「だが、私の気は長くないぞ。早く戻って来い」 「必ず、生きて戻ります」 例え、何年かかったとしても、必ず、もう一度、この部屋の窓を叩く。そう誓って、ジノは名残惜しげに、ルルーシュの手を離した。 ![]() 2015/9/6初出 |