通されたのは、大きなシャンデリアの下がった応接間。沈み込みそうなほどに柔らかいクッションのソファに、木目の美しいテーブル。出された白磁のティーカップからは、美味しそうな紅茶が湯気を立てている。 中へと入れてもらえたことに、まずは第一関門を突破できたかと思っていると、応接間の大きな扉が開いた。 「銃口を向けられながらも、再び足を運ぶとはいい度胸だ」 声に立ち上がれば、そこには、昨日の乗馬服とは打って変わった、淡い紫色のドレスに身を包んだ少女が立っていた。 足音もなく移動してくると、ジノのいる位置の、テーブルを挟んだ真正面に座った。 「それで、何の用だ?確か、昨日私は楽師が嫌いだといっておいたはずだが?」 「お礼を言いに来ただけです。その証拠に、楽器は宿へ置いてきました。昨日は、ろくに挨拶も出来なかったので」 両手を広げて、商売道具である楽器を持っていないことを示して見せれば、溜息をつかれた。 「簡単に商売道具を手放すとは、随分と気楽な商売だな、楽師と言うものは」 「簡単に、ではありません。身を立てていくための大事な商売道具ですが、礼を言うために訪れる相手を不快にさせるのは、本意ではないので」 肩を竦めて苦笑すれば、少女の細い指が紅茶の注がれたティーカップを持ち上げた。 「昨日は、本当にありがとうございました。あの嵐の中、もしここを見つけられなかったらと思うと、今でもぞっとします」 「そうか」 「御礼に何かしたいとも思ったんですが、楽師が嫌いだと言うことですし、歌や音楽では礼にならないと思いまして………かといって物を購入するにも、その日暮らしの私には………」 「礼をしてもらいたいが為に門を開けたわけではない。勘違いするな」 「では、何故、と聞いても?」 「屋敷の門の外に死体に転がられても迷惑なだけだ」 カップが置かれ、少女が立ち上がる。 「私はこれでも忙しいんだ。用が済んだなら早々に帰ってくれないか」 「ちょ、待ってください!せめて名前だけでも!!」 「礼を言う相手の名前も、事前調査せずに来ているのか?」 驚き呆れたような少女の表情に、拙い、と思った次の瞬間、少女が笑い出した。 「流石は余所者、流れ者だな。町で噂位は耳にしているだろうに」 「確かに、こちらが彼のブリタニア家だと言うことは聞いていますが………」 「知っているんじゃないか」 つまらない、とでも言いたげに少女が背中を向ける。その時になってようやく、ジノは気がついた。 自分がまだ、この少女に名乗りもしていないと言うことを。それでは、笑われるのも無理はない。 「ジノ、と申します。お名前を伺っても?」 「聞いたところで、今後お前と私に接点など何一つ生じることはない。不要だ」 「けれど、恩人の名前すら知らないと言うのは、悲しいことではないですか?」 「悲しい?」 「ええ。きっとこれから先、私は何度も思い出すでしょう。この屋敷で一晩泊めてもらい、嵐の中で身を凍えさせることもなく雨露を凌いで命を永らえたことを。そして、その都度、神へその幸運を感謝するはずです」 「………………流石は、楽師。言葉がうまい」 「本心です」 「いいだろう。ならば、その胸の中へしっかりと刻み付けておけ。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの名前を、な」 ドア近くで控えていた男へと、何事か指示を出して、少女、ルルーシュは部屋を出て行った。 一人残されたジノは、追い立てられるように屋敷を後にした。 彼女の眼前で、楽を奏でたい、と言う欲求にジノは駆られていた。彼がそんな風に思うのは、生まれて初めてだった。 才能に恵まれていたのか、ジノは他の町から町へと移動する放浪楽師のように、歌う場所を、奏でる場所を死に物狂いで探したことがなかった。それは、元々貴族を相手に仕事をしていたせいもあるだろう。貴族を相手に仕事をすると言うことは、確実な給金が見込めると言うことだ。下町の酒場で仕事をするのも構わないが、やはり、その給金は比べると断然低い。 幸い、この町にしばらく留まることが出来る程度の貯えはあった。 しかし、彼女の前で音楽を奏でるには、まず、もう一度彼女に会う必要がある。だが、彼女も言っていた通り、この先接点など生じることはないだろう。 相手は、大貴族の令嬢だ。楽師嫌いの。そんな少女に、一介の楽師がどうやって近づけると言うのか。 見出せない解決策に頭を悩ませながら、夜が更けていく。 美しい満月を見上げながら、ブランデーを落としたホットミルクを飲む。テラスで飲むそれは、少し涼しい風を感じながら、とても美味しく、体を温めてくれる。 「楽師、か………」 誠実さや勤勉さと言う言葉とは遠くかけ離れた職業。嘘偽りを並べ立て、おだてや媚び諂いで取り入ろうとしてくる輩達。 ルルーシュにとっての楽師の認識とは、そう言うものだった。幼い頃から、宮廷に出入することのあった彼女にとって、そこで眼にする華やかな世界は、最初、素晴らしく感じた。優しく、激しく音を奏でる彼らを、素晴らしいと思ったこともあった。 けれど、扇の下に隠された貴婦人の、歪められた笑みの赤い唇や、豪快に笑う男の懐の内側に入れられた手が握る札束を見た時に、ルルーシュの中の憧れは瓦解し、また、下町へお忍びで遊びに行った際に見かけた彼らの、賭博に勤しむ現実を見て、呆れと怒りを抱いた。 それから、ルルーシュは音楽が嫌いになった。他の兄弟姉妹から離れ、一人この自然の多い田舎の屋敷に篭っているのも、それが理由だ。 そして、年頃故に持ちかけられる縁談を断っているのも、あの世界へ再び戻るのが嫌だからだ。 富と権力にまみれた、あの世界に戻ることが。 そのせいで、再び大事な人を失うことなど、あってはならないからだった。 ![]() この二人本当にラブラブになるのか? と、不安になってきました。 3話目でまだここって……… いや。大丈夫。なりますよ、ラブラブに。多分。 2010/2/8初出 |