*Knight of night-X-*


 空席の目立つ酒場で、ジノは隅にある机を一つ陣取るようにして、食事をしていた。時刻は、夕刻。これから人の数が増える夕食時の前に食事をしているのは、勿論、彼女の所へ通うためだ。
 相変わらず木を伝いながらの訪問になっているが、最近は、ようやく会話らしい会話が成り立つようになってきた。中々音を上げないジノを、ルルーシュもようやく認めてくれるようになったのだろうかと、いまだ楽を奏でられない寂しさはあったが、嬉しい気持ちもあった。
 最後の一口を飲み込み、そろそろ出発しようかと、腰を上げる寸前、強い力で背中を叩かれた。
「よっ!ジノ!」
「………先輩」
「全く。ようやく見つけたぜ。そんなに広い町でもないって言うのに、お前、最近全然掴まらなかったからさぁ。どうしてたんだよ?」
 にこにこと、人のよさそうな笑みを浮かべたリヴァルが立っており、横の椅子を引いて座る。
「お前が仕事してるって話は聞いてないし、宿代とかどうしてんの?」
「何とか繋いでる感じですよ」
「ふぅん。じゃあさ、俺と組んで一つ仕事しないか?」
「仕事、ですか?」
「そ。まあ、相手は成金貴族だけどさ、金払いはいいからな」
「いつです?」
「明日の夜」
「駄目ですね。予定が入ってます」
「えぇえ!?仕事はしてないんだろぉ?」
「してませんけど、仕事の前段階って感じです」
「何だ、何だ?何か仕込み中なのか?大仕事か?」
「内緒です」
「ちぇっ。お前、案外口堅いからな」
 立ち上がり、リュートを持って代金を机上へ置く。その内の一枚を指先で摘んだリヴァルが、にやりと口角を上げた。
「成功したら、教えろよぉ〜」
「わかりましたよ」
 必ず、彼女の前で奏で、歌ってみせると誓い、ジノは店を後にした。


 既に、一月以上。毎日、毎日、ほぼ定刻に姿を現すジノに、ルルーシュは感心していた。
 半ば、冗談で口にした“百夜通い”と言う言葉。遙か遠い東の国からの書物で知った言葉だが、まさか、本当に実践する男がいるとは思わなかった。
「お前、暇なのか?」
「え?あ、まあ、そうですね。今は無職ですから」
「………上がれ」
「は?」
「室内へ入れるわけにはいかないが、今日でめでたく五十日、半分だからな。少し格上げしてやろう。テラスにまでなら、足を入れていい」
「本当ですか!?」
「馬鹿者。大声を出すな」
 一応、家人にはこのことを知らせてあるが、夜中に大声を出して起こすのは忍びない。そうは言っても、使用人頭辺りは起きていそうな気はしたが。
「全く………お前は面白い男だな」
 テラスと同じ程度の高さにある木の枝へと移り、そこからテラスへと飛び移る。その身軽さに、ルルーシュは驚いた。
「軽業師もしているのか?」
「いいえ。でも、身軽ではありますね」
 飄々とした風体のジノに、溜息を零す。
「どうしてそんなに、私に執着するんだか………」
「それは、勿論、貴女に私の歌を聴いて欲しいからです。貴女を一目見た時に、貴女の前で楽を奏でたいと思った。その思いは消えるどころか、少しずつ、少しずつ強くなっている」
 真剣に、眼をそらすことなく訴えてくるジノへ、ルルーシュは首元を飾っていた小さなペンダントを外して、目の前で揺らす。
「取れ」
「え?」
 ジノの目の前で揺れているのは、中央に小さな紫水晶と思しき石の嵌められた、金の鎖のシンプルなものだ。だが、その鎖の細さと精巧さ、カットされた石の美しさからして、相当な値段がするものだろうと言うことがわかる。
 それを、突然目の前にぶら下げられても、困惑するばかりだった。
「五十日分の給金だ」
「………いりません」
「何故だ?仕事をしていないのだろう。ならば、この五十日間、ここへと拘束された時間に対しての給金だと思え」
「頂きません。私は仕事を何一つしていないし、これは私の我侭ですから、貴女から給金を貰う必要性も権利もない。むしろ、私の願いに貴女が付き合ってくれているのですから、私の方から何か差し上げないと………」
「私が無謀とも思える条件を出しているのに、か?」
「当たり前です」
 大きく頷いて、ペンダントを握ったルルーシュの手を、彼女の方へと軽く押しやり、少し、語調を強くして言う。
「私は楽師です。音楽を奏で、歌を歌うのが仕事なのに、その仕事をいまだ一つも出来ずにいて、報酬を手にしようと考えるほど、厚顔ではありません」
 すると、驚いたようにルルーシュの眼が見開かれ、そして、少し伏せられる。
「楽師と言うのは、何でも受け取るものだと思ったんだがな」
「仕事に対して正当な報酬を頂くのであれば、喜んで受け取りますが、これは、違うでしょう?」
「そうか………お前は、少し、違うのかもしれないな」
「?」
「いいや。何でもない。こちらの話だ」
 伏せられた、長い睫に縁取られた瞳が寂しそうで、声が、少し震えているように感じられたのは、気のせいではないだろうと、ジノは、目の前にある細く華奢な体を抱きしめたい衝動に駆られて、堪えるように、拳を握り締めた。
 まるで、悲しみを飲み込んで堪えているような表情で、ペンダントを再び首へと手馴れた様子でつけるルルーシュの姿が、初めて、年相応の少女に見えた。
 彼女のこの表情が、いつか、自分の音楽で、少しでも晴れればいいのに………そう、ジノは願った。








ちょっとずつ進展しています。
これでも進展してるんです。
ジノの恋路は長く険しいのです。




2010/3/5初出