もう、二度とくぐるまい、と思った門扉を潜り、二度と触れるまい、と思った扉の取っ手を掴む。この先へ足を踏み入れる、そのことがこんなに苦痛で、息苦しいものだとは思わなかった。 それでも、潜らなければならない。 自由を、手に入れるためには。 香りの高い紅茶に口をつけ、眼を閉じて、ゆっくりと味わう。午後の一時、このゆったりとした時間が、ルルーシュは好きだった。 そこへ、突然の闖入者が現れたのは、一杯の紅茶を飲み終わろうかという時。先触れも前触れもなく、突然開いた部屋の扉に驚いて振り向けば、そこには、ここ何ヶ月が目にしていなかった人物が立っていた。 「兄上」 「やあ、ルルーシュ。久しぶりだね」 相変わらず、行動の読めない人だ、と思いながら、後を追ってきたらしい使用人に、椅子と紅茶の用意を言いつけ、ルルーシュは立ち上がった。 「突然、何の用ですか?」 「ん?最近、君の顔を見ていないな、と思ってね」 「用がなければ来ないでください、と言っておきませんでしたか?」 「うん。言っていたね。だが、今日はきちんと用があって来たんだよ」 用意された椅子に腰かけた兄、シュナイゼル・エル・ブリタニアの前に、紅茶が運ばれてくる。と同時に、腰を下ろしたルルーシュの前にも、追加の紅茶が運ばれてきた。 「それで、人の休憩を邪魔しに来た理由は何です?」 「そう、邪険にするものではないよ。大分、綿の栽培も安定してきたようじゃないか。やはり、君にはそういうのが向いていたんだね」 「ええ。貴方の御助言通り」 突き放すようなルルーシュの物言いにも、シュナイゼルは怖気づくことなく、聞こえよがしに溜息をついてみせた。 「ルルーシュ。最近、楽師を招き入れていると聞いたんだが」 「………ジェレミアですか?喋ったのは」 ジェレミア、というのは使用人頭で、何かにつけてはルルーシュを心配し、助言し、煩わしいくらいに心配性な男だ。 「誰が喋ったかは、そう重要ではないだろう?」 「そうですね」 「では、ヴァインベルグ家の話は聞いているかい?」 「二男が戦死したそうですね」 「その話ではないよ。その後の話だ」 「その後?」 「あの家には三男がいたらしくてね。その三男が戦場へ赴くそうだよ」 「え?」 「長男は病死、二男が戦死して、後継者はその青年一人だというのに、また戦場へ行かせるそうだ」 「………何故、その話を私にするんですか?」 「ん?君が招き入れたという楽師と、そのヴァインベルグ家の三男が、よく似た容姿をしていると、人づてに聞いたのでね。もしも同一人物ならば、君が気に病むのではないか、とね」 「たかが楽師一人がどうなろうと、私の知ったことではありません」 ルルーシュは、二杯目の紅茶に口をつけることなく、立ち上がった。 窓硝子に移る梢の影が視界の端で揺れるたびに、読んでいる書物から顔を上げてしまう自分に、ルルーシュは自嘲した。 一体、何を期待しているというのだろう。 いや、誰を待っているというのだろうか。 突き放したのは、自分だったはずなのに。 楽師など、信じるべきではなかったのだ。 簡単に、金や名誉や地位で動くのだから。 目の前に下げられた餌に飛びつく人種だ。 ずっと、そう思ってきたはずなのに……… 彼だけは、違うと思っていたのだろうか。 都合よく、そんな風に、思っていたのか。 「最低だな、私は」 信じていないと思っていながら、その実、信じていたと、そういうことなのか。 真面目に毎日通ってくる姿は、誠実そのものだった。他愛もない話をして、ただ帰っていく。楽師なのに、音楽をルルーシュに聞かせようとはしなかった。 それは、ひとえに、ルルーシュと約束したから、という一点であったのだろう。 ルルーシュが楽師を嫌いだと、音楽が嫌いだといったその理由を、知ってからでないと、音楽を聞かせることはできない、と。 ………戦場に赴けば、生きて戻るとは限らない。無傷で帰るとは限らない。 遺骸となって、戻ってくるかすら……… 読んでいた本を閉じて立ち上がり、影を見なくても済むようにと、レースのカーテンではなく、厚手のカーテンを閉め切る。微かな月明かりすら届かなくなった室内は、本当に暗かった。 溜息をつき、もう寝ようかと、枕元に置いてあった明かりを消した時、窓硝子を叩く音がした。 ![]() 2011/12/25初出 |