*十一*


 信じていると、言ったのに。
 信じては、いなかったのだろうか。


 長く伸びた黒い髪を、掬う。少し波打っているかのようなその髪には、癖があった。
「ん………」
 寝返りを打つ横顔は、以前見ていたものと変わりない。相変わらず色白で、触れれば、滑らかだ。
 瞼の下に隠されている瞳は、見慣れた綺麗な紫色だろうか。
 それとも、自分に呪いをかけた、あの禍々しき紅だろうか。
「ルルーシュ」
 呼んでも、起きる気配はない。深い眠りに入っているのだろうか。
 そっと、頬に手を滑らせ、顎に手をかける。
 せめて一つ、啄ばむような口づけをするくらいは、許されるだろうか。
 吐息が重なりそうなほど近づいた時、赤い唇が、ふわりと、開いた。
「ナ、ナリー………スザ、ク………」
 幼い笑顔が、浮かぶ。まるで、子供のような。
 だが………
「今、君の前に居るのは私だ、ルルーシュ」
 他の人間の名前を呼ぶことなど、許さない。


 冷たくて、暗くて、いい思い出は少なかったあの場所だけど、初めて出来た友達と、たった一人の妹と、一番多く想い出を作れた場所で、自分は笑っていた。
 ナナリー、スザク…お前達がいれば、幸せだった。
 でも、世界は、それだけじゃなかったから。自分達だけで、完結する世界では、なかったから。
 だから、お前達が幸せにいられる優しい世界にするためなら、この命を投げ出す事なんて、大したことじゃなかったんだ。
 ただ、一つ、後悔があるとするならば………
 せめて、お前に、謝りたかったよ。
 裏切らないと言ってくれた、お前に。


 ああ、久しぶりに見た、幸せな夢だった………そう思って瞼を押し上げると、視界に、白い天井が入ってくる。
 確か、あの屋敷はもう少し、クリーム色に近い天井だった気がする。なら、ここはどこだろう。
「眼が、覚めたか?」
「え?」
 聞き覚えのある声に、耳を疑う。
「久しぶりだな、ルルーシュ」
 瑪瑙色の鋭い双眸が、見下ろしている。
「星、刻………?」
「覚えていてくれたか」
 特徴的な長い髪が、顔の傍に垂れてきている。体を起そうとして、腕が動かない事に気づいた。
「なっ………何で………」
 両腕を、男が押さえつけている。びくとも動かせないほどの力で。握りつぶしでもするかのように。
「っ…あ、アーニャ?アーニャはどうした!!」
「彼女なら、食事に出ている。そんなことより、私は君に、聞きたい事が沢山ある」
「聞きたい事?一体、何だ?“黒の騎士団”総司令殿」
「その職は既に辞した」
「っ!?」
「私は、君の思惑には、乗らない」
 武官らしい、節くれだった指が、頬に触れる。そのまま滑らされる指先が、瞼に触れた。
「ルルーシュ。何故、私にギアスをかけた?」
「………え?」
「何故、君のことを忘れろ、などと言うギアスを、私にかけた?そんなに、私に想われたのが、迷惑だったか?そんなに、厭わしかったか?」
「………ど、して………」
「君の部下が、解いてくれたよ。キャンセラーと言うのだそうだな。全て、思い出した」
 ぞくりと、背筋が凍る。瑪瑙色の双眸の奥に、暗く、深い、闇があった。
 それは、憎しみと、恨みと、そして、強く、深い、悲しみ。
「私は、うまく君の駒にされたと言うわけだ。君がいなくなった後の世界を、ブリタニアと世界を二分するであろう騎士団を、率いて纏めるための」
「ちがっ…」
「違わないだろう?君をただの“ゼロ”として、そして君を“敵”と認識するように、私にギアスをかけた。『忘れろ』と。『ルルーシュを忘れろ』と」
 瞼から頬へ、そして首筋へと降りていく手が、襟を寛げて、ボタンにかかる。一つ、二つと外されていくブラウスのボタンに、男が何をしようとしているのかに気づき、青褪めた。
「やめろっ!離せっ!」
「出来ない相談だ。私は、君を、愛している」
 腕を戒めている手を振り外そうと腕を動かすが、両手の手首を重ねるようにして握り締めている大きな手は、決して外れることがない。
「君を、愛している。大切にしたい。優しくしたい。なのに、もう、私には、私が止められない」
 唇が、重ねられる。それは、戦慄くように震えていて、けれどすぐに、熱い舌が唇を割って、口内へと入り込む。絡められて吸い上げられる舌の付け根が、痺れた。
「んっ………ふっ………」
 腕を押さえつけられ、押し倒されて、それでも拒めないのは、触れてくる指先が、どこまでも優しいからだろうか。
 あの頃と変わらない、優しさがあると、信じているからだろうか。
「私のものになってくれ、ルルーシュ」
 深く濃い闇に囚われていようと、その中に決して失われない真摯さがあるのは、この男の本質だろうかと考えて、悪寒が走った。
「っ…だめだっ!星刻!やめろ!」
「今更…」
 その手が、ブラウスの前を開く。ひんやりとした空気に、ルルーシュは叫んだ。
「嫌だ…見るな………見ないでくれ!」
 そこにあるのは、罪の刻印。
 罰の、証。








ようやくここから核心へ触れられるかな?と言う感じです。
長いですね、この話。
何でこんなに長くなったのだろうか………?




2009/6/27初出