*十二*


 白い肌に、まるで傷のように、刺青のように刻まれた、赤い紋章。鳥が羽を羽ばたかせているようにも見えるそれは、左の胸の上部、心臓のある辺りに、大きく刻まれていた。
「これは………何だ?」
 見たことのない紋様に、腕を押さえつけていた星刻の手から、力が抜ける。
「………ふっ………ははっ………」
「ルルーシュ?」
 空笑いのような声が、響く。それは、泣いているようにも、悲しんでいるようにも、聞こえた。
「今更………そう、今更だ。何をお前が知ったって、何も変わらない。俺はもう、化物なんだよ!」
 腕が振り払われ、自由を取り戻した手で、暴かれたシャツを閉じる。
「化物?」
「罪に穢れ、罰を受け続けるための、生贄だ」
「何を…」
「俺はもう、ルルーシュじゃない。“私”は、“L.L.”だ。お前の知るルルーシュは、もう、この世界の、どこにもいないんだよ」
 嘲るように言い放ち、ゆっくりと、体を起す。
「助けてもらったようだから、それに関しては礼を言おう。だが、私に関わらない方がいいぞ、黎星刻」
 寝台からおり、シャツのボタンを留めて立ち上がろうとするその腕を掴み、引き寄せる。
「待ってくれ、ルルーシュ」
「離せ」
 冷ややかに細められた紫色の双眸が、星刻を睨みつける。
「駄目だ。私は………ぐっ…」
 せりあがってくる不快感が、咳となって口をついて出る。幾度か大きく咳き込めば、喉の奥から鉄錆の味が這い上がり、口元を押さえた手の中に、鮮血が吐き出される。
「………哀れだな。折角拾った命だろう?有意義に使え」
 病に冒されている男を哀れみながらも、容赦なく緩んだ手を振り解き、振り返らずに部屋を出ようとすれば、追いかけてきた腕が、開けかけた扉を叩きつけるように閉めてしまう。
 振り返る事が出来ずに沈黙していれば、腕が交差して抱きしめてくる。
「行かないでくれ、ルルーシュ」
 低い声が、耳元で囁く。哀切の篭った声に、返事をしそうになりながら、それでもそれを呑みこめば、抱きしめてくる腕には、更に力が篭る。
「愛している、ルルーシュ、君を。君だけを」
 重ねられる唇からは、血の味がした。


 崩れ落ちた男の頭を、膝の上へ乗せる。
 限界、だったのだろう。
 心も、体も。
 苦悶に歪む表情、口端にこびりついた赤黒い血、額にかいた汗が、男の容態が悪いものだと語っている。
 何故、治療しないのか。何故、生きながらえようと思わないのか。
 折角、命が今、あるのに。
 そっと、額の汗を拭い、こびりついた血を拭ってやる。
「すまない、星刻」
 無理を強いているのだとわかっていた。既に、彼の体は“あの時”から、引き返しようもないほどに、病魔に蝕まれているのだと知っていた。知っていて、“嘘”を与えた。
 そうすることが、彼が生きられる道だと、そう思った。そうすることで、心置きなく戦線へその身を投じ、主たる天子に心を捧げられるだろうと。
「あの時も、お前はこんな顔だったな」
 抗った。必死に、必死に、それこそ、意識が途切れるその瞬間まで、“嘘”に抗おうとした。
 それでも、“絶対遵守の命令”に、抗う事は叶わなかったけれども。
 背後の扉が開く。入ってきたのはアーニャで、少しだけ、悲しそうな表情をしていた。
「悪いな、倒れて」
「ううん。助けてもらったから。私の方こそ、ごめんなさい」
「いや。怪我はないか?」
「大丈夫」
 扉を閉め、膝を抱えて座り込んだアーニャが、星刻の顔を見下ろして、顔を上げる。
「一緒に、いたいんじゃないの?」
「いられるわけがない。わかるだろう?」
「でも………」
「アーニャ、私は、いつかあの屋敷からも出て行くよ。今は、お前達の行為に甘えてしまっているが、いつかは、必ず」
「それは、明日?明後日?違うんでしょ?」
 明日、明後日………皆には当たり前に訪れる“未来”がもう、自分にはないのだ。日数を数えることに、意味はない。
 曖昧に微笑んで、男の頭の下から膝を抜く。
「アーニャ、寝台へ運ぶのを手伝ってくれ」
「この人、貴女のことが、凄く好きなんでしょ?どうして、一緒にいてあげないの?」
「それを、受け入れることは、罪だ」
 自嘲するように微笑んで、許されない自分を、罰する。


 夜まで眠らぬ町の中。春の祭りに浮かれた人々が、あちらこちらで話に花を咲かせ、盃を交わして祝いを交わす。
 黄色いぬいぐるみを抱えた少女が、一人、そんな町中の、酒場の中へと足を踏み入れ、騒がしい席の間をぬって、空いているカウンターの隅へと腰を下ろした。
「ピザを」
 第一声に、カウンターの中にいた店主は、胡乱気な視線を向けながらも、飲み物を尋ねる。少女はやはりアルコールではなく、フルーツジュースを頼んだ。
 そんな少女の横へ、サングラスをかけた少年が座る。少年は何も頼むことなく、少女へと顔を向けた。
「どう、今の暮らしは?」
「悪くはない」
「そっか。で、僕に何の用?」
「一つだけ確認したい。お前は、まだあいつを憎んでいるか?」
「………もう、充分に罰を受けた。僕も、彼女も。だから、憎んでいないといえば嘘になるけれど、許しているよ」
「そうか。なら、少し協力しろ」
「ん?」
 サングラスの奥で、少年の新緑色の瞳が、瞬いた。








何だか進みが遅いです。
話数がこんなに増える予定ではなかったのですが。
でも、ようやく決着が見えてきそうな………気配。




2009/7/5初出