*十六*


 超合衆国決議第一號が採択された、その式典のモニターに、突然現れたノイズ。そして、姿を見せた神聖ブリタニア帝国第九十八代皇帝、シャルル・ジ・ブリタニア。その姿がモニターに映し出された途端、“ゼロ”の体が微かに強張り、半歩後退した事に気づいた人間が、その場にどれほどいただろうか。
 自室へと戻った“ゼロ”を追うようにして、星刻が向かうと、部屋にはC.C.と呼ばれる少女が一人、黄色いぬいぐるみを抱えて座っていた。記憶を失っている少女は、以前とは正反対なほどに他人に対して警戒し、星刻を見ても一瞬体を強張らせ、しばらくして肩から力を抜いた。
「あ、あの、ご主人、様なら、あちらに」
 言って少女が指差したのは、奥の部屋。入室して大丈夫だろうかと躊躇していると、奥の部屋の扉が開く。
「星刻か。ちょうどよかった」
 手の中で携帯電話機を折り畳んだ“ゼロ”が、上着を脱ぎ始める。
「俺は少し離れる。後にトウキョウで合流するが、お前にはキュウシュウを任せる」
「どこへ行く?」
「人に会いに」
「せめて、何処へ誰に会いに行くのか教えてくれないか?一人で行くつもりなのだろう?君は今やCEOと言う立場だ。幹部だけでなく、総司令たる私にまで告げないと言うのは…」
 CEOだの総司令だのと言うのは、ただの言い訳だった。ただ、自らの知らない所で彼女が危険に遭うのが、嫌だと…
「………スザクに、会いに」
 躊躇った後に告げられた言葉に、星刻は頭を殴られたような気がした。
「っ!?………何処へ?」
「枢木神社」
「どこにあるんだ、それは?」
「枢木の家のすぐ側だ。俺達の、始まりの場所」
「理由を説明してくれ。納得できる説明ならば、行かせよう。今君をここから出すのは危険だ。君にとっても、我々にとっても」
 星刻の眼差しに負けたのか、“ゼロ”はC.C.に奥へ行くように告げ、その姿が消えたのを確認して、口を開いた。
 神聖ブリタニア帝国元第三皇女、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。鬼籍に載り、抹消されたその存在。現エリア11総督、ナナリー・ヴィ・ブリタニアの実の姉。
 端的に告げられる事実に、星刻は言葉を発せられなかった。
「俺達は、捨てられたんだ。日本との友好の証にと俺達を送っておきながら、あの男は日本を侵略した!俺達の命など、どうでもよかったんだ!!」
 震える拳が机を叩く。細いその腕が壊れるのではないかと、力の抜けた肩を見下ろす。
「俺はあの日、誓ったんだ。必ず、ブリタニアを壊すと!あの男を殺すと!!」
「実の、父親だろう?」
「あんな男は親じゃない!!俺の記憶を奪い、一年間監視させ、更にナナリーを人質にしている!もう、スザクを頼るしかないんだ!!ナナリーを今すぐ取り戻さなければ、あいつはナナリーを殺してしまう」
「ルルーシュ………」
「スザクなら…例え俺を憎んでいたとしても、ナナリーを傷つけることだけはしない。しないはずなんだ………」
 震える両手を重ね合わせ、そこへ額を乗せて祈るようにして背中を丸める彼女の背中から、抱きしめるように腕を回す。
「他に、何か手を考えよう。君一人で行くのは危険すぎる」
「他に、何か!?そんな余裕はない!それに、スザクは一人で来いと言った。あいつも、一人で来るはずだ。だから、俺は行く」
「ルルーシュ、わかっているのか?今は…」
「わかっている!だからだ!!心おきなくブリタニアと戦うためには、トップに居る俺が揺らいでは駄目だ!!だからっ!」
 腕が振り払われ、体を突き飛ばされる。
 まるで、薔薇のようだと思った。美しいのに、棘だらけの体と言葉は、自分を守り他人を傷つけているようでいて、自分自身すら傷つけている。
 いつの間にか用意されていた学生服を掴んだ細い腕が、それをハンガーから取り外していく。
 行ってしまう………そう思うと耐えられず、星刻は腕を伸ばしてその細い体を引き寄せ、抱きしめた。
 まるで、今行かせては、二度と戻ってこないような、そんな衝動に駆られた。
「君を、愛している」
「なっ………」
「私に、君を守らせてくれ」
「何、を、言って………っ!」
 重ねた唇は柔らかく、甘かった。
「ふっ………んっ………っ!」
 学生服が床に落ち、震えていた腕が星刻の体を突き飛ばす。
「何、を………何を、考えてっ!!」
 泣きそうな顔で睨みつけてくるその表情に、星刻の心が軋んだような気がした。
「お願いだ。どうしても、彼に会わなければいけないと言うのなら………」
「くどいっ!何度も言わせるな!!俺は一人で行く!お前はさっさとキュウシュウへ向かえ!!」
「ルルーシュ!」
「呼ぶなっ!!」
 ルルーシュの左手が、左目を覆う。黒い髪で隠された右目の表情は、窺えない。
「お前に、名前を教えたのは、間違いだった」
「ルルーシュ?一体、何を?」
「お前は、駄目だ。俺を、弱くする」
 左手が左目の上から外されると、鮮やかな紫色をしていたはずのその瞳が、禍々しいほどの赤に変わっていた。
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる………」
 赤い光が瞬いたと、そう思った次の瞬間、星刻の意識は失せていた。


 倒れた体を膝に乗せ、長い黒髪を梳く。
『やめてくれ!私は…私は、忘れたくない、ルルーシュ!』
 伸ばされた腕から一歩後退すると、傷ついたような眼をし、愕然とその双眸を見開いていた。何故、如何してと、そう、問いかけているような視線だった。
 苦悶の表情に歪むその頬へ、手を滑らせる。
「すまない………すまない、星刻」
 裏切らないと、言ってくれた。綺麗な名前だと、微笑んでくれた。好きだと、守らせてくれと、そう言ってくれた。
 けれど、決してこの手を掴む事は出来ない。この手に縋る事は許されない。
 彼の価値ある英知は、合衆国中華のために、ひいては超合衆国及び黒の騎士団のために使うべきだ。自分のために使われていい才では、ない。
 許しを請う気はない。許されたいとも思わない。このまま、未来永劫、自分との関係を忘れてくれればいい。好きだと、守りたいと言った、その感情ごと。
 そうすれば、きっと、彼は………
「ははっ………これは、何だ?」
 星刻の頬に落ちた、一粒の雫。後から、後からそこへと滑り落ち、まるで、彼自身が泣いているようだった。
「俺は、“ゼロ”だ。今更、何を後悔する事がある?」
 “ゼロ”とは、無であり有であり、存在しないもので存在するもの。生きていないのに生きている。狭間の存在。
 そっと、その体を床に横たえてやる。せめてと、その頭の下にクッションを入れてやって。
 もう、行かなくては………
「ありがとう、星刻。嬉しかったよ」
 そっと身を屈め、触れるだけのキスを、頬へ。
 そして、ルルーシュは立ち上がり、学生服を持って奥の部屋へと消えた。








これで過去編は最後になります。
ルルはちゃんと星刻が好きでした。ただ、ここへ至るまで気づかなかっただけで。
ルルはやっぱり薔薇のイメージがありますね。何ででしょう。




2009/7/29初出