*六*


 溢れるように繰り返す、記憶。
 そこから零れてくるのは、涙の色をした愛情。


 眼を覚ますと、白い天井が視界に入った。ここは………と考えながら首を巡らし、白い天井、白い壁、白い床に清潔そうな寝具と、己の腕から伸びた細い管に、ああ、と思い至る。
 ここは、病院か………と。そのことに、深く溜息をつく。そして、その溜息に紛れ込ませるように、一つ、名前を呟く。声には出さず、形だけにして。
 腕を支えにして体を起し、苦笑する。
 随分と、己の腕も細くなったものだ、と。
 剣を握り、誰も乗りこなす事が出来ないといわれたKMFを乗りこなし、戦場を駆け抜けていた時が、既に懐かしいものになっていた。
 あの日、“悪逆皇帝”が“英雄”に討たれた日から、星刻にとっての世界は逆転した。
 花は醜悪で、青い空は忌々しく、吹きぬける風は全て生温く、生きている己を、毎日、呪う。
 右腕につけられている点滴の管を力任せに引き、皮膚の内側へと入り込んでいた針を弾き飛ばせば、じんわりと、滲む、赫。顔を近づけ、唇を寄せてその赫を吸い上げ、白い床へと吐き出す。
 寝台から降り、病室備え付けのクローゼットを開けば、そこには倒れる時に着ていた星刻の服が入っている。律儀にも、その時身につけていた剣まで。
 早く仕事へ戻らなければと、服を着替え、剣を腰に佩いたところで、病室の扉が開いた。
「星刻様、何を!」
 入ってきた香凛が、床へと落ちた点滴と着替え終えた星刻を見て、走り寄る。
「退け、香凛」
「いけません!倒れたのですよ?せめて一日は大人しく…」
「退けと言っている!」
「っ…」
 香凛を押しのけ、靴を履き替えて、病室を出ると、そこには今最も会いたくない数名の顔が、並んでいた。
 会談に顔を出さなかった事への疑問か、辞表を出した事への糾弾か、どちらにせよ言葉を交わす気は、星刻にはなかった。
 通り過ぎようとすると、藤堂が椅子から立ち上がり、星刻の正面へと回る。
「理由を聞かせてもらおうか?」
 眉間に皺を寄せている藤堂に負けず劣らず、星刻の眉間にも皺が寄り、無言のまま睨み合う。張り詰めた空気を打開したのは、星刻だった。
 藤堂の横を通り過ぎるべく、動く。だが、その腕を藤堂が掴みあげる。
「答えてもらおう。何故、辞表を提出した?」
「………」
「何とか言ったらどうだ?」
「………離せ」
「黎総司令」
「離せと言っている!!」
 廊下に響き渡った怒号に、離れた場所にいた一般の患者、そして看護士や医師が驚きに眼を見張っている。星刻は腕を強く振りあげて藤堂の手を振り払うと、そのまま廊下を真っ直ぐ進み、階段を降り始めた。
 後ろで、香凛達が星刻の名前を呼んでいるが、立ち止まる気は更々なかった。
 必死に押さえ込んでいる憎悪が、憤怒が、剣に手をかけさせようとする。それを必死に押さえ込んでいるのは、彼らが“知らないから”に他ならない。
 廊下を降り切り、病院のロビーを抜け、庭へ出ると、憎らしいほどの青空と緑が視界に広がり、憂鬱な気分が膨らむ。
 いっそのこと、ここが焼け野原にでもなればいい………などと言う想像をしながら、庭を抜ける。
 嗚呼………早く、君に、逢いに、逝きたい。


 いつだって、心の底から喜び、楽しんだ笑顔など、見せたことはなかった。自嘲するような笑顔、困ったような苦笑………きっと、その笑顔は満開に開いた花のように、美しいはずだったろうに………
 終ぞ、見ることは叶わなかった。


 その頃の黒の騎士団は、不満と不安、鬱屈が渦巻いていたといってもいいだろう。恐らく、その発端は、一年前のブラックリベリオン。“ゼロ”のブリタニアへの反逆が失敗に終わり、幹部が捕縛され、“ゼロ”の死亡が発表されたあの時から、内部にあった感情だった。
 星刻はその時のことは勿論知らないし、知ろうとは思わなかった。だが、口さがない者というのはどこにでもいるもので、星刻が知りたがろうとそうでなかろうと、話は耳に入ってきた。そこにあるのは“善意”と“悪意”の両方で、話を聞いていれば自ずと、“ゼロ”がおかれている微妙な立場がよくわかった。
 そして、気づいた。
 黒の騎士団の中に、本当に“ゼロ”を信頼し、信用し、心を寄せている者は誰一人いないのだ、ということに。
 信頼しよう、信用しよう、と言う感情は垣間見える。だが、どこか皆一線を引き、“ゼロ”を“ゼロ”たらしめんとするために、どこか“人”扱いしていないような所があった。
 だが、星刻は“ゼロ”が生身の人間だと知っている。心がないわけでもなければ、機械でもない。何故、彼女が顔を隠してテロリズムなどに身を投じているのかは知らないが、知れば幹部達とて、考えを改めるだろう。
 だから、星刻は一度だけ、正体を明かしてみてはどうかと、提案した事があった。
 一瞬、驚いたように見開かれた眼が、次には嘲りを含んだ色を乗せて、鋭く眇められた。
「馬鹿なことだ」
 肩を小さく震わせて、喉の奥で笑ったかと思うと、紫色の双眸が天井を見上げる。
「正体が知れたが最後、全員が俺を殺そうとするだろうさ」
 そんなことはないと、どこか遠い眼をした彼女に、星刻は言うことができなかった。
 手の中に、チェスのキングの駒を持ち、真剣な面持ちで盤面へ向かうその横顔から、真意を測る事は出来なかった。
 ………どうすれば、良かったのだろう。どうすれば、失わないですんだのだろうか。








ルル狂いな感じの星刻。
狂気走った星刻を書いてみたかったのです。
このお話は少し長くなりそうです。




2009/5/1初出