*八*


 細身の刃に胸を刺し貫かれながら、遠のく意識の片隅で、思った。
 これでいい。想いは全て、もって逝く。
 だから、お前は心迷うことなく、道を間違うことなく、短い命を一分でも、一秒でも長く、生きろ、と。
 私は、お前に想われて、それだけで、幸せだったから。
 そう、想って、死出の旅路に、瞼を、おろした。
 再び、瞼を開くことがあるなどと、思いもせずに。


 港には活気が溢れ、道往く人々の顔には笑顔が多い。合衆国中華は、戦争の舞台にこそならなかったものの、大宦官の圧制時代から引きずっていた貧富の差や雇用不足の問題等、様々な問題を抱えて、開発の進まない国土は荒れていたはずだった。それに伴い、人心も乱れ、荒れていた。だが、人々の表情は明るい。圧制から解放されただけでは、こうはならないだろう。
 見れば、あちらこちらに見慣れぬ建物がある。
 かけたサングラスの奥から、その建物を見やれば、どれも掲げている看板が違う。病院であったり、学校であったり様々だが、福祉施設、教育施設のようだった。
 袖を引かれて振り返れば、アーニャが道の向こうを指差している。
「あれ」
「ああ。バスか………」
「まだ、迷ってる?」
「と言うか、こうして往来を歩くことにまだ、戸惑っている、と言う感じだ」
「大丈夫。誰も気づかないから」
「そう言う問題じゃ………」
「平気。行こう。私、観光したい」
「は?いや、観光しにきたわけじゃ…」
「少しくらい大丈夫」
 そういえば、アーニャがここへ来たのは、元神聖ブリタニア帝国第一皇子と中華の象徴天子との政略結婚が行われた時で、観光する余裕などなかったのだろう。
「C.C.が、『旨いものが沢山あるから食べてこい』って言ってた」
「あいつ………」
 一体何を、アーニャに吹き込んでいるんだ、と憤りを感じる反面、いまだ整理のつかない自分の心を落ち着けるためにも、寄り道は必要かもしれないと、苦笑しつつ、港町の中心へと足を向ける。
 一人でなくてよかったと、隣を歩くアーニャを見下ろして、笑んだ。


 力強い………そう感じたのが、市場と思しき場所へ来ての、最初の印象だった。人々の生命力、活動力と言ったものだろうか、市場には笑い声や物を売る声、子供の遊ぶ声などが響き、賑やかだった。
 見れば、大通りには何か催し物も出ているようだった。何かの祭りなのだろうかと視線を巡らすと、大きく派手な音が響く。まるで、銃でも乱射したかのような音だった。音のした方向へと急いで顔を向ければ、煙が上がっている。そして、火薬の爆ぜる光とともに、赤い紙片が散っている。
「あれ、何?」
「多分、爆竹というものじゃないか?本物を見るのは私も初めてだ」
 とりあえず、どこかで食事でもしようと、屋台の中を覗きこむが、見慣れぬ二人連れに、物を売ってくれる店はなかった。特にアーニャの姿を見て、顔を顰める者達が多い。外見が、中華の者とは明らかに異なるからだろう。
 世界は平和に向けて歩みを進めていると思ったが、やはり、どこにでも心のしこりは残るものかと、嘆息する。
「私は平気。気にしないから」
「だが………」
「私だって、酷いことしたから。ね、あれ食べてみたい」
 アーニャが示したのは、湯気の上がる蒸篭の中にある、白い塊。
「買ってくる。待っていてくれ。動くなよ」
「わかった」
 目立つ建物の側で待つように言い置いて、足を屋台へ向ける。
 優しい世界が欲しかった。人が人を蔑み、虐げる事のない世界を。人種や国籍、身分や財力で人が人を圧しない世界を。だが、やはり一朝一夕に、世界に数多く残る、元神聖ブリタニア帝国の圧制の爪痕と傷跡は、消えるものではない。
 わかっていた。わかっていて、それでもせめて、戦争だけは終結させたかった。
「二つ包んでくれ」
 屋台の恰幅の良い女性に声をかければ、長い黒髪のせいだろうか、サングラスをかけていても、訝しむような視線は向けられたものの、手早く商品を包んで渡してくれる。
「今日は、何か祭りでもあるのか?」
 代金を渡しながら問うと、女性は腰に手を当ててふんぞり返った。
「知らないのかい?田舎者だねぇ。今日は祭りだよ。春の祭りだ。朝早い時間に、天子様のお言葉があったろうに。聞かなかったのかい?」
「ああ。春の祭りか。賑やかでいい」
「だろう?」
 誇らしそうに胸を張る女性に背を向け、包みを持って待たせているアーニャの居る方へと足を向ける。だが、そこにアーニャの姿はない。
「アーニャ?どこ行った?」
 まさか、変な連中に連れて行かれたわけではないだろうと疑うが、逆に、もしもそんなことになっていれば、相手の身が危ういだろう。何せ、アーニャは幼く見えても小柄でも、元神聖ブリタニア帝国の皇帝に仕えた騎士だ。“戦い”には慣れている。
 探さなくてはと勢い込んだが、すぐにその姿は待たせていた場所からほど近い、細い路地の中で見つけた。
 薄暗がりで、アーニャの足元に男が二人、伸びている。
「大丈夫。殺してない。気絶させただけ」
「そう、か。よかっ…」
 最後まで言い終える前に、アーニャの腕が伸びてきて、体をつき飛ばす。次の瞬間、太い腕が横をすり抜けて、小さなアーニャの体を壁へと叩きつけていた。
「っ…アーニャ!」
 細い体が壁に叩きつけられて、地面へと落ちる。
「ブリタニア人がいると、空気がまずいんだよなぁ」
 振り返ると、そこには禿頭の屈強な男が立っていた。明らかに酒臭い。係わり合いになるとろくな事がない手合いだ。だが、男はじりじりと、間合いを詰めてくる。
「てめぇも、ブリタニア人だなぁ?」
 男は手に持っていた酒瓶を煽り、それを壁へと叩きつけて、懐からナイフを手にし、刃を出した。








ようやく進んできました。
アーニャは妹系なので、一緒にいると癒されるかと。
そろそろ会えるかな、と言う感じです。




2009/6/14初出