*家族-前編-*


 大きな紫色の瞳に涙を溜め、長い黒髪を左右に振った少女が、小さな唇を開いて叫んだ。
「だいっきらい!ばかー!!」
 そのまま背中を向けて部屋から飛び出していくのを、男は止める事も出来ずに、椅子に座り込んだ。


 超合衆国。合衆国日本と合衆国中華を中心とし、その成り立ちや道義に賛同した国々で構成された、巨大国家。元はテロリストである“黒の騎士団”と中華連邦国内でクーデターを起こした者達が中心となって構想したその国も、最早超大国、神聖ブリタニア帝国と世界を二分するまでの国家へと成長し、また、ブリタニア以上に人権を大事にする国とあっては、文句をつけるものもいなかった。
 そんな国が成立してから、早五年………様々な問題や紆余曲折があったにしろ、政は恙無く行われ、また、その頂点に立つのが仮面を被った一人の反逆者………“黒の騎士団”を立ち上げた首魁“ゼロ”であることを除けば、地球における歴史上の多くの国家に引けをとらないことは、疑いようがなかった。
 そんな中、超合衆国の政治の中枢は、元中華連邦の蓬莱島に置かれている。そもそもそこが、“黒の騎士団”の本部となっていたことが由来ではあったが、合衆国中華への配慮もこめて、とのことでもあったのだろう。何より、超合衆国に参加している国々の中で、合衆国中華の国土が一番広かったのだ。
 そんな蓬莱島、今もまだ“黒の騎士団”と共に元日本―エリア11を抜け出してきた日本人が多く暮らすその政治の中枢に、穏やかな春の風が吹きぬけるその日、一人の小さな客人があった。


 合衆国日本及び超合衆国の政治の中枢には、“黒の騎士団”の幹部が多く関わっている。軍部関係には藤堂元将軍、マスメディアの統括にはディートハルト、ナイトメアの開発やその他国家的に技術開発にはラクシャータ等々、その実力が折り紙付であるが故に、反対するものはいない。
 超合衆国が成立してから五年。ブリタニア帝国との国境では今も小さな小競り合いが耐えることはなかったが、概ね国内は安定し、大規模な戦闘行為も減り、両国間は冷戦状態へと突入していた。
 その日は、比較的穏やかな日で、いつものように午前中の定例会議も支障なく終わり、続々と会議の出席者が会議室を出て行っていた時だった。
「ゼロ、この後は?」
「午後からEUの使者が来る。それまでは………」
 藤堂の言葉に、仮面を被ったままのゼロが言う。会議室に残るのは、大抵“黒の騎士団”出身者ばかりだ。他の者は会議が終われば、続々とそれぞれの持ち場へ戻る。
 そんな場所へ、“ゼロ”の言葉を遮るような音が響いた。
 閉まっていた扉が大きく開け放たれる。
 何かあったのか、と室内にいた藤堂、ディートハルト、扇、カレンらが鋭く眼を細めるが、しかし、そこに入ってきた人物の姿はない。
 だが、視線を下へ下ろせば、扉を開けたらしい、小さな少女がいた。手には、ここへ入ってこれる者だけが手に持つ、身分証明書のカードが握られている。
 大きく肩で息をし、乱れた髪を手早く整え、眦に涙を溜めた少女が床を蹴った。
 真っ直ぐに、“ゼロ”の腕の中へと飛び込み、涙で顔をぐしゃぐしゃにして泣きつく。室内にいたのが“黒の騎士団”出身者だけが幸いした。誰もが、この少女の事を知っていたからだ。
 少女は、かわいらしい中華服を着ていた。それも、それなりに身分ある者が身につけるような、絹の中華服だ。
「かあさまー!!」
 “ゼロ”に抱きつき、その姿を母と呼ぶ少女に、手袋に包まれた手が、仮面を外した。
「どうした?何があったんだ?」
 優しい声音で言い、小さな体を抱き上げる。少女によく似た紫色の瞳が、柔和に微笑んだ。


 “ゼロ”の私室の中には、その場に居合わせた藤堂、ディートハルト、扇、カレンが同席していた。“ゼロ”の腕の中で相変わらず泣き止まない子供に、カレンがあやすように飲み物を持ってくる。
「あ、あり、がと」
「どういたしまして」
 少女はきちんと礼を言い、ストローに口をつける。甘いオレンジジュースに少し気持ちが落ち着いたのか、半分ほど呑んでそれをテーブルに置くと、マントを脱いだ“ゼロ”の腕にしがみついた。
「で、今日は何だ?」
「とうさまなんて、だいっきらい!!」
「で、飛び出してきたのか?」
「だって、だって、おべんきょうをしろっていうの。わたし、がんばってるのに、なのに………うわぁーん!!」
「お勉強って、何の勉強なんだ?」
「ちゅうかれんぽうのれきしと………なんだっけ?」
 扇の問いに、思い出すように指を口元に当てて言うが、忘れてしまったらしい少女が、ぷくりと頬を膨らます。
「だって、てんしさまはむかしからあたまがよろしくて、なんて、わたし、てんしさまじゃないものっ!!」
「比べられちゃったんだ」
「きらい、きらい、だいっきらい!!」
 五歳と言う年齢にしたら、これだけ喋れて言葉が達者なら充分に頭がいいだろうに、と藤堂などは思い、少女を見下ろす。
「だからと言って、黙って出てくるのは感心しませんね。“ゼロ”、彼女は一度父君の所へ戻した方がいいのでは?」
「そうだな………ディートハルト、一応向こうへ連絡しておいてくれ」
「わかりました」
 ディートハルトが立ち上がり、部屋を出て行く。ぐしゃぐしゃになった少女の顔を、“ゼロ”は白いハンカチで拭う。
「あいつが来たら、きちんと帰れよ」
「やだ!!かあさまといっしょにいる!!」
「………私は仕事がある。今日は特に大事な仕事が………」
「“ゼロ”、それなら俺と藤堂さんで出るよ。君は少し、娘さんと親子水入らずをした方がいい。最近、構ってあげてないだろう?」
「しかし………」
「扇の言う通りだ。三つ子の魂百まで、と言う。今の時間を大事にしておかなければ」
「………なら、使者の件は、頼む」
 藤堂と扇が了承を伝え、部屋を出て行く。残った“ゼロ”と少女に、カレンは微笑んだ。
「着替えの服、持ってくるわね」
「ああ。頼む」
 いつまでも我が子の前で“ゼロ”の衣装でいるわけにはいかないと、少女に一言、着替えるから、といってしがみついている腕を離した。












2008/7/27初出