*風邪*


 体温計が示す、高温。
「風邪だな、確実に」
 珍しい、と思いながら体温計をしまい、立ち上がる。
「粥を作ってくるから、大人しくしていろよ」
 枕元に散らばっていた書類を全て纏めて遠ざけ、釘をさしてから、部屋を出た。


 情けない………と思いながら、天井を見上げる。
 数日前から、確かに喉が痛い、とは思っていたのだ。だが、特に体の方に不調は出なかったし、仕事を休むわけにもいかず、この程度ならば大丈夫だろうと、仕事を続けていた。
 その翌日には軽い咳が出ていたが、熱はなかったし、まだ大丈夫だろうと思っていたのだ。更にその翌日には多少微熱ではあったが、動けないわけではないので、いつものように仕事へ出た。
 そして、今日。熱が、臨界点を突破したらしい。体が重く、起き上がるのが億劫だった。
「はぁ」
 小さく溜息をついただけでも、体が重く感じる。今日一日で治ればいいが………と思いながら瞼を閉じる。
 そういえば、こんな時間に家に居るのは珍しい事だ。普段であれば、もう仕事へ行っているし、休みの日は大概が寝坊する。
 庭で小鳥の囀る音、風で葉の擦れる音、その向こう側から、小さな足音が廊下を駆けてくる音が聞こえた。その足音には十二分に覚えがあり、瞼を押し上げる。
 蝶番の軋む微かな音を立てて、扉が少し開けられる。
「とうさまー、だいじょうぶ?」
「…ああ」
「なにか、ほしいもの、ある?」
「大丈夫」
「へいき?」
「平気だ」
 娘に移しては大変だ。自分の部屋へ行っているように言いつけて、娘が廊下を駆けていく足音を確認してから、瞼を閉じる。
 今日一日大人しく寝て、治さなければならないだろう。部下達は皆優秀だから、何とかフォローをしてくれるだろうが、やらなければならない仕事は沢山ある。せめて、書類の決裁だけでもしたかったが、それは先ほど枕元から全てどかされてしまった。
 仕方がない………閉じた瞼の奥で、ゆっくりと、意識が沈んでいった。


 かちゃかちゃと言う物音で、意識が覚醒する。ぼんやりとしたまま瞼を押し上げ、視線を動かすと、細い後姿が見えた。
「ルルーシュ…」
 名前を呼ぶと、振り返った顔が穏やかに微笑む。
「目が覚めたか。粥を持ってきたが、食べられるか?」
「ああ…食べよう」
 肘をついて体を起そうとすると、腕が伸ばされて背中と布団の間に差し入れられる。細い腕に頼るのは気が進まなかったが、そんなことを言えば、不満がるに決まっているので、口には出さない。
 体を起し、目の前に出てきた碗を受け取ろうとすると、手を弾かれる。
「お前な、風邪を引いた時くらい頼れ」
「しかし………」
「安心しろ。もしも私が倒れたらお前が面倒を見るんだから、お相子と言うやつだ」
 碗の中には、熱そうな粥が入っている。匙で掬ったそれを冷ましているルルーシュを見て、星刻は全身から力を抜いた。
「ん?」
「いや………食べさせて、くれるのか?」
「病人の手を煩わせるわけにはいかないからな」
 口元へと差し出された匙の中の粥は、口の中へと運ぶとちょうどいい温さで、租借しやすかった。
「どうだ?」
「美味しい」
「そうか」
 ほっとしたようなルルーシュが、二口目を差し出してくる。そうして幾度か粥を口に運んでいると、ルルーシュの動きが止まった。
「かーさま」
 いつの間に部屋の中に入ってきたのか、娘がルルーシュの袖を掴んでいる。
「わたしもふーふーする。とうさまにごはん」
「駄目だ。風邪がうつったらどうするんだ?」
「やるー!」
「だめだ。部屋で大人しく勉強していてくれ」
「やー!わたしもやるー!」
 ぐいぐいと袖を引く娘に、溜息混じりに応える。
「………仕方がないな。ほら」
 座っていた椅子から立ち上がり、碗と匙を娘に渡して、椅子に膝立ちで乗せてやる。
 すると、匙にめいっぱい乗せた粥を、幾度か息を吹きかけて冷ますと、それをずい、と差し出した。
「はい、とうさま。あーん」
 にこにこと娘が差し出すそれを、口に入れる。
「おいしいですかー?」
「ああ。美味しいよ」
「えへへ。はい、かあさま」
「もういいのか?」
「うん!とうさま、はやくよくなってね」
「ああ」
 ルルーシュに碗と匙を返すと、そのまま部屋を出て行ってしまう。何だったのかと、小さな背中を見送った星刻を見て、ルルーシュは小さく吹き出した。
「何だ?」
「いや。あの子からすると、恐らくままごとの延長なんだろうな、と」
「ままごと………こちらは、真剣に辛いのだが」
「自業自得だ。過信しすぎだぞ、星刻。お前、自分の仕事量把握してるのか?」
「ゼロをしていた頃の君よりは、少ないはずだが」
「………痛い所をついてくるな、お前。まあ、それだけ元気なら大丈夫か。あ、林檎食べるか?」
「貰おう」
 空になった碗と匙を机の上に戻し、そこから林檎と果物ナイフを掴んで、目の前でするすると林檎の皮を剥いていくルルーシュに、星刻は、幸せを噛み締めていた。
 たまには、風邪をひくのもいいかもしれない、と。








20万Hit部屋のリクエストで、ルルが風邪を引く話を書いたので。星刻にも引いてもらおう、と思って書きました。
この後は剥いた林檎も食べさせてもらうんですよ。勿論、ウサギ林檎で。
二人の日常はこんな感じで、甘々です。ええ。甘々ですよ。




2009/2/8初出